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スーパーコンピュータは2位でも良い

経済・政治・国際 | 2010/10/09

「2位じゃダメなんですか?」の蓮舫発言がいまだに尾を引いているようです。大学では、「科学技術予算削減反対」のシンポジウムを頻繁に開いているし、そのために、ノーベル賞学者も引っ張りだこ。ただ、この議論、いろいろな意味で誤解されています。そこで、「2位じゃダメなんですか?」に対する批判が的外れな理由を見ていきたいと思います。

○ 蓮舫氏は「2位でもいい」とは言っていない

この話は元々、事業仕分けで担当者が「なぜ、一位じゃなければいけないのか」の説明をうまくできていなかったのに対し、蓮舫氏が「一位でなければいけない理由は何なのか?」と問いただしたことが出発点です。このことで蓮舫氏を責めるのは、あまりにも筋違いでしょう。

たとえば、学会の発表で、「その研究にはどんな意義があるんですか?」という質問がされることは良くあります。この場合、質問者は必ずしも「あなたの研究には意味がない」と言っているわけではないのです。「今の発表では、研究の意義がちゃんと説明できていないように思えます。それについてお聞かせ願えませんか?」という意味です。これと同じで、蓮舫発言を批判するのは、全くの筋違いです。

日常会話では、疑問形の発言は、ただちに否定を意味することが多いのが事実ですが、洗練された議論の場では必ずしもそうではないのです。

○ 発明や発見は1位じゃなければ意味がないが、技術的成果は2位でも3位でも良い

では、そもそもスーパーコンピュータは1位じゃなければいけないのでしょうか?これはかなり疑問です。その理由の一つとして、発見や発明と、応用上の技術的成果の違いがあります。

たしかに、同じコンピュータに関する技術でも、新規技術の開発であれば、1位(世界初の発明)でなければ意味がないという面があるでしょう。他の研究グループの真似をしたところで、科学的成果として認められないのはもちろん、特許を取得することもできないため、大きな制約が課されることになります。

ただ、スーパーコンピュータは、そういう話ではないのです。かつてスーパーコンピュータと言えば、一つのプロセッサ、一つのモジュールの能力が、通常のコンピュータとは桁違いに大きいということを意味していました。この場合、技術水準と性能がある程度一致していたのです。しかし、現代のスーパーコンピュータは、パソコンと同等のモジュールを、並列動作させることで性能を高めています。単純化して言えば、たくさんのパソコンを連携させて作られているのが現代のスーパーコンピュータなのです。

つまり、現代のスーパーコンピュータは、「金をかければ1位になれる」という要素があり、そこには必ずしも技術的な発明とか発見が必要なわけではありません。たとえて言えば、「高層ビルの世界一」とか「世界一の長さの橋」とかと同じようなものと言えるでしょう。それは、あくまで需要があるから作られるものであり、「あえて目指す」ようなものではないのです。もちろん、世界一の高層ビルが素晴らしいのと同じように、世界一のスーパーコンピュータも素晴らしいわけですが、「一位になるために努力をする」と言うのは筋違いだし、多額の税金を費やすようなことではないと言えます。

税金の使い道ということで言えば、1位のスーパーコンピュータを力ずくで作ることよりも、2位のスーパーコンピュータを低価格で作るための新しい技術を開発したり、10年後、20年後のコンピュータを見越した技術開発をすることの方がずっと重要です。これは、発明や発見と技術的成果の大きな違いではないかと思います。

○ いずれにせよ研究開発の選択と集中は必要

さて、最近、スーパーコンピュータは、科学技術予算の削減の象徴とされている面があります。これが、必ずしも適切ではないということについては、上で書いた通りですが、もっと根本的な問題として、そもそも科学技術予算の削減が適切かという問題はあるでしょう。これはこれでまた難しい問題です。

たしかに、お金が無限大にあるなら、さまざまな分野の研究、それも、直接国民の利益になりそうな研究から、ほとんど役に立ちそうにない研究にまで幅広く予算を使い、科学技術を振興していくことは有効だと思います。しかし、今の日本はそんな状況でしょうか?科学技術に予算を使った分だけ、医療や福祉が削られる…そんな状況で、研究開発の「選択と集中」が必要になってきていることは言うまでもありません。

ここで考えなければいけないのは、グローバル化した世界において、直接・間接に実用化や特許に結びつかない研究開発は、直接的には「税金の使い損」だということです。なぜなら、論文として発表された成果は、世界の全ての国の研究者・企業が、自由に利用することができるのであり、その研究が行われた国の国民に対して何も還元されないからです。国際競争という観点から言えば、金にならない研究に関する予算はなるべく削り、優秀な研究者は国外に行っていただく。そして、応用研究をする時だけ、日本に帰ってきてもらうのが一番良いのです。もし、言語の壁が、技術開発上の制約になるというのなら、英語力を高めるために予算を使った方がよほど安上がりに済むでしょう。

もちろん、これは若干極端な話です。息の長い基礎研究が、後になって大きな応用上の成果をもたらすことはあるし、優れた基礎研究を行えるような環境で人材を育成するからこそ、応用上の成果が生まれてくるという面もあるからです。特に後者の側面は、産業立国を目指す日本として重要ではないかと思います。

しかし、だからこそ、限られた予算の中で研究水準を落とさないよう、優れた研究に多くの予算を投入し、そうではない研究の予算は絞る、こういう「選択と集中」は避けられなくなっているのではないでしょうか。

そういう点から言うと、国民向けのパフォーマンスとして「世界一の性能」を目指すスーパーコンピュータに対して「2位じゃダメなんですか?」と聞く質問は、非常に本質的で的を射ているとも言えます。たしかに、「世界一の性能」が、「世界一の研究水準」に結びつくのなら、「世界一の性能」を目指す価値はあります。しかし、スーパーコンピュータに関して言うと、この両者は直接結びつきません。そうだとしたら、性能の上では「2位や3位でも良い」とあきらめた上で、いかに「世界一の研究水準」を目指すかを考えることの方が、日本の将来にとってよほど重要なのではないでしょうか。

「2位じゃだめなんですか?」という言葉を、「ハコモノ」を重視して、人材育成や基礎研究を軽視している現状への批判と考えるとしたら、これを安易に批判することはできないのではないかと思います。

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