経済・政治・国際 | 2010/07/19
最初に結論を言っておくと、自分は、現状では、外国人参政権にも移民にも反対。なぜって、今の日本で、外国人参政権や移民政策を推進したら、日本という「国のかたち」が保てなくなると思うからである。ただ、そうした現状で良いと思っているわけでもない。移民政策も可能にするような新しい「国のかたち」を考えることが、日本にとって急務なのだ。
日本は「単一民族国家」かどうかっていう話がある。定義上「単一民族国家」なのかどうかにかかわらず、日本というのは、単一民族であるという「虚構」の元に成り立っている国である。別に、そのことを肯定しているわけではないけれども、多くの国民の意識として、「そうなってしまっている」というのは事実なのだ。
たとえば、フランスは単純に言えば「自由」という理念があって、そこで国民がまとまっている。フランス国民とは、「自由という価値観を共有する人々」なのだ。これはアメリカも同じで、「正義という価値観を共有する人々」がアメリカ国民ということになる。もちろん、かなり単純化して説明しているが、重要なのは、「保守・リベラル」といった対立があっても、ある程度、国の理念に関しては共有されていこと。もちろん、そんなに単純な問題ではなくて、それぞれ問題を抱えているわけだけれど、とりあえず理屈の上ではそうなっている。だから、移民政策に関しても(理屈の上では)矛盾がない。
ただ、日本にこれと同じような理念があるのかというと、どう探してもない。みんなバラバラの「国のかたち」を考えている。「西洋からの輸入品である自由とか人権の概念を捨てて、日本の国の伝統を守ろう」なんていう意見が幅を聞かせているかというと、「正義を貫くことよりも、アメリカに追従することで自国の安全保障を守ることが重要」などという意見がまかり通っている。要するに目指すべきところすら分からないのに、一つの国に関する議論が成り立っているかのように見える。この理由は、「みんな同じ日本人だよね~」って思っているからにほかならないのだ。肌の色も同じ、顔つきも同じ、話す言葉も同じ、同じテレビを見て育った人だから、「分かり合えるに違いない」と思っている。
こうして、「肌の色も同じ、顔つきも同じ、話す言葉も同じ、同じテレビを見て育ったよね~」っていう感覚を広い意味での民族と言うとしたら、日本は単一民族国家にほかならない。ここで「単一民族」という表現を使うが間違いだというのなら、「単一民族感覚」とでも言えば良いのだろうか。もちろん、これが虚構だというのは言うまでもないことだ。たとえば、日本ではほとんどタブーになっていることだけれど、沖縄出身の人は、顔つきと姓が特徴的なのでかなりの率で判断できる。顔つきと姓、言葉に関して言えば、通名を使っている在日韓国人の方がよほど本土の人間に近い。それでも、沖縄の人が日本人ということに抵抗がないのは、国語教育とマスコミによる、そして単にみんながそう思っているということによる虚構にほかならない。「単一民族感覚」というのは、それでも「分かり合えるに違いない」と思う虚構が成り立っているということだ。日本は「理念」ではなく、「単一民族感覚」によって成り立っている国なのである。
もちろん、「虚構として成り立っている」というのは日本だけの話ではない。アメリカ人が「正義」を語ったって、言うまでもなく人によって正義の意味は違うし、フランス人が「自由」を語ったって、言うまでもなく人によって自由の意味は違う。違うけれど、同じ言葉を使っているから「分かり合えるに違いない」と漠然と思っている。別に本当に分かり合えているわけじゃないのだ。ただ、彼らの場合、「分かり合えるに違いない」という虚構が「理念」によって成り立っているのに対し、日本人の場合、「分かり合えるに違いない」という虚構が、「単一民族感覚」にあるという違いだけだ。
この違いは小さいようで大きい。移民を受け入れるというような話になったとき、「理念」で成り立っているアメリカやフランスは移民を受け入れても国のなりたちが壊れることはないけれど、「単一民族感覚」で成り立っている日本のような国ではそれが成り立たない。今の日本の現状で、移民政策を推進してしまったら、「分かり合えるに違いない」という虚構が虚構としてすら失われてしまう。
もう少し具体的に言おう。移民政策を安定して進めて行くためには、何らかの意味で「同化」が必要だ。ここで「同化」っていうのは、決して、文化的に同化させることじゃないし、遺伝的に同化させることでもない。そうじゃなくて、「国としての理念を共有する人々」を増やしてくということ。たとえば、平和憲法の理念を教育するとか、人権の大切さを教育するとか、そういうことによって安定した移民政策が可能になるわけだ。しかし、今の日本でそんなことが可能か、と言ったら絶対に無理である。平和憲法はともかく、「人権」ですら反発する人がいる。そうした「理念なき国」で移民とうまくやっていけるというのは幻想を抱きすぎだろう。
これは外国人参政権の問題についても同じだ。原則論として言えば、外国人に参政権を与えるというのはありえないが、同化政策の一環としてであればありえると思う。たとえば、参政権を与え、韓国文化の尊重を支援する代わりに、日本人としての教育を義務づけるというようなことだ。外国人参政権を国内の民族的対立をなくすためのコストと考えるのであれば、むしろ安い買い物とも言える。しかし、在日韓国人の子弟に「どういう理念を教えるか」ということすら国民的合意が得られない状況で、こうしたこと実現するはずがない。今のように「単一民族感覚」で国がなりっている現状で、日本人としての教育を義務づけるようなことになれば、在日韓国人だって「自分たちの文化が失われる」と反発するだろう。今の日本で外国人参政権を導入しても、何もメリットは得られず、デメリットだけが問題になる。「理念なき国」に、外国人参政権は無理なのである。
かつて冷戦下では、「単一民族感覚」だけでも日本は国としての形をそれなりに保っていた。国際政治の舞台で日本が主体的に判断をできる機会はほとんどなかったし、国際的な人やモノの流れもそれほど大きくなかったからだ。現代は違う。冷戦の終結とともに、近隣諸国との安全保障上の関係は大きく変化した。グローバル化の波の中で、移民や資本の海外移転にどう対応すれば良いかといった、日本という国の「境界線」にかかわる議論も盛んだ。こうした中、今までのような「理念なき国」としてのあり方が、厳しく問われているのではないだろうか。
◎追記(7/28)
自分がこの記事を書いた後、なぜか「はてな」周辺で移民の話題が花盛りのようです。影響を与えたはずも受けたはずもないので、なんだか不思議な一致です。せっかくなのでちょっとコメントします。
この二つは(単純労働ではない)高機能移民の経済面でのメリットと、治安等に与えるデメリットの低さを問題にしています。これは政府や経団連が推進する移民とは違うものの、基本的には正しい。ただ、移民に反対する漠然として理由って、経済的な問題だけではなく、もうちょっと違うものもあるんじゃないのかっていうのが、自分の立場。対立する議論ではなく、議論の観点が違うのです。むしろ、彼らの指摘するような「経済面でのメリット」を前提に、この記事があると思っていただければと思います。自分の記事では、経済面の話をすっ飛ばしてしまったのですが、ちょうど補足をしていただいたような気分です。
こちらは、自分の立場にかなり近いと思います。「異質を排除する」日本人の特性を変えない限り、移民は不可能だという主張は、自分の議論と全く同じです。ただ、上の記事の著者が「異質を排除」する傾向への対策として挙げているのは「日本そのもののグローバル化」。間違いだとは思わないけれど、もっと本質的な問題はこっちじゃないの?っていうのが、自分が書いたことです。
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国の形が崩れるというのは具体的にどういった状態になることなんでしょう.右を見ても左を見ても何となく空気読めるよねっていうのが国の形だとしたら寂しいね.共通の感覚が見あたらないものを排斥する雰囲気が実はいじめそのものでしょう.日本は全体がいじめ社会なんです.
> 右を見ても左を見ても何となく空気読めるよねっていうのが国の形だとしたら寂しいね.
残念ながら、現在の日本という国は、「右を見ても左を見ても何となく空気読めるよね」で成り立っている国なのです。そのマイナス面としては「いじめ社会」というのがあるわけですが、それでもそのことによって「国民」の境界線が引かれているという、いかんともしがたい現実があるのではないかと思います。自分は「いじめ社会」であることを肯定しているわけではなく、それが現実だということを指摘したつもりです。
> 国の形が崩れるというのは具体的にどういった状態になることなんでしょう.
アイデンティティを失い、国内の民族対立で常にいがみあっているような状態になるということです。架空の話ではなく、世界には実際にそうなっている国がたくさんあります。
エジプト報道で、朝日と毎日がすごい件
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情報学ブログさんのコメント
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国としての定義は其々の国で違うということをまず認識しないといけないと思うのです。
日本を民族から定義するとモンゴロイドで括ればOKなのがアイヌ民族とか言いだして多民族国家だいうことになっています。
地理的には島国なので非常に判りやすい。
又鎖国もしていたので独自の文化、習慣、哲学、モラルが出来ており、これが多民族の受け入れに拒否反応を示すのに繋がっていると思います。
この日本の文化や歴史を理解しない外国人が日本人として帰化することや、外国人に参政権を与えることは反対です。