情報学ブログに書くほどではないニュースネタのためのサブブログ

トップ
">ニュース
">パソコン・インターネット
">学問・資格
">情報学
">携帯・デジカメ
">日記・コラム・つぶやき
">映画・テレビ ">経済・政治・国際 ">ニュース ">パソコン・インターネット ">学問・資格 ">情報学 ">携帯・デジカメ ">日記・コラム・つぶやき ">映画・テレビ ">経済・政治・国際 ">ニュース ">パソコン・インターネット ">学問・資格 ">情報学 ">携帯・デジカメ ">日記・コラム・つぶやき ">映画・テレビ ">経済・政治・国際 ">ニュース ">パソコン・インターネット ">学問・資格 ">情報学 ">携帯・デジカメ ">日記・コラム・つぶやき ">映画・テレビ ">経済・政治・国際
アーカイブ

政治思想としてのチベット問題―左翼と右翼の不毛な対立を超えて

ニュース | 2008/04/12

○チベット問題をめぐる混乱

最近、チベットに対する中国政府の対応が問題になっています。現地では、すでにたくさんの方が亡くなっており、これから大規模な虐待・虐殺が起きるという見方まであります。こういう状況で、「政治思想としての」という記事のタイトルの記事を書くことには、後ろめたいものもあるかもしれません。しかし、我が国におけるチベット問題に関する議論を見ている限り、明らかに、政治思想上の混乱が議論を拡散させ、運動としての力を弱くしてしまっているように思えるのです。

チベット問題では、右翼・左翼といった従来の区別が成り立たちません。というのも、チベット問題に関して中国政府の対応を批判する人には、従来の区分で右翼・左翼、いずれの立場を取っている人もいるからです。

表面的に見る限り、「左より」の人と、「右より」の人では、チベット問題に対する意見の背景は根本的に異なります。「左より」の人は、中国政府による「人権侵害」に、アメリカがイラクやグアンタナモで行ってきた人権侵害を重ねて反対します。また、日本のメディアが中国政府に対して批判的な意見を言えないことに対しては、「権力によるメディアの支配」ととらえて、反発します。一方、「右より」の人は、中国政府に横暴は、日本が軍備を拡張して、中国政府に対して強硬な態度を取らなければいけない理由だと考えます。また、日本のメディアが中国政府に対して批判的な意見を言えないことに対しては、「日本のメディアが左翼によって支配されていることが原因」と考えて攻撃するわけです。

つまり、根本的に違う立場の人が、結果として同じ主張をしている。それがチベット問題の特徴と言うことができるでしょう。こうした状況で、チベット問題に関する議論は拡散し、運動全体として、大きな力を持つことができないでいるように思えます。

○右翼と左翼

しかし、そもそも右翼と左翼という区別は、いったいどういうものなのでしょうか。ステレオタイプ的な右翼・左翼という区分は以下のようになるでしょう。

右翼→親アメリカ、反中国、軍備拡大に賛成、警察権力の拡大に賛成、メディア規制に賛成、ネット規制賛成、太平洋戦争を肯定、人権軽視

左翼→親中国、反アメリカ、軍備拡大に反対、警察権力の拡大に反対、メディア規制に反対、ネット規制反対、太平洋戦争を否定、人権重視

これは切り離すことのできない「組み合わせ」として理解され、自分の立場に基づいて相手の主張のおかしなところを批判するというのが、多くの人が行っていることでしょう。

しかし、この区分はそもそもおかしなものです。「右翼」と分類されている考え方と「左翼」と分類されている考え方には両立するものは少なくありません。また、ある部分は「右翼」に分類される考え方を持っていて、ある部分は「左翼」に分類される考え方をしている人も少なくありません。

たとえば、私個人は、アメリカとの友好関係も、中国との友好関係も重視するべきである一方、両者に対して言うべきことは言っていかなければいけないと思っています。むしろ、「友好関係を結ぶためには、相手の言うことを全面的に聞かなければいけない」という卑屈な考え方こそが、日本の外交の問題だと思っています。したがって、私の立場はいわゆる右翼でも左翼でもどちらでもありません。また、軍備や歴史に関しては、「侵略戦争の反省に立った誇りある日本、誇りある軍隊」を築いていくことが必要だと思っています。従来の右翼・左翼の議論は、両方とも日本の誇りを失わせている原因だと思っているので、私の立場は、いわゆる右翼でも左翼でもありません。誇りのある国としての日本を作っていこうと思うからこそ、歴史を直視しなければいけないと思うし、関係国との友好関係を築かないといけないと思うし、また、関係国に対して意見をするところは意見をしていかなければいけないと思うのです。

警察権力の拡大やネットの規制については、現状が異常に規制推進に傾いていることに危惧をして反対する立場なので、ステレオタイプ的には「左より」ということになると思いますが、「左より」の人の中にも、「人権を守るために警察権力を拡大しネット規制を強化するべきだ」と主張する人もいるし、「右より」の人にも、それに反発して、警察権力の拡大やネット規制に批判的な人も多いので、私の立場がただちに「左翼」と言えるかというと微妙ではないかと思います。

これはあくまで個人的意見と言えば個人的な意見ですが、そういう意見が「ありえる」ということは、「右翼」と「左翼」という分類のおかしさの説明にはなっているでしょう。部分的にでも、私の意見に共感してもらえる人は多いと思うし、そのことは、「右翼」と「左翼」というステレオタイプが時代遅れものになっていることの証明になっているのではないかと思います。

これはチベット問題についても同じです。本来、チベット問題に関して、「右翼」的な考え方と、「左翼」的な考え方は矛盾しません。たとえば、右翼の人も左翼の人も「メディアの偏向した報道」を問題にしているわけですが、その背景には、「権力に従い、中国の立場に偏った報道をするメディア」があるわけです。「中国に媚びる左翼的メディアに対する反発」と、「権力にしたがって報道をする右翼的なメディアに対する反発」は、同じことの別の表現でしかありません。また、「チベットに対して人権侵害をする中国政府」という現実は本来一つであり、そこに左も右もありません。

○感情と政治的判断

では、どうしてこういう不毛な対立が起きてしまうのでしょうか。その原因は、政治的判断に感情を持ち込むことではないかと思います。

たとえば、「中国に対する感情的反発」、「アメリカに対する感情的反発」、「軍備に対する感情的反発」、「人権を叫ぶ人々に対する感情的反発」。話の背景を聞けば、これらは、どれも十分に理解できるものです。しかし、島国日本にとって、中国との友好関係も、アメリカとの友好関係も重要です。軍備も人権も主権国家としてなくてはならないものです。こういった感情に流されていては、冷静な政治的判断はできません。こうした問題に関しては、いかに感情を排して冷静な判断をできるかが重要なのです。しかも、これは政治家や外交官だけに求められる能力ではありません。民主主義の制度である以上、有権者が冷静な判断をしなければ、国は全体としておかしな方向に行ってしまうからです。

もちろん、特定の問題に関して行動を起こすときに、時には感情を武器として用いることも必要でしょう。たとえば、チベットの問題に関して抗議行動を行おうというとき、「怒り」という感情は大きな武器になります。しかし、そこで感情が十分にコントロールされていなければ、結果として危険な方向に向かってしまうことになるのです。

政治的判断に感情を持ち込まないというのは、必ずしも「感情を押し殺す」ことではありません。たとえば、「中国に対する感情的反発」、「アメリカに対する感情的反発」、「軍備に対する感情的反発」、「人権を叫ぶ人々に対する感情的反発」。そういうものがあるとしたら、この全てを理解すれば、結果として「政治的判断に感情を持ち込まない」ということになるでしょう。つまり、さまざまな人の立場になって考えていくこと、言いかえれば「教養」こそが、「感情に流されない冷静な判断」を可能にするのです。

一方、こうした感情は、「自分は右翼に賛成だから、こう考える」「自分は左翼に賛成だから、こう考える」というような集団意識となって表れることもあります。そのように考えるとき、自分の逆の立場に分類される集団に対しては感情的に反発することになり、相手の意見は決して耳に入ってきません。本来、政治に関する論点は、右翼と左翼に簡単に分類できないのですが、集団意識でものごとを考える人は、単純な分類でものごとを理解し、そのことに疑いを持つことすらなくなってしまうのです。一言で言えば、私たちは、集団意識によって、思考することをやめてしまいます。そうなれば、残されるのは、相手に対する感情的反発でしかないでしょう。

いずれにせよ、こうしたことによって、本来存在しないはずの「右翼」と「左翼」という枠組みが作られ、意味のない対立が生まれているのです。

○チベット問題と政治思想

さて、これが純粋に思想的、理論的な問題であるのなら、大きな問題ではないかもしれません。右翼と左翼で議論ができれば、それはそれでプラスだという見方もあるでしょう。

しかし、こういう状況では、必ず「漁夫の利」を得る人たちが出てきます。チベット問題を押し切ろうとしている中国政府や中国政府に追随するマスコミ、ネット規制や警察権力の強化を進めようとしている警察やマスコミ。こういった人たちは、「右翼」と「左翼」の不毛な対立の間で高笑いをしているのです。実際、チベット問題に関して、左右問わず反対の声が挙がっているにもかかわらず、中国政府に対して、日本政府が強く出る可能性は皆無です。ネット規制に関して、有識者からは左右問わず反対の声を上がっているにもかかわらず、与野党の共同提案で、世界に類を見ない言論弾圧が行われようとしています。

繰り返しになりますが、今、チベット問題を始め、日本が直面しているさまざまな問題に関して、「右翼」と「左翼」という区分はほとんど意味がありません。そして、その意味で、右翼の敵は左翼ではなく、左翼の敵では右翼ではありません。本当の敵は、そうした状況を利用して漁夫の利を得ている人たちであり、さらに言えば、「右翼」と「左翼」という狭い考えにとらわている自分たち自身なのです。

その意味で、チベット問題は、今まで「右翼」と「左翼」という異なる立場だと思われてきた人たちが、同じ立場で議論をするという、珍しい機会です。このまたとない機会に、両者がお互いに対して抱いている誤解を解き、不毛な対立を少しでも解消していくことが必要ではないでしょうか。そのことは、チベットの人にとっても、また日本人にとっても、大きな前進になるのではないかと思います。

はてなブックマークに追加 del.icio.usに追加 POOKMARK Airlinesに登録 livedoorクリップへ追加 @niftyクリップへ追加 Buzzurlにブックマーク newsingにピックアップ Choixに投稿 Furlへ追加 Blinklistへ追加 Redditに投稿 twitterでReTweet

固定リンク | コメント(4件) | トラックバック(0件)

コメント


「右翼の正体」

右翼団体の多くは、騒音をまき散らしながら頭のおかしいふりをして、愛国者 = 「変質者、危ない人」というイメージを国民に植え付け、

さらに日の丸や、天皇陛下のイメージを汚しながら、企業に無理難題を押し付けて金銭を要求するなどの犯罪を行っています。

(参考URL)
http://www.geocities.jp/uyoku33/

投稿: 「右翼の正体」 | 2008/08/14 17:27:20

そうですね。
おっしゃることは事実だと思うし、それはそれで大きな問題だと思います。

ただ、もう少しまっとうな―たとえば、論壇で右派の論者とされているような人や、
影響力の強い右翼系ブログでも、
本文のようなことは当てはまるのではないでしょうか。

本文ではかなり単純化して書いている、
というのは自分でも自覚しているつもりですが、
思った以上に複雑な要素が絡み合った、根の深い問題なのかもしれません。

投稿: 情報学ブログ | 2008/08/15 22:14:30

結局のところ、日本の右翼は、国家主義を引きずっています。国家社会主義といってもいいかもしれません。彼らは保守派を称していますが、自由とか平等という信念に弱いのです。欧米の保守派との違う点はここだと思います。方法論としては、中国やロシアとの均衡を維持しようとする努力する点は確かに保守派のようですが。
一方、左翼も社会主義を引きずっています。彼らはリベラルと言っていますが、真のリベラルではありません。こちらもやはり、自由や(法の下の)平等に対する信念が弱いのです。社会正義を実現するために、個人の自由を侵すことも厭いません。リベラルであれば、中国や朝鮮に対してはもっと激烈に反応するはずです。だって、リベラルって自由って意味ですよね。中国や朝鮮で自由を樹立するために運動しているという日本左翼はほとんどいません。

ともかく、右翼と左翼は内政方針ではほとんど変わりません。いずれも、日本国とか、日本社会とかのために、何らかの形で個人が犠牲なることを要求します。違いがあるとすれば、右翼は国家肯定で左翼は国家否定ということですね。
外政方針の違いはこの国家観の違いが原因であるということだと思います。
太平洋戦争の肯否も、このイデオロギーからです。
国家社会主義というのは、社会主義の変形ですから、実は同じものです。なので、日本の左翼と右翼が似ているのは当たり前なんですね。

投稿: ツーラ | 2008/09/24 2:29:17

チベット問題について真実をご存じないようですね。
解放前のチベットは、政教一致の政治体制のもと、農奴・奴隷が人口の大多数を占め、寺院や貴族の激しい搾取を受け、平均寿命は36歳でした。
反抗した農奴や奴隷は、眼球をえぐり取られたり、手足を切断されたり、「サソリ牢」で殺されたりしていました。
上層階級でも内部対立が激しく、ダライラマの多くは成人するまでに毒殺されているし、摂政の地位をめぐる対立で数百人の死者がでたりしていました。
これを解放したのが中国共産党です。中国共産党は寺院を壊して農奴を寺院の搾取から解放し、農奴・奴隷制を廃止し、土地や家畜を農民に分配し、学校や道路や映画館をつくり、チベット人に人権を与えました。
その結果、チベット人の平均寿命はほぼ2倍になり、ほとんどの人が読み書き読み書きできるようになりました。
CIAは、ダライ一味に金を与えたり、ゲリラ訓練をやったりしましたが、結局なんの効果もあげられず、亡命した旧支配階級は見捨てられました。
今日、「チベット亡命政府」を承認する国は皆無であり、亡命チベット人の青年は大多数が居住地に同化しつつあります。
「チベット問題」は終了しつつあるのです。
反中国の偏見からはなれて、真実を見つめてください。

投稿: ZYX | 2010/01/22 16:46:36

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
(トラックバックは記事投稿者が公開するまで表示されません。)

ニュースな待合室をRSSで購読する

Googleで購読 はてなRSSで購読 livedoor Readerで購読 Bloglinesで購読 My Yahoo!に追加

その他のRSSリーダー

管理人のつぶやき