情報学ブログに書くほどではないニュースネタのためのサブブログ

トップ
">ニュース
">パソコン・インターネット
">学問・資格
">情報学
">携帯・デジカメ
">日記・コラム・つぶやき
">映画・テレビ ">経済・政治・国際 ">ニュース ">パソコン・インターネット ">学問・資格 ">情報学 ">携帯・デジカメ ">日記・コラム・つぶやき ">映画・テレビ ">経済・政治・国際 ">ニュース ">パソコン・インターネット ">学問・資格 ">情報学 ">携帯・デジカメ ">日記・コラム・つぶやき ">映画・テレビ ">経済・政治・国際 ">ニュース ">パソコン・インターネット ">学問・資格 ">情報学 ">携帯・デジカメ ">日記・コラム・つぶやき ">映画・テレビ ">経済・政治・国際
アーカイブ
ニュースな待合室アーカイブ→2010年11月の記事をまとめて読む

北朝鮮砲撃事件における日本のマスメディアの偏向報道

経済・政治・国際 | 2010/11/27

延坪島(ヨンピョンド)砲撃事件で、日本のマスメディアより、中国系のメディアの方が客観的な報道をしているという不思議な現象が起きています。以下は、事件の二日後、25日のサーチナニュースの記事です。

新華社や北京晨報など中国メディアは25日、朝鮮半島で23日に発生した南北双方の砲撃戦について「韓国側が、先に発砲したと認めた」とする記事を発表しはじめた。韓国が軍事演習として、北朝鮮と「支配問題」で対立している海域に砲弾を撃ち込んだことを指す。

朝鮮半島停戦の1953年、国連側は海上における韓国と北朝鮮の軍事境界線として朝鮮半島西側の海域に北方限界線(NLL)を設定した。実質的には、米国と韓国の「西側」が一方的に設定したものだ。北朝鮮側は認めず、1999年になり、NLLより南側に「海上軍事境界線」を設定した。南北双方が主張する領域が一部で重なり、「争議ある海域」が発生することになった。

北朝鮮側は22日、韓国側に対し、「争議ある海域」付近での軍事演習を中止するよう要請。韓国側は拒絶した。韓国の政府関係者は名を秘すことを条件に「わが方の砲弾は、争議ある海域に落下した。ただし、北朝鮮の海岸には届いていない」と述べた。同説明は、北朝鮮軍が発表した「韓国側が先に、わが領海に数十発の砲弾を撃ち込んだ」との声明に合致する。

朝鮮半島砲撃戦:「韓国側、先に発砲したと認める」…中国報道

ちょっと補足すると、延坪島は北朝鮮が主張する海上軍事境界線より北側、韓国が主張する北方限界線(NLL)の南側にあり、南北がともに支配を主張する地域なのです。ただし、実効支配しているのは韓国側。こういう複雑な地域で、米韓が軍事演習をしたことに、北朝鮮が反発したと見ることができます。

イメージとしては、韓国が実効支配する竹島周辺で韓国軍が軍事演習し、そこに日本が砲撃を仕掛けた…。こんな状況でしょうか。たしかに、やり過ぎだと思いますが、「挑発したのはどちらが先か」となると、難しい問題です。

延坪島の事件についても、先に挑発したのは米韓側だったという主張を完全に否定するのは難しいでしょう。もちろん、北朝鮮側の対抗措置が、「民間人居住地域への砲撃」であることに対する批判はあるだろうし、そもそも北朝鮮側の海上軍事境界線が適切かという議論はあります。ただ、こうした状況説明を一切なしに、「何もしていないのに、突然、北朝鮮側が攻撃してきた」かのように説明するのは、あまりにも一方的なものです。

ところが、日本の大手メディアは、一方的に韓国側の立場を報道をするばかりで、北朝鮮側の主張をほとんど報道していきません。さすがに、西日本新聞日経BP産経等の例外はありますが、いずれも記事としての扱いは非常に小さく、ほとんどの記事で、韓国側による「北方限界線」が唯一の軍事境界線であるかのような書き方がされています。

別に、北朝鮮側を支援するつもりはありません。私個人としては、友好国である米国・韓国による軍事的挑発は有意義なものだったのではないかと思っているし、これをきっかけにした事態の打開も期待しています。ただ、それも、正しい状況判断があってこその話であり、一方的な報道だけでは何とも判断できません。

報道の自由が保障されている日本において、厳しい報道規制が敷かれている中国系のメディアからの情報に頼らざるをえない事実。このことこそ、メディアの危機管理の問題として、真剣に議論しなければいけない問題ではないかと思います。

はてなブックマークに追加 del.icio.usに追加 POOKMARK Airlinesに登録 livedoorクリップへ追加 @niftyクリップへ追加 Buzzurlにブックマーク newsingにピックアップ Choixに投稿 Furlへ追加 Blinklistへ追加 Redditに投稿 twitterでReTweet

固定リンク | コメント(2件) | トラックバック(0件)

目くらましとしての朝鮮学校問題

経済・政治・国際 | 2010/11/25

ネット界隈では、朝鮮学校への無償化には反対だが、砲撃を理由として無償化を停止するのは、論理が一貫しないという意見が多いようです。自分も、基本的にこれと同じ意見です。

本題に入る前に、一般的なことを言うと、そもそも、朝鮮学校への支援は憲法違反です。

第八十九条  公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

政府は、「学校への補助ではなく、生徒個人への補助」ということで、憲法問題を回避しているようですが詭弁です。普通に考えたら、文科省の学習指導要領にしたがっていない学校に、直接、間接に補助するのは違憲であり、朝鮮学校の無償化も許されるべきではないと言うべきでしょう。たしかに、他の外国学校に公金の支出を認めた以上、朝鮮学校への支出も認めざるをえないというのはその通りです。しかし、そもそも、朝鮮学校に限らず、学習指導要領にしたがっていない学校は、憲法上の制約から無償化できないとはっきり言えば良かったのです。

ところが、政府は、「学習指導要領に『準じた』指導を行っている」と言う無理のある認定をして、憲法違反である公金の支出を認めてしまいました。そうである以上、北朝鮮が韓国に砲撃を加えたくらいで、撤回するのはおかしな話です。全く一貫性がない。これでは、金明秀あたりに、「国内のコリアンに対する抑圧をちらつかせることで外交カードの不在を補おうとしている」「人権侵害しか切れる外交カードがないとは、どんなならず者国家なのかといわざるをえない」と言われても反論しようがないでしょう(link

ただね。ここからが本題なのですが…、

正直言うと、朝鮮学校の無償化とかどうでもいいと思ってます。だって、金額にして、10億円にもならないんですよ。政策上の優先順位としてはかなり低い、ほうっておいても良い問題です。これについて考える時間を、八ツ場ダムや高速道路について費やした方がよほど有意義です。

比較のために挙げると、在日コリアンへの生活保護はこの100倍規模、在日コリアンが経営者の大部分を占めるパチンコ業界の利益は1000倍規模です。そして、生活保護はともかく、パチンコ関係のお金の相当量が北朝鮮の核開発に使われてると言われています。それと比べたらはした金も良いところ。つまり、無償化問題の政治利用は、理念的に一貫性がないだけでなく、北朝鮮への経済制裁という観点からもほとんど意味がありません。弱者に対する「嫌がらせ」に過ぎないのです。

本気で北朝鮮に対抗しようと思ったら、パチンコの合法化とパチンコ税の創設(あるいは建前上公営化して、運営委託の形にするなど)が一番ですが、どうせそんなことはできないでしょう。少なくとも民主党には無理だし、自民党にも無理。また、大手マスコミにも無理な話です。そう考えると、北朝鮮の砲撃への制裁で、朝鮮学校の無償化問題が出てきたのは、ある種の「目くらまし」ではないかといううがった見方までしたくなります。

はてなブックマークに追加 del.icio.usに追加 POOKMARK Airlinesに登録 livedoorクリップへ追加 @niftyクリップへ追加 Buzzurlにブックマーク newsingにピックアップ Choixに投稿 Furlへ追加 Blinklistへ追加 Redditに投稿 twitterでReTweet

固定リンク | コメント(0件) | トラックバック(0件)

「失言」政治の行き着く先

ニュース | 2010/11/23

最近、マスコミや野党の政権批判があらぬ方向に行っている気がします。

別に、民主党が良いって言うつもりはありません。ただ、民主党の失策なんていくらでも見つかるのに、そういうのを放っておいて、分かりやすい「揚げ足取り」に終始するマスコミや自民党がおかしいと思うのです。

1. 仙谷氏の「暴力装置」発言について

マスコミは報道しませんが、ネットでは「自衛隊が暴力装置なのは政治学の常識」で議論が終結しています。一番、端的なのは、池田信夫氏の以下の記事でしょう。

マックス・ウェーバーは、主権国家を「合法的な暴力の独占」と定義した。レーニンは、国家を物理的な暴力(Gewalt)と心理的な権威(Macht)によって成り立つブルジョア階級の統治機構と考え、そのコアにあるのが軍事力だと考えた。(中略)仙谷氏の「暴力装置」という言葉は、このレーニンの影響が残っているものと思われるが、これはきわめて正統的な軍隊(したがって自衛隊)の定義である。菅首相も謝罪したようだが、彼は軍の最高指揮官であり、その命令で何万人も殺害できるのだ。これぐらいのリアルな認識をもってもらわないと困る。

自衛隊は「暴力装置」である

ついでに、この問題が起きた後、誰かがWikipediaの英語版から日本語版に翻訳してくれたので、詳しくはこちらを見てもらうのが早いでしょう。日本語版のWikipediaにしては出典も充実した良記事です。

いずれにせよ、こうしたことを知った上で、それでも「失言」として批判する人はいないと思います。こうした議論がなかったかのように、揚げ足取りを続けるマスコミや自民党は、いったい何を考えてるのでしょうか。

2. 柳田元法相の国会軽視?発言

「法相とはいいですね。二つ覚えておけばいいんですから。『個別の事案についてはお答えを差し控えます』と。これはいい文句ですよ。これを使う。これがいいんです。分からなかったらこれを言う。これで、だいぶ切り抜けて参りましたけど、実際の問題なんですよ。しゃべれない。『法と証拠に基づいて、適切にやっております』。この二つなんですよ。まあ、何回使ったことか。使うたびに、野党からは責められ。政治家としての答えじゃないとさんざん怒られている。ただ、法相が法を犯してしゃべることはできないという当たり前の話。法を守って私は答弁している

法相の答弁がワンパターンだというのは、従来の法相に対しても言われてきたことであり、柳田氏が特に悪いというわけではありません。それに、太字の部分からも分かるように、法相の立場上、そうせざるをえないということも言っています。これを読んでも、「失言」だと思う人がどれだけいるのでしょうか。たしかに、「不謹慎」という人はいるかもしれませんが、ジョークですよジョーク。しかも、自己批判的なジョークであって、誰かを傷つけるようなジョークではありません。こうして国会答弁をジョークのネタにしたことに対して、「国会軽視」と発言されたのではたまったものではないと思います。

麻生元首相が「読み間違い」で批判されていたことがありましたが、それと同じか、場合によってそれ以下のひどい批判の仕方です。

そんなこといいから、本来の政治の議論をするべきじゃないか?くだらない揚げ足取りのために、審議拒否とかしてる場合か?どうして、そういう意見がマスコミで取り上げられないのでしょうか。 要するに、彼らは視聴率を取りたいだけなんでしょう。

たしかに、「民主党はいずれにせよダメなんだから、どんな形でも攻撃するのは正しい」という主張はもっともに聞こえます。でも、それって自民党の時も同じでしたよね。「自民党はいずれにせよダメなんだから、どんな形でも攻撃するのは正しい」、そういう形で、自民党が追い出され、政権を取ったのが民主党です。そして、同じ事が再び繰り返されているのです。当たり前でしょ?だって、どんなに良い政策を取っても評価されないし、悪い政策を取っても批判されないのですから。そういう政治家を作ったのは、「あいつはいずれにせよダメなんだから、どんな形でも攻撃するのは正しい」と考える国民にほかなりません。そういう国民には、それに見合った政治家しか育たないのです。

こういう「失言政治」が、政治の空洞化を招いてきたことに、国民はいい加減気付くべきではないでしょうか。視聴率を取るために、政治を愚弄しつづけるマスコミと、それを利用しようとする政治家、それに騙される国民。この構造が変わらない限り、日本の政治は永遠に良くならないのではないかと思います。

はてなブックマークに追加 del.icio.usに追加 POOKMARK Airlinesに登録 livedoorクリップへ追加 @niftyクリップへ追加 Buzzurlにブックマーク newsingにピックアップ Choixに投稿 Furlへ追加 Blinklistへ追加 Redditに投稿 twitterでReTweet

固定リンク | コメント(0件) | トラックバック(0件)

サンデルの政治哲学と尖閣ビデオ公開問題

経済・政治・国際 | 2010/11/13

○尖閣ビデオ漏洩問題

sengoku38氏による尖閣問題関連ビデオの公開の是非が議論になっています。事実関係に関しては報道されている通りだとすると、以下のような主張の対立と言うことができます。

1. そもそも、非公開とすることが間違っていたのであり、国益にかなう「公開」を行ったsengoku38氏は正しい
2. 公務員が勝手な判断をすることは許されるべきではなく、国家の信頼を失わせるsengoku38氏の行動は間違っている

どちらの主張が正しいのでしょうか。

○ 報道の自由との関係

まず、この問題と報道の自由やネット言論との関係が指摘されていますので、このことについて整理してみることにしましょう。以下の3つのケースで、公開した人が罪に問われるかを考えてみることにします。

1. 公務員が国家機密をジャーナリストを通して公開した
2. 公務員が国家機密を一般人を通してネット公開した
3. 公務員が国家機密を自分でネット公開した

1のケースで、ジャーナリストは報道の自由を盾に守られるというのが一般的な見解です。実際には国家公務員法の守秘義務違反教唆(111条)を問われる可能性があるわけですが(cf.西山事件)、取材源が秘匿されている限り、報道の自由が優先されるべきだという見解が一般的でしょう。一方、2の一般人はどうでしょうか。実際にこうした事例があったときに、どういう判決になるかは微妙ですが、ネットにおける言論の自由を擁護する立場を取る人であれば、1と同じ判断を適用するべきだと主張することになると思います。

ただ、1~3いずれのケースであっても、国家機密を漏洩させた公務員自身の守秘義務違反(国家公務員法100条)は免れません。つまり、ネット言論の重要性を強調し、報道機関の特権性に疑問を呈する人も、せいぜい2の場合の「一般人の他人」を擁護することができるだけであり、3の場合まで擁護することはできないでしょう。こういった観点から考える限り、今回のビデオの問題に、報道の自由やネット言論の問題を持ち出すのは、見当違いなのです。

○言論の自由と守秘義務の矛盾

ただ、問題はそんなに単純はありません。

たとえば、ナチスに占領されたパリで、レジスタンスの地下組織が、ナチスを攻撃したとします。たしかに、その行為は「違法」なものかもしれませんが、「悪い」かどうかは難しい判断です。一般に、「国家の命令に従わなければいけない」という規範は、その国家が正当なものだということが前提です。したがって、「不当に支配している」と考える人にとっては、命令にしたがわなければいけないということ自体が成り立たないのです。

もちろん、民主主義がもたらす帰結の一つとして、「民主主義においては政権交代の可能性がある以上、多少の不満があっても暴力的な方法で革命を試みるべきではなく、平和的な方法で改善を試みるべきだ」というものがあります。まして、海上保安官は公務員である以上、不満があっても政治家の命令にしたがうべきであり、政治活動を通して、自分の主張をするべきだ…という意見も、それなりに見るべきものがあるでしょう。

しかし、「民主主義において政権交代の可能性がある」のは、適切な情報が国民に適切な形で知られているということが前提になっています。したがって、国家が「機密にするべきではない情報を不当に機密にしている」、さらに、そのことが、国民の政府に対する評価に大きな影響を与えていると思われるとき、「機密の漏洩」という形で、民主主義の前提を回復させようとする行動は正当化されることになります。これは、5.15事件のような暴力的なクーデターとは全く異なるのです。両者は「国家の統制を乱す」という意味では共通していますが、民主主義の価値観から言うと正反対と言えます。漏洩させたと言われる海上保保安官は、こうしたことをしっかりと踏まえていると思われます。(cf. 海上保安官メモ全文起こし)

そもそも、民主主義の社会において、守秘義務というのは微妙な問題です。たしかに、守秘義務が全く守られないようなら、国家が信頼を保つことができません。しかし、その情報を公開することが公益に資する場合、言論の自由を理由に、あえて守秘義務を守らないことが正当化される場合も出てくることになります。尖閣ビデオの問題は、こうした守秘義務と言論の自由のバランスの問題ということができるでしょう。

このバランスを考える上では、ビデオの公開が「公益に資するか」が重要です。「公益に資する」のであれば、sengoku38氏の守秘義務違反には正義があります。逆に、「公益に資する」のでなければ、守秘義務違反は問題ということになります。

ただ、尖閣問題について、ビデオを公開することが公益に資するかどうかは難しい判断が必要でしょう。ビデオの非公開は、中国との密約によるものであることを毎日がスクープしましたが、(link)、「中国におもねりすぎで、日本の国益を損ねている」という国民からの批判は、ある意味、当然なことのように思えます。こうした立場を取る人が、問題のビデオが「不当に機密扱いにされている」と感じるのももっともだし、民主主義の擁護の観点から、sengaku38氏の行動を正当化するのは当然のことです。一方、外交上の問題については、多数決だけで決められるわけではなく、時の政府に一任するという考え方も必要です。今さらビデオを公開したところで、失われた国益は何ら回復しないという批判もあるでしょう。このような立場の人は、sengoku38氏の行動を批判するかもしれません。

○刑罰とは何なのか

しかし、「ビデオの公開が公益に資する」と考えたとしても、sengoku38氏の行動に刑罰を与えるべきかどうかは微妙です。

たしかに、公開自体が有益であれば、民主主義の擁護、言論の自由の観点から、sengoku38氏の行動は擁護されます。ただ、これと刑罰がどのような関係にあるべきかは自明でありません。刑罰は、「国民の利益を代弁するものなのか」「権力機構を代弁するものなのか」、これが分からないと結論が出ないからです。前者の場合、sengoku38氏は守秘義務違反を問われることになり、後者の場合、守秘義務違反は問われるべきではないということになります。これは、結局、先述の言論の自由 vs. 守秘義務違反という論点ですが、それがビデオ公開の公益性を仮定したときにも成り立つということが重要です。「守秘義務違反を問題にする」のは、司法において国家の組織統制に注目する立場と対応し、「言論の自由を優先する」のは、司法において現在の行政機構より上位の、民主主義のあり方や国民の利益に注目する立場と対応するのです。

理論上、このどちらが正しいかは決めるのは困難です。たしかに、日本の司法制度は、建て前の上では三権分立の原則にしたがって、国民の利益を代弁するものとして存在しています。だから、言論の自由を優先するべきという考える人もいるかもしれません。一方、国家の統制を維持することも国民の利益でもあります。この両方のバランスの中で、司法制度が成り立っていると考えると、答えは自明ではないのです。

余談ながら現実に視点を移せば、日本の司法制度は権力機構を代弁するものという性格が非常に強いので、ある点において「正義を貫いた」sengoku38氏にも、国家の統制のために、「あえて刑罰を受けていただく」ことになる可能性もあるでしょう。ただ、日本の司法制度のもう一つの特徴として、「国民感情」の重視という側面があります。また、<仙谷内閣>が、従来の主張の中で、「検察の独立性」を強調してきたという流れもあります。そう考えると、今後、どうなるかは予断を許さないものがあります。

○物語としての正義

ベストセラーの「これからの正義の話をしよう」においてマイケル・サンデルは大きく分けて二つの主張をしています。一つは、「正義は、何らかの原則から導かれるものではない、多面的なものである」という主張であり、もう一つは、市民の政治参加の重要性です。このうち、後者については触れませんが、前者については、まさに尖閣ビデオの問題が、その良い例になっていると思います。というのも、サンデルがマッキンタイアの議論を引きながら、正義は何らかの物語(narrative)の中で初めて成り立つものであるということを主張しているからです。

人間は物語る存在だ。われわれは物語の探求としての人生を生きる。「『私はどうすればよいか?』という問いに答えられるのは、それに先立つ『私はどの物語のなかに自分の役を見つけられるか?』という問いに答えられる場合だけだ。(p.286)

尖閣ビデオの問題について言うと、これは「国家の統制」という物語と、「民主主義」という物語の対立だということになるでしょう。すなわち、以下のような二つの物語の対立です。

・ 民主党は日本の国益に反する外交を行っていて、それに関する重要な情報を隠蔽している。この事実を明らかにするためにはビデオを公開しなければいけない。罪に問われる危険を冒してまで公開したsengoku38氏は英雄である。
・ どのような理由であれ、外交上の問題にかかわるような国家機密を、公務員である海上保安官が公開することは許されることではない。

一般論として言うと、この二つの物語のどちらが正しいと言うことはできません。それぞれ、背景となる事実関係(ビデオの公開の外交上の意義等)が分からないだけでなく、仮にそれが完全に分かったとしても、両者の優劣は付けがたいものだからです。これに関連して、サンデルは次のように述べています。

まったくかけ離れた次元にあるものの優劣さをくらべるのは、どこかこっけいだ。「僕は、彼女が優れたラクロス選手である以上にハンサムだろうか?」とか、「野球選手としてのベイブ・ルースは、劇作家としてのシェークスピアより優れていただろうか?」という問いは無意味とさえ言えるかもしれない。そうした問いに意味があるのは、言葉遊びとしてだけだろう。(p.243)

たしかに、sengoku38氏の刑罰をどうすれば良いかという議論はできます。これは、司法のあり方や政治のあり方の問題とも関係しており、国民一人一人が判断を強いられているということもできます。

ただ、そうした議論が可能なのは、「司法」という物語(文脈)が指定されているからにほかなりません。一般論としての正義は、もっと多様な物語を含むものであり、そもそも答えが存在するかどうかすら疑問なのです。こうした一般的な「正義」に関して言うなら、どの「物語」が優れているかを議論するより、さまざまな物語を含んだものとして、「正義」を理解することの方が重要ではないでしょうか。

「正義」を一枚岩ではない、多面的なものであるということが分かれば、尖閣ビデオの公開問題も違った形で見ることができるし、犯罪報道を巡るバッシングの風潮も、少しは変わるのではないか。一連の報道をみながら、そんなことを思いました。

○関連記事

書評:マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』について

サンデルに興味を持った方は、リンク先の記事をご覧いただけると幸いです。

はてなブックマークに追加 del.icio.usに追加 POOKMARK Airlinesに登録 livedoorクリップへ追加 @niftyクリップへ追加 Buzzurlにブックマーク newsingにピックアップ Choixに投稿 Furlへ追加 Blinklistへ追加 Redditに投稿 twitterでReTweet

固定リンク | コメント(0件) | トラックバック(0件)

尖閣ビデオ、漏洩した後の対応も最悪だ

経済・政治・国際 | 2010/11/06

尖閣ビデオの漏洩は、個人の責任の問題はさておき、政府の情報管理のまずさを明らかにするものであることには変わりません。しかし、外交面に関して言うと、漏洩そのものより、漏洩後の対応の方がずっとずっと問題だと思うのです。

たとえば、この問題に関するワシントンポストの記事から、日本と中国の政府関係者の発言を抜粋して翻訳すると以下のようになります。とにかく読んでみてください。

仙谷由人内閣官房長官は、事件の取り調べの証拠物件であるビデオのリークは、「予期せぬ由々しい事態」と述べ、中国から外交ルートを通して、問い合わせを受けていることも明らかにした。

四方敬之(しかたのりゆき)内閣副広報官は、「日本政府は今の時点ではビデオを公開するべきではないと思う。総理は今回の事件への調査を指示しているが、今のところ本物であるという確認はできていない」述べた。

前原誠司外務大臣は「仮に政府の情報が流出したということであれば、これは事件として扱わなければいけない」と、衆議院外務委員会で述べた。

中国は、ビデオは、日本が漁船の船長を不当に逮捕したという見解を変えることはないと述べている。馬朝旭中国外交部報道局長は、同部のWebサイトにおいて「いわゆるビデオでは、真実を変えることはできないし、日本の違法な行為を覆い隠すこともできない」というコメントを発表している。

Purported video behind China-Japan clash leaked/The Washington Post

どんな印象を持ったでしょうか?日本のネットでは、「これで日本の正しさが証明された」という意見で持ちきりですが、国際政治の舞台では、「ビデオの公開に恐れおののく日本、自信たっぷりの中国」という構図になっています。政府のコメントがそのようなものばかりなのだから、当然のことです。「謙虚に対応しておけば、客観的に見て、どちらが正しいか判断してくれる」と言うのは日本人の甘えでしょう。

本来なら、政府首脳の誰かが「ビデオの公開には問題もあるが、結果として、日本の正しさが証明されて良かった面もある」この一言を言うべきでした。でも、誰も言えなかったのです。理由は分かりません。密約を守るためなのか、単に中国に媚びているだけなのか…。しかし、いずれにせよ、一般の国民から見たら「中国のご機嫌取りをしている」と思われても仕方ありません。

まぁ、そんなところです。これ以上書いても怒りにしかならないので、このくらいにしておくことにします。

はてなブックマークに追加 del.icio.usに追加 POOKMARK Airlinesに登録 livedoorクリップへ追加 @niftyクリップへ追加 Buzzurlにブックマーク newsingにピックアップ Choixに投稿 Furlへ追加 Blinklistへ追加 Redditに投稿 twitterでReTweet

固定リンク | コメント(1件) | トラックバック(0件)

尖閣ビデオ、痕跡を残さずに盗むテクニック

経済・政治・国際 | 2010/11/06

どうでも良いことですが、ちょっとだけ。

手がかりの一つは、ネットに接続しているすべてのパソコン(PC)に割り振られるIPアドレス(ネット上の住所)の調査だ。今回の場合、ユーチューブへの投稿と削除の2回は少なくともネットに接続しており、通信履歴が残っている。ユーチューブを運営するグーグルは「捜査当局から協力要請があれば検討する」としており、IPアドレスを提供する可能性もある。

だが、IPアドレスで分かるのは大まかな地域に過ぎない上、飲食店や駅などで誰でも利用できる無料の無線LANや、匿名性の高いネットカフェなどを利用すれば、特定は困難だ。

(中略)

USBメモリーは1本ずつ異なるIDが付けられている。PCにデータを移すとIDが残されるため、職場や職員私有のPCを調べれば、映像の使用状況をたどることが可能だ。

海保はデータの保管状況について「調査中」として明らかにしていないが、検察では、サーバーにアクセスしたり映像データをダウンロードしたりした場合にはIDなどが記録として残る仕組みのため、アクセス記録の調査を進めている。

投稿だれ?アドレスの痕跡、特定は時間との勝負

どういう世論工作を目的で書いた記事か分からないけど、とにかく全然時間の問題じゃないと思います。

アップロードのアクセス履歴を残さないようにすることは、いくらでもできるというのは、記事に書いてある通り。さすがに、そのくらいのことはしているでしょう。

一方、USBメモリの方もかなり困難。普通に考えると、USBメモリのIDが分かったところで、新しいUSBメモリを使っていれば、USBメモリのIDから個人を特定するのは社会的にほぼ不可能です。これも、普通に考えれば分かると思います。むしろ、アクセス日時が分かって、それと入室履歴を対照することで犯人が分かるというシナリオが一番ありそうですが、これはこれでいろいろ困難があります。

最大の問題は、HDDをバックアップソフトでコピーされると、原理的に記録が残らないということ。(なぜなら、マザーボードやHDDそのものにはログ機能がないから)PCがUSB起動に対応しているなら、USBから起動すれば、蓋をあける必要もなく、簡単。USBメモリ起動に対応していないのなら、BartPE等でCD-ROM起動する方法もあります。これだと、検察のようにサーバで集中管理していたとしても、最終的な「持ち出し」の部分のチェックはできなくなるでしょう。

こういうのにちゃんと対策しようと思ったら、サーバと端末を分けた上で、普段アクセスする端末はケースに厳重に鍵を掛けてUSB使用不可にするとか、複製するごとに、複製者を特定できる電子透かしを追記していくとか、そういう抜本的な対策を取らないといけないわけだけれど、そういうことをしていたという情報は入ってきません。だとしたら後のまつりなわけですよ。

余談ですが、状況を考えると、関係者の絶対数が少ない海保ではなく、検察の方が怪しいんじゃないかと思います。特に、パスワードだけでは全くセキュリティにならないにもかかわらず、「パスワードを掛けているから大丈夫」と主張する検察には怪しいものを感じます。漏洩させた個人の責任の是非はさておき、情報管理という面では、改善するべき問題が山積と言えそうです。

はてなブックマークに追加 del.icio.usに追加 POOKMARK Airlinesに登録 livedoorクリップへ追加 @niftyクリップへ追加 Buzzurlにブックマーク newsingにピックアップ Choixに投稿 Furlへ追加 Blinklistへ追加 Redditに投稿 twitterでReTweet

固定リンク | コメント(0件) | トラックバック(0件)

ニュースな待合室をRSSで購読する

Googleで購読 はてなRSSで購読 livedoor Readerで購読 Bloglinesで購読 My Yahoo!に追加

その他のRSSリーダー

管理人のつぶやき