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マスゴミと言われる本当の理由―コミュニケーションデザインとしてのジャーナリズム問題

経済・政治・国際 | 2010/07/30

昨今、大手マスコミに対していろいろな批判が寄せられます。偏向、不祥事、バラエティ化、いろいろありますが、自分としては、単純な話「つまらない」というのが自分の正直な感想です。たまに新聞を見ると昨日のニュースの上澄みのような表面的な情報だけが書いてある。しかも、全新聞社が金太郎飴のように同じ趣旨の記事を書くので、とにかくつまらないのです。特集記事や解説記事にはまれにおもしろいものもありますが、それだって、雑誌やブログと比べると掘り下げが足りないと感じます。

「玉石混淆となりがちなネット言論ではなく、公器としてのマスコミには一定の役割がある」という主張に一定の真実があるのは分かります。ただ、そうとは言っても、マスコミの報道には、政府発表をまとめる程度の機能しかない一方、ネット言論を取捨選択する仕組みも、かなり整ってきています。こうした中、論評や批評といった機能はネットに移っていると言って良いような、そういう状況を感じるのです。

◎表面的な問題として

こうした中、この1~2年の間に、フリージャーナリストが、マスコミの問題点についてさまざまな発言をするようになり、こうした発言がネットで注目されることで、マスコミの何が問題なのかが伝わってくるようになりました。要点をまとめると以下のようになるでしょう。

1. 欧米では通信社は単なる事実の伝達(政府発表の伝達を含む)、新聞社は独自取材と論評というように棲み分けができている。しかし、日本では、通信社も新聞社も通信社としての役割しか果たしていない。(参考:国際会議でもぶら下がり取材に邁進、「ガラパゴス化」した日本の新聞社
2. 日本は世界にも稀な記者クラブ制度を有している。大手マスコミは記者クラブ制度を守ることによって、彼らは競争相手となる雑誌やフリージャーナリストを排除している。一方、そのことで記者会見では緊張関係のある質問が見られなくなり、国の方針にしたがった報道をせざるをえなくなっている。(参考:なぜ記者会見がオープンでなければならないのか
3. 権力に抱き込まれている。官房機密費が大手マスコミに流れており、しかも、国の存亡にもかかわるこの事実を、大手マスコミは全くと言って良いほど報道しない。(参考:マスコミは“白旗”をあげるべし! 官房機密費問題の副作用

背景には新聞社の労働慣行や国民性など、さまざまな問題があるでしょう。しかし、これらのことが導いている現実は、恐ろしいほど一致しています。

報道対象の発表をそのまま垂れ流すだけで、独自の取材・論評・批評をしない。また、それをする能力がない

要するに、日本のマスコミは政府の発表を配信する通信社の仕事を、各社が重複をしながら横並びでやっているだけで、何もしていない。それ以上の仕事をする気力も能力もないわけです。このことは、私たちが「偏向報道」と感じる大手マスコミの報道姿勢、雑誌やブログと比べて「つまらない」記事しか書けないという現実を良く説明してくれるでしょう。マスコミが「マスゴミ」である理由を説明するのに必ずしも陰謀論を採用する必要はなく、かなりの部分、こうした事実によって理解できるのです。

◎ジャーナリストのコミュニケーションの問題として

ただ、なぜ、こういった現状になってしまったのかというと、それは別の問題です。そして、それは、一般的にはほとんど議論されていません。これでは、ジャーナリズムの問題を把握したことにはなっても、解決策はいつまでたっても見つからないでしょう。少なくとも当分の間、国民に対して圧倒的に強い影響力を及ぼすのは大手マスコミであり続けるという予想を踏まえると、このことは、すなわち、現代の政治がいつまでたっても現状から抜け出すことができないということを意味しています。

一般に、特定の人々(たとえば、ジャーナリスト)の行動が問題になっているとき、その人たちを憎悪したり、非難したりすることは全く意味がありません。彼らは彼らのコミュニケーションのマナーにしたがって行動しているだけであり、外部から非難されたところでその行動様式を変えることは容易ではないからです。彼らは全体の利益を考えて行動しているわけではなく、あたかもロボットのようにジャーナリズムというコミュニケーションのシステムに組み込まれているのに過ぎないのです。

では、どうすれば良いのか。一番重要なのは、現状のコミュニケーションのマナー、モラルの何が問題かを把握し、どのように変えれば良いかを考えることです。コミュニケーションのマナーを構築するためには、政府による規制、言論を通した自律的な変革、様々な方法がありますが、いずれにせよ、それに先立つものとして「適切な把握」がなければいけないのです。そこで、上に挙げたジャーナリズムの問題を、こうしたコミュニケーションの問題として言い換えると、以下のようになるのではないでしょうか。

1. 横並び思考。メディアが一斉にある立場に立った報道をしているときに、それと同じ報道をすることに安心し、それに満足する。
2. 論評・独自取材の軽視:政府発表や企業人事のように、いつかは確実に公表されるであろう情報を、他のメディアよりも早く報道することに価値があるだと考える。
3. 個人の責任の軽視:問題のある報道があったとき、記者個人ではなく企業全体が批判されるため、ジャーナリスト個人としての責任意識が育たない。

ここから、ある一つのジャーナリスト像が見えてきます。

個人としての責任よりも、「ムラの秩序を壊さない」ことを重視し、他社と違う報道をしたり、独自の論評・取材をすることを嫌がるジャーナリスト。

これが日本のジャーナリズムの問題の原因だとすると、なかなか根深い問題だということが分かるでしょう。

◎読者のコミュニケーションの問題として

こうした現状を変えるためには、最終的にはジャーナリストの間で、こうした問題が共有され、彼らが自律的に変化していくのを待つしかありません。しかし、ジャーナリズムは、他のさまざまなコミュニケーションと関わり合いながら存在していることを用いて、ジャーナリズムの外部から、ジャーナリズムの変革を迫るというのも解決策の一つではあります。

この対策には、いくつかのものが挙げられます。

1. 法律の変化
2. 権力や圧力団体側の変化
3. 読者による評価方法の変化

ただし、このうち2は非現実的だし、1の効果は限定的なので、実質的には3を考えるしかありません。これは簡単なことではありませんが、たとえば以下のようなものが挙げられるでしょう。

a. ジャーナリストの独自の視点・論評を正当に評価するようにする
b. 読者はニュースソースに直接当たり、新聞報道に頼らないようにする。(参考:マスコミを変えるためにギークにできること
c. 問題のある報道に対しては新聞社全体を批判するのを止め、ジャーナリスト個人を批判して退場を迫るようにする(もちろん、そうしたジャーナリストを解雇しない新聞社は批判されて当然)。一方、個人名を前面に出しているフリージャーナリストに関しては、たとえ過去に問題があっても、きちんと謝罪をしていれば匿名報道の新聞記者より高く評価する。

こうした意識が読者の間で広まり、それがジャーナリストも無視できないようになったとき、否応なしに「ジャーナリストの間で問題が共有されることによる自律的変化」が起きてくるのではないかと思います。そういう意味で、ジャーナリズムの停滞の原因は、私たち一人一人の意識の問題でもあるのです。私たち自身がこうして自分たちの力を理解し、自分自身の価値観や判断を見つめ直すとき、それが本当にマスコミを動かす力となるのではないかと思います。

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