経済・政治・国際 | 2010/12/11
子ども手当と、配偶者控除の廃止は、経済学的に非常に理にかなった制度です。ところが、マスコミやネットでは、「民主党のやることだから、おかしなことに違いない」という先入観からか、理不尽に批判されているように思えます。特に気になるのが、「子供のいない専業主婦に不公平」といった見当違いとも思える批判。
この記事では、子ども手当、配偶者控除の廃止が、最近注目されている「負の所得税」と近く、非常に合理的な制度であることを説明したいと思います。
○専業主婦の社会的意義
配偶者控除は、専業主婦を社会的に支援するための制度と言えます。しかし、なぜ、専業主婦を社会的に支援する必要があるのでしょうか。専業主婦の役割は、「家事」と「子育て」ですが、家事が重労働だった数十年前と異なり、電化製品の普及した現代において、子供のいない夫婦の家事の負担は大きくありません。したがって、現代における専業主婦の役割のうち、社会的に支援するべきなのは、「子育て」「子育てに伴って増える家事」ということになります。
もちろん、子育て以外の理由で専業主婦をすることが禁止されるべきだというつもりはありません。しかし、子供のいない主婦であれば、外に出て働くのも簡単であり、パートでも配偶者控除・配偶者特別控除の限度額以上稼ぐのは難しくありません。それにもかかわらず、あえて働かないというのは、ある種の「ぜいたく」や「個人的趣向」の問題であり、社会的支援に値しないと考えるのが自然だと思います。子供がいないが、仕事もしない専業主婦が、広い邸宅でティパーティーを開くための費用を、社会的に支援するべきだと言う人はあまりいないでしょう。
たしかに、現代の日本では、育児支援が貧弱であるため、仕事をしながら育児を続けるのが困難です。保育園の倍率が高くて簡単に入れないため、仕事をやめざるをえない。そのために専業主婦になった人に対して、社会的支援をしていくことは必要だと思われます。しかし、それも子供のいる専業主婦の話であって、子供のいない専業主婦の話ではありません。
こういったことを踏まえて、配偶者控除の問題点について考えていきたいと思います。
○配偶者控除の問題
・子供がいない夫婦に対する不公平な支援
配偶者控除の最大の問題は、子供のいない夫婦にも、減税の恩恵があるということです。配偶者控除の社会的目的が、「子育て支援」でしかない以上、子供のいない夫婦に減税の恩恵があるのは適切ではありません。たしかに、「女は子供生むものだ」という古い価値観に基づけば、子供のいない専業主婦は、子供を産むための準備期間や、事後休暇を過ごしていると考えることができます。そして、そういう立場から、配偶者控除を肯定することもできます。しかし、現代のように、子供を産むかどうかは、個人の自由という考えが当たり前になっている中、配偶者控除を続けることに正当性はありません。
・働く女性に対する差別
一方、配偶者控除が働きながら育児をする女性に対する不当な差別になっているというのも大きな問題です。日本では、育児支援が貧弱であるため、働きながら子供を育てるのは大変です。育児のために専業主婦になることによる収入の減少も大きいわけですが、働きながら育児をするために必要な費用もバカになりません。特にゼロ歳児~2歳児の保育は貧困層でないと受けられないため、ある程度の収入がある人は無認可保育園に預けることになる可能性が高いのですが、そのための費用は月10万円以上かかります。
ところが日本では、収入の少ない主婦にだけ、年間3万円強の減税が行われ、保育園に預けながら仕事をしている女性には同様の支援が行われません。配偶者控除は、いわば「仕事をしながら育児をする女性を社会から排除する」仕組みということになります。
○子ども手当の合理性
なぜ、こんな問題が起きてしまうのでしょうか。そもそもの問題は、現代における配偶者控除の社会的意義は、「子育て支援」であるにもかかわらず、算定基準が、本人と配偶者の収入であることです。また、その方法が「控除」という複雑な方法で行われていることが問題です。このため、本来支援を受ける必要のない世帯(子なし世帯)が必要外に支援される一方、より手厚い支援を受けるべき世帯(複数の子供がいる世帯など)が、適切に支援されないことになります。
そこで、「子供の人数」だけを基準にした定額の社会保障にするべき…というのが、子ども手当の基本的なコンセプトと考えることができます。
○個人単位の負の所得税
こうした考えは、フリードマンの負の所得税の考え方と近いものがあります。負の所得税は、生活保護、雇用保険、最低賃金、複雑な控除制度などを廃止し、定率所得税+定額給付に一本化しようとする考え方です。現在の社会保障制度には、さまざまな落とし穴(必要なのに給付を受けられない人の存在)や重複(余分に給付を受けてしまう人の存在)があり、それによってさまざまな不公平性や、逆インセンティブが生まれていますが、これらを解消することができるのが負の所得税の考え方と言えます。
さて、フリードマンは負の所得税の計算を世帯単位で行うものと考えたようですが、日本の住民登録制度で世帯単位の税額・給付額の計算を行うことには問題があります。なぜなら、日本では世帯の分割が容易であり、それによって納税額・給付額が大きく変わってしまうからです。もし、日本で世帯単位の負の所得税を実施すると、給付額を増やすために、形式的に住民票を分割する世帯が続出するでしょう。これを解消するために必要なのは扶養控除や配偶者控除を廃止し、すべて個人単位の負の所得税に統一することです。具体的には子供に対して、人数に応じた負の所得税(定額給付)を設定し、子供の扶養控除、配偶者控除、保育園への補助金などを、すべてこれに統一することにほかなりません。これによって、これらの制度が持っているさまざまな不公平性、不連続性を一気に解消することができるのです。(*1)
では、具体的にどの程度の金額になるのか、平成20年に所得税の課税対象となった所得(一人当たり310万円(*2))をもとにして、現在の所得税・個人住民税の税収(23.9兆円)と同程度になる税率を計算してみることにしましょう。子供も大人も一人年間50万円(月4.2万円)の給付(*3)、所得税率は25%で、税収は33.0兆円。現在よりも税収が増える一方、多くの社会保障費・公務員人件費が不要になるので、財政赤字も解消できます。具体的には、4人家族で総所得800万円以下の世帯は給付を受ける側に回るのです。4人家族で総所得500万円なら100万円もの給付を受けられます。独身世帯だと、200万円未満が給付を受けられることになります。
*1 個人単位の社会保障だと婚姻に対する社会的支援ができないというのであれば、婚姻している世帯に対して定額の給付をすれば良いことになります。これは負の所得税の考え方と矛盾しません。
*2 源泉所得税は、「収入」、申告所得税は「所得」をもとに計算しています(link)
*3 実際には、年齢によって給付額を変えることも考えられます。育児費用の負担が特に大きい3歳以下の子供や、高齢者の給付額を上げるなどです。単純化するために、年齢によって給付額に差を付けないものとして計算しています。
○子ども手当と負の所得税
そう考えると、子ども手当と負の所得税がコンセプトとして非常に近いものであることが分かると思います。
たしかに、配偶者控除の廃止と現在行われているような少額の子ども手当だけでは効果は少なく、抜本的な税制改革の中で、これらの問題を考えていかないといけないというのは言うまでもありません。ただ、負の所得税を理想の税制として考えたとき、配偶者控除の廃止と子ども手当は、明らかに理想に近づく政策なのです。
民主党は、昨年度の税制改正大綱で、配偶者控除だけではなく、多くお控除を縮小して給付に切り替える「控除から給付へ」という方向性を示しています。これは、低所得層への社会保障の充実につながるとともに、景気対策にも大きな効果がある極めて重要な政策。これが実現するかどうかで、今後の日本のあり方が決まると言って良いでしょう。ところが、「民主党のやっていることだからダメ」「子供のいない専業主婦世帯がかわいそう」「金持ちいじめ」といった情緒的議論ばかりが先行しているように思えます。先入観を排し、国のありかたについての重要な論点として真剣に検討していくことが必要ではないかと思います。
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エントリ内の「子ども手当」「配偶者控除の廃止」が、【民主党の示しているもの】なのか、それとは別の【あるべき形】のものなのかが問題ではないかと感じます。
私は、ある意味、このエントリの内容に同意ですが、そのまま【民主党の示しているもの】に反対する理由とも感じました。
>民主党は、昨年度の税制改正大綱で、配偶者控除だけではなく、多くお控除を縮小して給付に切り替える「控除から給付へ」という方向性を示しています。
学者などが「方向性」を示すのならいいのですが、政権党が「実際に施行する制度」として提案したものには「方向性」だけではダメで、「理念を実現できるような完成度」が求められると思います。
マスコミの叩き方に問題はありますし、「完成度が不十分で理念がよく分からなくなっている」ところまで至っているかは分かりませんが、まだ叩かれるべき完成度ではないか、と思います。
管理人より:おっしゃることは分かります。ただ、別に批判するなと言っているわけじゃないんですよ。ある政策が出る度に、まるでスキャンダルの報道でもするような、一方的、感情的な報道しかしないことが問題だと思っています。そんな床屋談義レベルの報道しかない状態で、まともな政治を期待する方が無理ではないでしょうか。