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「怠け者社会」は期せずして来る

経済・政治・国際 | 2010/09/07

「フランスの日々」というブログは、日本人のコンプレックスをくすぐるようなタイトルとは裏腹に、フランス在住の著者の視点による、鋭い記事が多く掲載されていて、素直に尊敬しています。かっこ良さそうな思想家の名前とか、ブランドの名前でも散りばめられていれば、「なんだこのフランスかぶれ」とでも思えるのですが、そういう要素が全くないのが憎いところです。そうした「狙ってる感」を自覚することは大切だとは思いますが…(cf:堀江さんに対する反論記事の末尾)。

さて、「フランスの日々」では、最近、フランスとの比較を踏まえて「怠け者同盟」という提案をしています(怠け者同盟の社会のまとめ)。若干、補いながら、自分なりに整理すると以下のようなことです。

市場経済では、いくら競争をしても、競争をした分だけパイが増えるのではなく、次第にパイの増加は緩やかになっていく。そして、緩やかになった分は、いわば「無駄な競争」になる。したがって、ある程度競争を制限した方が、みんなが幸せになれるのではないだろうか。こうして競争を制限して、みんなが幸せになろうとする社会が「怠け者同盟」の社会である。

ここで、競争の制限をどの程度行うべきかは、人々がどれだけパイの増加(豊かな暮らし)を求める度合いと、その経済の労働生産性のバランスの問題である。前者が高ければ、競争は制限しない方が良いことになり、後者が高ければ競争を制限した方が良いことになる。つまり、人類全体としての労働生産性は今後も高まり続ける以上、次第に「怠け者同盟」に傾いていくのは当然。日本も、そういう方向性を考えた方が良いのではないだろうか。

まぁ、他にもいろいろ述べられていますが、基本的な論点については、こんなところだと理解しています。

言っていることそのものに異論はないのですが、追加したい論点が一つあります。それは、「怠け者社会」を実現するための政策は、失業対策でもあるということです。多くの人が失業している社会においては、仕事量を制限しても、全体としての生産量はあまり変わらず、単に失業者を吸収することになります。社会全体の「ワークシェアリング」とも言えるでしょう。仕事量を制限することが失業対策にもなっているのです。つまり、「怠け者政策」(労働時間の制限)はフランスのように超高失業率の社会だからこそありえたということを示唆しています。

これは、「怠け者社会」の議論とどういう関係にあるのでしょうか。すでに説明したように、市場経済では、いくら競争をしても、競争をした分だけパイが増えるのではなく、パイの増加は緩やかになります。ここで競争を制限するというのはありえる話です。ただ、そこで無理に競争を制限しなくても、市場原理によって、労働市場において労働者そのものが余るようになるのです。こうなってから初めて、「怠け者政策」(労働時間の制限)を導入するというのもありえる話です。むしろ政治的に言うと、この状態にならないと、「怠け者政策」(労働時間の制限)を取ろうという話にはならない可能性が高いでしょう。

これは、実は先ほどの論点と矛盾しません。過剰な競争になったときに、労働者が余るようになるかどうかは、人々がどれだけパイの増加(豊かな暮らし)を求めるかに依存します。言うならば、パイの増加にこだわらない「怠け者文化」の強い経済では、早い段階で労働者が余り、「怠け者文化」の弱い経済では、労働者が余らず、過剰な競争が続くことになります。また、労働生産性が高い経済では、労働者が余りやすくなり、労働生産性が低い経済では労働者が余りづらくなります。ここで、労働者が余るという現象が起きたときに、それを緩和するために使われるのが、「怠け者政策」(労働時間の制限)ということになると思います。

要するに、「怠け者文化」の強い国では「怠け者政策」を取らないと失業者が増えてしまうのです。「フランスの日々」では、「怠け者文化」の浸透と「怠け者政策」をセットで考えて、「そういう社会も良いじゃないか」という話をしているので、主張として間違っているわけではないのですが、「怠け者文化」だけを浸透させようとすると、高失業率社会になってしまうということは考えないといけないでしょう。これは「フランスの日々」で指摘されていた「怠け者社会を実現するためには、抜け駆けを許さない仕組み=怠け者政策が必要」(link)という論点と一致します。

そうとは言っても、思想的な取り組みによって、「怠け者文化」を根付かせるのは困難だと思います。絶対に無理とは言いませんが、大抵、こういう試みは失敗します。そういう意味で「フランスの日々」の主張は、ちょっと現実的ではありません。むしろ、日本のように怠け者文化の浸透していない国でも、労働生産性が向上すれば、失業率が高まり、怠け者政策が必要になります。今の日本は、すでにこういう局面に入りつつあるのではないでしょうか。労働生産性が向上する一方、グローバル化によって日本の国際競争力が低下した今だからこそ、労働力の流動化と、それによる失業率の向上に見合った形での、適度な「怠け者政策」が必要ではないかと思います。無理して「怠け者文化」を浸透させようとするより、こうした現実に対して適切な対応を考えることの方が重要なのです。

ちなみに、こうして期せずして来てしまう「怠け者社会」に当たって、その文化的背景を考察することは重要です。こういう興味深い論点を設定してくれた「フランスの日々」に感謝。

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