ニュース | 2010/07/20
長崎県平戸市沖で昨年4月に起きた巻き網船「第11大栄丸」沈没事故で、父親を亡くした同県佐世保市、私立西海学園高(菅沼宏比古校長)の女子生徒(17)が、昨年4月末頃、古典の授業で男性教諭(50歳代)から「親が死んだことは風流だ。人はいつ死ぬかわからん」などと言われ、適応障害になったとし、同県弁護士会人権擁護委員会に人権救済を申し立てていたことが分かった。
「親が死んだことは風流だ」。この言葉が暴言と決めつけられているようですが、本当でしょうか。全く同じ言葉が、感動の一言になる場合だってあります。たとえば、この教師自らも父親を亡くしており、その辛さを話す中で、「親が死んだことは風流だ」と言ったとして、それでも「暴言」と言うのでしょうか。他の記事を見ると、教師は無常観に関して話をしたが、「風流」という言葉を使っていないと主張しているようですが、「世の中は常にうつりかわる。どんなに人はいつか必ず死ぬ。一緒にこの悲しみを乗り越えていこう」という話を生徒が勘違いしだけという可能性もありそうです。
もちろん、この教師は結果として失敗しているので、教育者としての責任という意味では、かばうことはできないかもしれません。たとえ99%の人が感動する言葉でも、その生徒が苦痛に思ったのであれば、謙虚に反省するのは教師としての責務です。少なくとも自分はそういうつもりで学生に接しています。
しかし、いわゆる「暴言」かどうかは、その場に居合わせた人しか分からないし、懲戒などがふさわしいかどうかは微妙です。もし、99%の人が感動するような言葉を言って、その生徒だけが傷ついたのだとしたら、その教師は個人的に反省するべきだとしても、懲戒はふさわしくありません。
もちろん、これは、教師本人や周囲の生徒にインタビューして判断すれば、ある程度は分かることかもしれませんが、詳しい事情も知らないギャラリーがああだこうだ言えるような話じゃないと思います。まして、こういう微妙なコミュニケーションの問題を、「人権救済」という形で解決できるのかは、はなはだ疑問と言わざるをえません。
言葉の意味は、文脈によって決まる。そのことの大切さを教えてくれるような事件です。
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