「バンキシャ!」の誤報問題

ニュース | 2009/08/23

日本テレビ:「バンキシャ!」誤報、社長らが番組内で謝罪
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090824k0000m040048000c.html

誤報が構造的な問題や手続きの問題だとしたら、きちんと謝罪・検証していくのは当然のことです。そのことについて異論はありません。しかし、どうも納得がいかないものを感じます。それは、単純に言えばバランスの問題です。

バンキシャの誤報は、マスコミによる行政に対する告発報道の誤報です。権力に対する報道は、マスコミからしたら必然的に情報不足の中で報道せざるをえない面もあり、誤報を100%阻止するとしたら、自由な報道が成り立たなくなるという問題があります。もちろん、誤報に手続き的・構造的に問題があったとしたら反省しなければいけないわけですが、大きな目で見たら「誤報が絶対に許されない」というほどのものではないでしょう。

これと正反対の誤報として、警察の捜査ミスに対してマスコミが乗っかってしまうことによる誤報があります。具体的には、松本サリン事件における河野義行さんに対する誤報が有名です。こうした問題に関して、警察は「捜査上の問題」として謝罪せず、それに乗っかる形でマスコミも簡単にしか謝罪をしない、ほとんど検証報道も行われないという現実があります。マスコミとしては「警察のせいにすればいい」という発想なのかもしれませんが、こういう問題についてきちんと検証してこそ、マスコミがマスコミとしての役割を果たせると言えるでしょう。

今回のバンキシャの問題の場合、一般に伝えられる内容を聞く限り、あまりにも検証がずさんだったという印象もぬぐえません。ただ、普段は誤報などほとんど報道しないマスコミが、今回の問題に限って異常にこの問題に執着していることには、どうも不自然な印象を受けざるをえないのです。

「裏金事件」というと思い出すのは、北海道警の裏金に対する北海道新聞社の果敢な挑戦です。この問題で、道警は徹底的に裏金問題を隠蔽すると同時に、マスコミに圧力をかけて事件をもみ消そうとしました(link)。今回の「バンキシャ」が誤報とされているのも、同じような隠蔽・圧力の結果だったと誰が言い切れるのでしょう。道警の裏金問題でも、道警が北海道新聞を追い詰め、謝罪をさせようとしていたことは想像に難くありません。

自分は別に「バンキシャ」の正当性を訴えようとしているのではありません。むしろ、それだけ大きな使命のあるマスコミが、一般に伝えられている通りのずさんな報道をしたとしたら、それに対しての批判は受けてしかるべきでしょう。ただ、今回の問題で、ナイーブに「バンキシャ」を批判している人は、もう少し大きな問題、報道の自由や、さまざまな組織による報道への圧力の問題について、もう少しきちんと考えた方が良いのではないかという気がします。

○補足

「報道の自由」についてあまり説明しなかったせいか、「誤報なんて許されるはずがない。真実を証明してこそマスコミ」という批判をいただきました。ちょっと想定していない反応だったのですが、社会の仕組みに疎い人に多い反応ではないかと思いますので、少し補足します。

誤報と言ったときの「誤り」というのは、いつも正しいとは限らず、ある視点からの「誤り」に過ぎないわけです。だから、「誤報は許されない」と言ったとき、「どの立場からの誤報か」を意識しないといけない。バンキシャの問題だって、北海道警の問題だって、「誤報」だとされるものの中に実は、真実があるかもしれないわけです。だから、一見して「誤報」だとされるものも尊重していきましょうよというのが「報道の自由」の理念です。

もちろん、誤報をしてしまったときの反省、自浄作用とか、相互批判とかそういうことは大切でしょう。そういうのがきちんとなされていなければ、「報道の自由」は、はかなくも崩れ去ってしまうからです。そういう意味でバンキシャに対する批判や反省が出てきたのなら、良いことだと思います。

ただ、「誤報なんてするな!!バカ野郎」「誤報は絶対に許されない」というような一面的な発想ではまずいのです。それは、結局、報道の否定にほかならないからです。「報道の自由」は、民主的な社会ならどこでも採用されている考え方です。日本の制度をひっくり返して、革命でも起こそうというのでなければ、きちんと理解し、尊重していかなければいけないのではないかと思います。

○補足2

自分はマスメディアに関してブログに書くことが多いのですが、「メディアリテラシー」を訴えているのではないかと誤解されることがあります。ただ、自分が主張しているのは、「メディア報道を鵜呑みにせず、真実を知りましょう」という、いわゆる「メディアリテラシー」とはちょっと違うのです。

たとえば、今回の問題の場合、たしかに、「バンキシャが誤報をした」という報道が誤報かもしれないと言っているわけなので、「メディアリテラシー的」にこの記事を読み替えることもできます。しかし、メディアリテラシー的な考え方だと、「結局、どっちが正しいの?」「この場合は、そこまで疑うようなではないんじゃないか?」ということになり、自分が言っていることの意味が分からなくなってしまうのではないでしょうか。

このあたりのことを、メインブログ(情報学ブログ)の「メディアリテラシーと情報学」という記事に書いたので、合わせて読んでいただけると幸いです。

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