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日の丸と神道を結びつける右翼こそ、ナショナリズム衰退の原因

経済・政治・国際 | 2008/04/12

今、「右翼」と呼ばれる主張をしている人の多くは、日の丸と神道を結びつけるような議論をします。「日本人であれば、日の丸を国旗とし、日本の伝統である神道を崇めなさい」というような話です。もちろん、全ての右翼思想の持ち主が、日の丸と神道を結びつけていると言いませんが、そのような議論が目に付きやすいのは事実でしょう。

しかし、この議論こそ、日本人の「日の丸に対する嫌悪感」「ナショナリズム衰退」の原因となっているということにどれだけの人が気づいているのでしょうか。多くの世論調査が示しているように、日本人の多くは、日の丸を国旗として受け入れる判断をしています。しかし、「日の丸」の血塗られたイメージに対する反発を感じる人も少なくないでしょう。これは、単に左翼が作り出したものではありません。日の丸を神道と結びつける右翼こそ、結果として、血塗られた日の丸のイメージを固定させる積極的な役割を果たしていると言えるからです。

これは、二つの問題に分けて考えることができます。

一つは、日本の伝統習俗としての神道と、国家神道は異なるということ。ちょっと歴史を調べれば、国家神道が、明治期に国家体制の確立を目的として人為的に作られた宗教だということは分かると思います。西洋の国家体制がキリスト教の神を中心に作られていることを模倣し、天皇を中心に、さまざまな神を秩序付ける新宗教としての「国家神道」が生まれたわけです。また、太平洋戦争においては「軍部礼賛」と国家神道は密接に関係するものだったことは言うまでもありません。つまり、かりに「日本の伝統」を言うのであれば、そこで尊重されるべきなのは、伝統習俗としての、つまり八百万の神を祭る習俗としての神道であって、軍国主義と密接に結びついた国家神道でないことは明確です。それでもあえて、国家神道を持ち出すことは、「軍国主義体制」への礼賛に結びついてしまうのは仕方ないでしょう。つまり、日の丸と国家神道を結びつけることは、結果として日の丸に「軍国主義」というレッテルを貼ることになっているのです。

もちろん、そういう立場の「日の丸」に賛成する人がいるのは仕方ありません。しかし、問題は、日本にはそうではない立場の人の方が多いということです。日の丸に軍国主義のレッテルを貼ることは、結果として日の丸のイメージを傷つけ、ナショナリズムへの嫌悪感を増大させていると言えます。

一方、国家神道であるかにかかわず、神道とナショナリズムは一致しません。実際、日本は信教の自由がある国であり、その中で積極的に神道を信仰する人は必ずしも多くありません。そして、歴史的な議論がどうであれ、宗教に対するアレルギーの強い我が国で、神道を宗教的なものだと理解する人が多いのは事実です。たとえば、今日、カトリック系の学校では、日の丸を掲揚しないのが一般的になっていますが、これは決して、カトリック系の学校が左翼思想に染まったからではありません。右翼勢力が、日の丸と神道を結びつける立場を強調するため、神道以外の宗教を信仰する人が、日の丸を否定する立場を取ることに追い込まれてしまうわけです。

信教の自由へのこだわりが特に強い我が国において、本来の意味でのナショナリズムを強調するのであれば、特定の宗教に寄らないナショナリズムでなければいけないのは明白です。ところが、従来の右翼勢力はそれと正反対のことを行ってきました。そのことこそ、我が国におけるナショナリズム衰退の最大の原因とまで言うことができるでしょう。

日本が民主主義の社会である以上、本来、ナショナリズムを強調することと、「国家神道」あるいは一般に「神道」を信奉することは、切り離して考えられるべきです。もちろん、ナショナリストの中に、「国家神道」を信奉したり「軍国主義復活」を目指す人がいても良いとは思いますが、そのこととナショナリズムと切り離さなければ、ナショナリズムは多くの人にとって「近づきがたい」ものになり、日本からナショナリズムは衰退していくのです。

では、どうすれば良いのでしょうか。これはあくまで個人的意見ですが、このブログで自分が以前から強調しているのは、「民主主義の国としてのアイデンティティに基づくナショナリズム」「国際社会で正義を貫ける誇りある国としてのアイデンティティに基づくナショナリズム」の必要です。こうして多くの人が日の丸に誇りを持てるようになったとき、初めて、一人一人が安心して暮らせる平和な社会な実現するのではないかと思っています。

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コメント

国家神道はかなりやっかいな問題です。これは日本人のアイデンティティーに関わるわることだからです。
我々は皇室をもつことと日本人であることを分離して考えることができるか?ということです。
共産系の人が言っているように天皇制を否定したとして、西日本と東日本で分裂したりせず、日本人がそれでもなお一つの国家として存続できるのかという点につきると思います。
できるのであれば、皇室の否定は容易です。ためらう必要はなく、国家神道の問題も解決しましょう。
ですが、九州と東北を結びつけるものは皇室以外にありません。
軍国主義は脇におき、左翼思想や右翼思想にとらわれず、なぜ、日本人は千年もの長い間直接戦力を持たず、軍事的には無意味である天皇家を維持し続けなければならなかったのか、もう一度考える必要があるのでは?そうでないと、本質的な部分に入り込めないように見えます。

投稿: ツーラ | 2008/10/19 3:48:36

国家神道の問題をどういう視点から語るかというのは重要な問題だと思います。
ただ、現実問題として、
ツーラさんのように考えている人はあまりいないでしょう。
自分は天皇制に反対ではありませんが、
ツーラさんの
「天皇制がなくなると日本が分裂する」という
仮定はかなり無理があると思います。

では、ツーラさんは、
「天皇制がなくなっても日本は分裂しない」のなら、
天皇制は不要」と考えるのでしょうか?
ツーラさんはYESと答えるのかもしれませんが、
自分はそうは思いません。
歴史学や社会学では常識ですが、
近代の国家は「国語」や「マスコミ」などによって成り立っているものであり、
天皇制がなくても、これらの枠組みは消えないと思うからです。

結局のところ、天皇制は単に「日本が分裂するかどうか」という問題ではないし、
それを前提に考えなければ、
有意義な議論はできないのではないかと思います。

投稿: 情報学ブログ | 2008/11/05 22:49:36

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