ニュース | 2008/10/02
今更言うことではないですが、世襲議員は、「票」とともに「利権」も引き継ぐので、国民向けの政治がしづらいということが良く指摘されます。また、世襲というだけで議員になるので、能力のある人材が活用されづらくなるという問題もあります。
ここで、「国民が選んだ二世議員を否定するのは民主主義の否定」などというのは、政治に対してあまりにも無知な考え方でしょう。
そもそも、民主主義は、選挙制度だけに注目すれば、完全なシステムではなく、「衆愚政治」「利権政治」に陥る宿命があります。そして、これを補うためにさまざまな努力が必要なのです。その中で、二世議員や利権政治家を許さないというような、国民の意識を向上させることは、重要なポイントの一つでしょう。書いたのがゲンダイということで、中傷に似たコメントが多いのですが、言っていることそのものは間違いではありません。
また、この記事に対して、「他にも世襲議員は多いのに、小泉氏だけを批判するのはおかしい」という批判があるようですが、これは小泉氏が、「議員の世襲」を含めた「古い政治のあり方」に対して批判的であった―と、少なくとも国民からはそう思われていたという事情を無視して考えることはできないでしょう。「小泉政治」と言っても、20歳前後の若い世代の人には縁がない話なのかもしれませんが、せいぜいそのくらいの勉強はしてほしいと思うものです。
「私が初めて立候補したときよりしっかりしている」と紹介し、世襲批判には「親バカかもしれないが、私も普通の親」と開き直った。
こんな小泉の引退に「引き際が潔い」「権力に執着しない」「小泉流の美学」といったお追従が聞かれるが、これほど醜悪な引退劇も珍しい。マトモな人間なら、子供を後継から外すものだ。
この人の性(さが)は“心底から”腐っている
http://news.livedoor.com/article/detail/3842537/
固定リンク | コメント(7件) | トラックバック(0件)
コメントありがとうございます。
ただ、
> 次男の人の経歴も触れずに(元記事でも書いてなかったですよね)ただ世襲だからダメというのは、それ以上におかしいです。
元記事にも書いてありますよ。
その上で書いた本文です。
念のため。
世襲議員ですが、別にいてもいいと思います。結局、国家政治のために、あらゆるしがらみから離れて超然的に抽象的に思考できる立場が必要な場合もあります。二世議員はそこが強みです。政治家が労働組合からの強い支援でなった議員や、土木関係者の支持が厚い議員だったり、自衛隊関係者の支持が厚い政治家であったりすれば、彼らに対する還元を何らかの形で実施する必要が生じます。貴族的な二世議員はそこがフリーになっているのです。
議員に専門的な知識はなくても構わないのです。そもそも、一人の人間である総理大臣に、防衛、外交、教育、警察、経済などなどすべてのことに精通することなど不可能です。
結局は、その選挙区の有権者の問題です。
ヒトラーを選んだドイツ国民は、そのつけを自分で払いました。これが民主主義です。
失礼。
> 進次郎は関東学院大を卒業後、米国に留学し、ワシントンの戦略国際問題研究所に入った。
と1行だけ書いてましたね。私にはこの経歴(?)から次男の能力はさっぱりわかりません。大学で何を専攻したか、米国留学で何をやったか、戦略国際問題研究所で何を担当したか、がまるで書かれていません。
情報学ブログさまはこの1行の経歴から次男の能力を把握し、国会議員に不適切だと思われたのですか?
次男の能力はともかく、「小泉は『古い政治のあり方』を否定してたんだから、当然子供を立候補させることなんてないとみんな思ってる、空気読め」と空気を読んでもらえないことを憤ってるようにしか読めなかったのですが。
国の政治家というのは、国のことを総合的・大局的な視点でみれる人が適切だと私は思っています。
つまり一つの視点でしか見れないスペシャリストではダメで(政治学のみというのもダメ)、経歴でいうなら3つの専門知識くらい修めているほうが望ましいです。
1つのことに特化した専門知識なんかは、そのために官僚がいるので彼らにまかせたほうがいいです。ただ官僚ではどうしても大局が見きれません(見れる人なら政治家になったほうがいい)。そんな彼らの指導・調整役として、政治家が活動します。
いわゆる2世議員は、親が最初から後継者にすることを考えていた場合、そうしたゼネラリストとしての教育を受けることができます。また親が高名な政治家であれば、国内国外の人脈をつくりやすい点で有利です。特に2世であることの問題は感じません。
問題なのは、どうみてもゼネラリストの才覚がない人物が(専門バカ、あるいは目先のことにだけ振り回される……後者はマスコミも同じですが)2世議員ということで当選してしまうことです。
これはどちらかというと世襲の問題というより、そういう人物が当選できてしまう選挙制度の問題だと思います。
イギリスのように立候補&当選を目指した選挙活動のハードルを下げる、あるいはフランスのように政治家としての才能のある人間がちゃんと当選できるような仕組みをつくる、などいろいろやり方はあると思います。
今の世間を見ていると、世襲という権益について(資本主義国家なら当然あるものなのですが)やっかんでるようにしか見えません。世襲でよく非難されるのは庶民感覚から離れているということですが、世襲でない人だって庶民感覚から離れているような人が多いように思えます。そもそも架空の「庶民感覚」という概念を持ち出すことで、それに乗っ取っていないからダメだと世襲議員に大してのみ憤ってるようにしか見えません。
それに国会議員が本当に大局観のあるゼネラリストならば、マスコミや庶民の考えとは全く違う見識を持つのはよくあることです。まあ庶民と感覚が違う、ならば良い政治家である、とはなりませんがね。残念なことに日本では後者な感じな人が多いですが。
さて、もう一度お聞きします。
このエントリで情報学ブログさんが書かれたことは、ただの世襲批判であり、次男氏の能力の如何を問わず世襲だからダメといってるようにしか見えないのですが、どのへんが「その上で書いた本文」なのですか?
> noteさん
本来「世襲議員批判」は、システム全体に対して向けられるものなので、本来、個別の人間の能力について議論するものではありません。そんなことを言ったら、「絶対王政だって、良い王様が統治すれば良い社会になる」ということになってしまいます。今回の問題について言えば、、「小泉氏という特定の人が」「世襲という一般的なもの」のが問題であり、小泉氏の次男が優れた能力を持っているかどうかは、本来問題ではないのです。
実際に当選した上で、優れた能力を発揮したら、その時点で「世襲だけど優れた能力を持っていたね」と評価すれば良いわけで、今の時点で未知数の能力を問題するのが意味があることとは思えません。
ただ、あえて経歴について言うなら、経歴からは日本の大学受験を通過するような能力…、概念操作能力や記憶力が、低いということが予想されます。もちろん経歴だけで人の能力が測れるとは思いませんが、少なくとも経歴から能力の高さは感じられません。本文は経歴に注目して書いたものではありませんが、noteさんのように経歴に注目するなら、そういうことになるでしょう。
それから、自分は「庶民感覚」などという言葉を、このブログで使ったことはないと思います。念のため。
> ツーラさん
世襲議員が一人もいてはいけないということではありません。ただ、「名前を知っているから」「あの人の子どもだから」とりあえず入れるという風潮が、政治にマイナスの影響を与えるということは言えるのではないかと思います。
それと、たしかにこれは日本の政治システムの外部から見れば有権者の問題に「過ぎない」問題です。しかし自分も有権者であり、マスコミの多くも有権者の立場から議論しています。世襲議員の問題を語るのは、まさに「有権者の問題」であり、だからこそ語る価値があるのではないでしょうか。
絶対王政でも、良い王様が統治すれば、よい社会が実現できましょう。独裁のほうが、議論なしで、効率的に意思決定を行えるため、独裁者がミスをしないという条件付であれば、システムとしては優れています。
民主主義制というのは、独裁制に比べて、討議に時間をかけざるをえないため、重大なミスをしにくく、博打的な振る舞いをしないというだけであって、積極的に良い社会を実現するための手段にはなっていないと思います。
世襲議員は、政治思想的には親に似ているはずですから、そういう意味でも、現状維持でいいと考えている保守的な有権者にとっては魅力的な候補であると思います。まじめに選挙公約や党綱領を呼んでいる人間のほうが少ないですし、そんなことしくても、だいたい親父と同じだろっていうことでは極めてわかりやすい存在です。
また、名前を知っているから入れるというやつって、わざわざ投票所まで足を運びますかね。たまにアホタレント議員が当選する場合もありますが、東大法学部卒の官僚上がりの政治家よりはましでしょう。
票を入れたい候補者がいないが、当選してほしくないやつを阻止する目的でタレントに票を入れる場合もありますし、候補者もバカじゃないですよ。
私にすれば、誰がなっても変わらないから、政治なんかどうでもいいやっていうぬかしているやつのほうが問題だと思いますよ。自由と義務の関係で以前熱く語りましたが、戦場で死ぬことと投票権は等価であるというのが自由主義の本質だと思っているので、これのほうが異常だと思います。衆愚政治などより、こっちほうが危険ではないでしょうか?
民主主義のシステムは、
単に有権者→政治家という関係から言えば、
「うまくいく方が不思議」というシステムかもしれません。
しかし、民主主義のシステムは、
常に「マスメディア」と「学問」を要求します。
これらが相互に刺激、抑制し合いながら運営されていくところに、
より良い政治が行われていくというところに、
民主主義の理念があるのではないでしょうか。
ただし、これははっきり言って「理念に過ぎない」と言えば理念に過ぎないものだと思います。
「絶対王政」でも良いのだから、世襲も悪くないだろう…
というのに反論するつもりはありません。
しかし、こうなると、単に「民主主義を否定する保守思想」ということになり、
同じ土俵で議論をすることさえ困難ではないかと思います。
以前、ツーラさんはギリシャのポリスをモデルにした
民主主義の話をされていたので、
ラディカル・デモクラシーの流れをくむ思想に基づいて
語ってらっしゃるのだと思っていましたが、
このコメントを見ると、どうもそういうわけではなかったのかもしれません。
エジプト報道で、朝日と毎日がすごい件
に対する
情報学ブログさんのコメント
硫化水素自殺って楽に死ねるんだろうか?
に対する
真実さんのコメント
大学に市場原理を導入する方法
に対する
北風mk-2さんのコメント
八百長力士を処分するべきなのか?
(2011/02/05)
ロシア大使更迭経緯の流出は誰のリークか?
(2010/12/24)
大学に市場原理を導入する方法
(2010/12/23)
サンデルの政治哲学と日本の戦争責任問題
(2010/12/12)
負の所得税としての子ども手当
(2010/12/11)
この手の問題はよく非難されますが、ほとんどは持てる者へのやっかみを自分の倫理で攻撃しているという論調になっているようにみえます。
問題なのは、「国のことを考える人間」が議員に少ないということではないでしょうか?
親だから(能力は問わず)子供に地盤を引き継がせたいというのは、国のことではなく、個人のことを優先して考えているという意味で、その理由はおかしいです。
ですが次男の人の経歴も触れずに(元記事でも書いてなかったですよね)ただ世襲だからダメというのは、それ以上におかしいです。
27歳という若い年齢なので、2つくらいの修士(全然別の分野のもの)などを持っていれば(もしくは防衛大卒+ハーバードMBA)とかを持っていれば、世襲でもなんでも有為な人材だと思います。
もちろん次男氏の経歴がどうかはしりませんが(このエントリにも書いてませんし)、その経歴に触れもしないで世襲だからおかしいというのは、やっぱりおかしいですよ。
親の七光り以外に本人の人生に他人を説得できるだけの材料がない平凡な人材が、親が有力な政治家だったという理由で二世議員になっている、ということは私も早急に終わりにしないといけないし、イギリスのような選挙制度であればいいなとは思いますが。