サンデルの政治哲学と日本の戦争責任問題

経済・政治・国際 | 2010/12/12

サンデルについては、先日書いた記事、「書評:マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』について」の中で、全体的な解説をしましたが、今回はサンデルと日本の戦争責任問題の関係について扱います。というのも、サンデルが、東大の講義の中で戦争責任問題に触れたことが一部で話題になっているからです。

主に右翼的な思想の持ち主がサンデルに反発をしているようなのですが、そもそも、サンデルは保守的な思想の持ち主です。それを擁護するための論拠の一つとして戦争責任問題を持ち出しているのです。このことからも、サンデルが誤解されているということが分かると思うのですが…。この記事では、こうした誤解を解くべく、サンデルの政治哲学と戦争責任の問題がどう関連しているかを考えていきたいと思います。

○サンデルの戦争責任に関する立場

戦争責任に関するサンデルの学問的主張は、「謝罪しないといけないという見方を、自由主義や個人主義の立場から否定することはできない」というものです。具体的に言うと、「戦争は、現代の日本人には関係ないのだから、謝罪する必要がない」という批判が、批判になっていないことの指摘と言い換えられるでしょう。これは、「謝罪しないといけない」と言うことを意味するわけではありません。「戦争は、現代の日本人には関係ない」というのと別の理由で、謝罪する必要がないという主張に対しては、サンデルは断定的なことを言う立場にないのです。

サンデルは自らの主張の論拠として、以下のような理由を挙げます。

私たちは、同じ共同体に属する仲間(たとえば、日本人同士)を優先して助けようとします。世界中にたくさんの貧しい人々がいるにもかかわらず、自国民の社会福祉を優先することが、これに該当するでしょう。これは、人間を平等なものとして扱うリベラリズムやリバタリアニズムに反すわけですが、(無政府主義者でない限り)私たちはこうした正義についての判断を受け入れています。

このことは言い換えれば、私たち一人一人が共同体の正の遺産を引き継いでいるということを意味しています。正の遺産に関しては、「共同体の連帯>普遍的な個人の権利」と言う形で、共同体の連帯が優先されるのです。だとしたら、戦争責任のような共同体の負の遺産についてだけ、「普遍的な個人の権利>共同体の連帯」と考えて、戦争責任を回避するのは正しくないだろうというのが、サンデルの主張です。

こうしたサンデルの主張は非常に論理的で、否定するのが困難ですが、一方で、サンデルの主張は具体的な戦争責任を肯定するわけでも否定するわけでもありません。サンデルが言っているのは、「謝罪しないといけないという見方を、自由主義や個人主義の立場から否定することはできない」ということであり、「謝罪しないといけない」と言っているわけではないからです。したがって、サンデルに対して、「歴史的に見て謝罪の必要がない」という議論をふっかけても、話が噛み合わないことになります。まず、このことを確認する必要があります。

ちなみに、サンデルは、この議論をもとに、リベラリズムやリバタリアニズムが正義の原則になりえないという結論や、「物語としての正義」という見方を導きます。戦争責任の議論はサンデルが言いたいことではなく、本当の目的を実現するための手段に過ぎないのです。これについて、詳しくは先日書いた記事、「書評:マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』について」をご覧ください。

○外交と正義

さて、その上で、別の論点に移りたいと思います。

これも誤解している人が多いように思うのですが、一般に正義の話は、外交上どのようにすれば有利かという話と別です。というのも、私たちは、「外交上は謝った方が良いが、本来は謝るべきではない」とか、「外交上は謝らない方が良いか、本来は謝るべき」などと考えることができます。サンデルが扱っているのは、「本来は…」の部分であって、「外交上は…」という話とは別なのです。

東大の講義では、「許してもらえるまで謝罪し続けるべき」と発言した学生がいたそうですが、外交上の話について言う限り、「許してもらえるまで謝罪し続ける」必要はありません。許してもらえたとしても、もらえなかったとしても、謝るべきであれば、こっちの問題として勝手に謝罪していれば良いのです。その上で、「謝ってやってるのに、何だその態度は!!」と怒鳴り散らしたって良いし、「謝ってやるから、そこの島一つくれよ」と脅したって良い。あるいは、「お前の国の国民には謝るが、お前の国は国として認めない」と言い放ったっていい。その是非を考えるのが、外交の話です。外交上必要なら言えば良いし、外交上必要ないなら言わない方が良い。それだけの話です。これを混同するから、良く分からない話になるのではないかと思います。

もちろん、正義と外交が切り離せないという立場もあるでしょう。それを否定するわけではありませんが、そうだとしたら、とりあえず別のものと考えた上で、その関連を考えていく必要があるのです。

○「物語」としての戦争責任

その上で、もう少し立ち入って、戦争責任について考えてみたいと思います。サンデルは、「物語(narrative)」としての正義というマッキンタイアの考え方を取り上げており、これは彼の思想の非常に中心的な部分に置かれています。この立場から、日本の戦争責任はどのようにとらえられるのでしょうか。サンデルの言う「物語」は、人によって異なる物語が描かれる可能性を踏まえたものであり、「こういう物語が正しい」と言うことはできないのですが、それでも多くの人が賛同できる物語はあるでしょう。ここでは、私が「これなら多くの人が納得できるだろう」と考える「物語」を紹介したいと思います。

良く指摘されることですが、日本が第二次世界大戦で戦った連合国と、戦後できた国際連合は、英語ではともにUnited Nationsです。両者は、建て前上は別のものとされる一方、実質的な部分では多くの面が引き継がれています。連合国の主要国(米英仏露中)が、そのまま国際連合の常任理事国になったことも、その表れの一つと言えるでしょう。いわば、私たちは、第二次世界大戦で戦った連合国≒国際連合の一員として迎えられ、その国際秩序の恩恵を享受しながら、経済的な発展をしてきたと言えます。

こうした戦後の国際秩序を考える上で重要なのが、第二次世界大戦の終戦処理である東京裁判です。東京裁判は、事実認定等の問題とは別に、「事後法による裁判」という問題が指摘されます。つまり、東京裁判以前は存在しなかった論理で、「不当に」裁かれたという指摘です。しかし、東京裁判という「不当な」裁判が行われたことで、「第二次世界大戦以前のような形式での戦争は許されない」ことが確認されることになったことを忘れてはいけません。それ以降、戦争がなくなったわけではありませんが、それまでとは違った言い訳を使って行われるようになったのです。このことは、冷戦下で影を潜めていた面もあるにせよ、コソボ紛争以降、東京裁判/ニュールンベルグ裁判の論理が再び注目されてきています。

これはある種の「革命」と言うことができます。フランス革命は正義という面からは批判されることも多いわけですが、それでも、それによって自由を享受するフランスは、フランス革命の意義を否定することができません。同様に、現在の日本、そして国際社会は、根本的なところで東京裁判を否定できないのです。それが当時としてはどんなに不当なものであったとしてもです。革命で理不尽に吊し上げられたものの、謝罪することで、新しい国際秩序での市民権を得たのが日本なのです。日本は、太平洋戦争を謝罪することで始めて、戦後の国際秩序を支える価値観を共有し、第二次世界大戦以前のような侵略戦争を非難することができると言うことができるでしょう。

もちろん、これは一つの「物語」に過ぎません。こうした「物語」とは別の「物語」を語ることもできます。たとえば、日本は国際社会で孤立化の道を選ぶべきだということを前提にし、戦争責任などないと言い放つという物語もありえます。しかし、核保有国の中国や北朝鮮との軍事的緊張を抱え、他国との軍事的・経済的協調を迫られている日本が、本当にそんなことをできるでしょうか。「戦争責任はない」という物語と、安全保障上、経済上の利益を両立させるのは困難です。そう考えると、私たちは結局、太平洋戦争が侵略戦争であったして責任を認めざるをえないのではないかと思います。戦争責任を認めた上で、外交上は適切な駆け引きを行っていけば良いということです。

○戦争責任と政治的討議

以上、サンデル議論と日本の戦争責任の関係について私見を述べてきましたが、ここで私が提示したような「物語」が、他の人にどこまで通用するかは分かりません。「いつまでも謝罪しつづけるべき」と発言した東大の学生は、私と同じような歴史についての見解を持っていたのだと思いますが、一方で、日本が戦争責任を認めることを屈辱としか思っていない人も多いでしょう。こういった人と分かり合えることはあるのでしょうか。それには、外交と正義の違い、歴史認識の問題、ナショナリズムを巡る理解の混乱…その他、さまざまな問題が関わっています。こうした問題を乗り越えて、日本人が特定の見解で政治的に一致することができるのでしょうか。あるいは、一致することが望ましいのでしょうか。

こうして「政治的議論は、どのようにして正義になりえるのか」という問題は、サンデルの主張のもっとも本質的な部分と関わるものです。サンデルの立場を端的に言えば、「お互いに真剣に議論することで、ある立場にたどり着くはずだし、そうした正義こそ本当の正義だ」ということになるでしょう。この部分について、私は全面的にサンデルに同意するわけではないのですが、これについての詳細は長くなるので、前に書いた記事を読んでもらうことにしたいと思います。

ただ、それを別にしても、サンデルの議論は、日本で行われている戦争責任についての議論に有意義な影響を与えるものになるはずです。批判するにせよ、肯定するにせよ、押さえておいて損のない本ではないかと思います。


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