中井洽氏への懲罰動議について

経済・政治・国際 | 2010/12/05

○発端はブログ

また、国会がくらだらないことで盛り上がっているみたいです。問題の発端は、民主党の中井洽氏が、議会開設記念の式典中で、秋篠宮ご夫妻に対して「ヤジ」を飛ばしたと、みんなの党所属の桜内文城氏がブログに書いたことが発端です(http://ameblo.jp/sakurauchi/entry-10722419845.html)。これをきっかけに、与党と野党の間で懲罰動議合戦になるというわけのわからないことになっています(http://www.jiji.com/jc/zc?k=201012/2010120100788)。

○ ヤジなのか、つぶやきなのか?

そもそもヤジって何でしょうか?ヤジというのは、「他人の言動に、大声で非難やひやかしの言葉を浴びせかける(大辞泉)」ことだとされます。一般的にも、演説者や会場全体に聞こえるような大きな声で、非難・侮辱するようなイメージを持つ人が多いでしょう。

ところが、ヤジを聞いたと実名で明かしているのは、対立政党であるみんなの党の桜内氏だけ。問題が公になってかなりの時間が経ってから、「私も聞いた」という匿名発言がマスメディアで取り上げられるようになりましたが、多くの国会議員が伝聞として発言しています。言い換えれば、ほとんどの国会議員は発言を直接聞いていないのです。

要するに、「ヤジ」というより、「つぶやき」と言った方が良いような発言であり、先ほど引用した大辞泉の「ヤジ」の語義説明からは大きく離れるものであったことは間違いなさそうです。中井氏の「つぶやき」を対立政党に所属する桜内氏が、「ヤジ」と大げさに書いた可能性が極めて高いでしょう。

○ どんな発言だったのか?

その上で、どんな発言であったかも問題です。桜内氏は、ブログで「早く座れよ。こっちも座れないじゃないか」と発言したと断定していますが、具体的な字句についての指摘は、桜内氏のブログの記事だけが根拠であり、確実に分かるのは、「この趣旨の発言があった」ということだけです。同じ趣旨ではあるものの、異なる表現だった可能性も十分にあります。実際、中井氏自身が次のように弁解しています。

中井氏は1日、記者団に、立っていることに疑問を挟む発言を自らがしたと認めた上で、「やじではない。(式典の)行程表にはお座りになると書いてあって、一同着席となっている。どうしたんだろう、宮さまに伝えていないのかね、ということを(周囲の議員に)申し上げた」と語った。

http://www.jiji.com/jc/zc?k=201012/2010120100788

仮に周囲の議員に対するつぶやきとして、「早く座ってよ。こっちも座れないよ」という発言だったらどうでしょうか?ヤジならともかく、「つぶやき」でこの程度の発言だとしたら、それほど問題ではないと考える人も多いはずです。そして、それこそが、桜内氏が、「ヤジ」と大げさに書いた上で、「早く座れよ」と命令口調で書いた理由かもしれません。

別に、「早く座ってよ。こっちも座れないよ」という発言だったと断定するつもりはありませんが、このあたりのところについてはあくまで「分からない」ということが重要でしょう。もちろん、「民主党の中井氏のことだから、そのくらいのことを言いそうだ」と考える気持ちが分からないこともありませんが、それはあくまで憶測に過ぎないのです。

○ 宮様に関するつぶやきは懲罰に値するか?

こうして報道の「行間」を読むだけで、一般的な報道とは大きく異なるイメージが浮かび上がります。ここまで読んで、考えを変えたという読者もいるでしょうが、ここでもっとも根本的な問題である。「宮様に関するつぶやき(あるいはヤジ)は国会法に基づく懲罰に値するか?」という問題について考えたいと思います。

・最初に、一般的な話

たしかに、多くの日本人は、「天皇家や宮家を尊重することは、礼儀として尊重されるべき」という価値観を持っていると思います。私も人並みにはそう思っており、礼節を欠いた言動は避けるようにしているつもりです。ただし、憲法上、日本という国の主権は国民です。そして、こうした国民によって支持されることによって「象徴」として存在しているのが天皇制です。このことは、理論上、次のことを意味しています。

「天皇制をどこまで尊重するかどうかは、国民の信条の問題である。個人的に天皇の権威を尊重しないという国民がいても良いし、そうした人が国会議員になっても良い」

このことから、国会の内外を問わず、天皇や宮家に批判的な発言、尊重しない発言は、自由だと考えられるべきです。儀式の進行を妨げたのならともかく、つぶやき程度で批判されるべきではなのです。これは、国家公安委員長だろうと、予算委員長だろうと同じです。もしも、国民が皇室に批判的な態度を取る議員を望まないというのであれば、選挙を通して意見を言えば良いのであって、スキャンダルのような形で扱うのは非常に問題でしょう。

・民主主義と権威の尊重

ただし、民主主義の社会は、民主的に決められた権威を国民が尊重するということによって成り立っています。首相、国会議員、天皇、宮家、こういった権威に対して敬意を払うことは、民主主義の社会だからこそ必要とされるのです。

したがって、この理由での懲罰なら分かります。アメリカでは、議員が議場で大統領を侮辱することは懲罰の対象となりますが、これと同じような仕組みを日本に導入することは間違っているとは思いません。そして、そうした仕組みの中で、首相、天皇や宮家に対する侮辱や礼節に欠いた行動を懲罰の対象とするというのなら分かります。もちろん、国民や政治家は、政治的に首相や天皇を批判することを許されるべきですが、議事や儀式を妨げたり、侮辱して良いかというと別の問題であり、それは懲罰の対象となりうるのです。

しかし、日本の国会では首相や大臣に対するヤジが常態化しています。そして、これが国会の品位を大幅に落としているというのは、多くの国民が感じているところでしょう。それでも、懲罰が認められたことはありません。それにも関わらず、宮様に対するヤジだけを特別扱いすることが許されるのでしょうか?これを認めれば、民主主義社会のあり方に、大きな疑問を突きつけることになると思います。

民主主義の社会における、議事や儀式の進行を妨げたことによる懲罰は、「民主的に決められた権威を国民が尊重しなければいけない」という規範によるわけなので、「建前上」、天皇や宮家とともに首相や議長の権威も尊重するべきということになります。しかし、首相に対するヤジは良いが、宮家に対するヤジは良くないということになれば、この建て前を根底から覆すことになるでしょう。

たしかに、首相に対するヤジよりは問題ではないが、宮様に対するヤジを問題だという考えも、国民の感覚や意見としてなら理解できます。私自身も、感覚的には、そうした立場に共感しないことはありません。しかし、それはあくまで個人の思想や信条の問題であって、「懲罰」という形で制度化することの是非とは全く別であるはずです。

もちろん、上の議論には、次のような批判が可能です。

「民主的に尊重されている権威の中で、天皇はより普遍的、根本的な権威である。したがって、首相以上に尊重されることには何も問題はない」

ただ、この意見が正しいとしても、こうした政治的に微妙な問題を「懲罰」という形で解決することを肯定することは問題でしょう。それは、民主主義の否定とも言える、危険な一歩にほかなりません。もし、宮様に対するヤジを罰しようとするのであれば、国会法を改正して、国会内での首相や天皇、宮家に対する礼節を欠く言動を規制するか、選挙を通して国民が審判を下すのにまかせるか2通りしかないのではないかと思います。

○ まとめ

そもそも、中井洽氏の「ヤジ」は、そもそもヤジではなく、つぶやきである可能性が高かったのに加え、内容的にも問題がないものであった可能性さえあります。これだけでも、懲罰が不適切だということが分かると思いますが、かりに「ヤジ」であったとしても、それを懲罰の対象とするべきかは、非常に疑問です。

まぁ、今回の事件を見て思ったのはそんなところです。

民主党に政治をまかせられないとしても、自民党やみんなの党にもやはり政治をまかせられないんじゃないかとか、その根本的原因は「失言やスキャンダルには熱心だが、政策には大して関心を持たない」国民とマスコミなんじゃないかとか、いつも書いてることなので、こんなところで終わります。ではまた。

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