ニュース | 2007/10/03
2日午前5時50分ごろ、京都市右京区太秦馬塚町の無職女性(80)宅2階に、男が侵入、シーツで女性の顔を覆って床に押し倒し「金を出せ」と脅した。しかし、女性が泣き出したため、男は自分の名前を告げ、何も取らずに逃走。約1時間後、近くの京都府警右京署常磐野交番に自首し、強盗未遂容疑で緊急逮捕された。
逮捕されたのは女性宅の近くに住む無職、今田武志容疑者(54)。「金が目的だった。おばあさんが泣き出したので、悪いことをしたと反省した」と供述しているという。
調べでは、今田容疑者は2階のベランダ伝いに侵入。女性は倒された際に腰を強打して骨折するなど重傷と分かり、同署は容疑を強盗致傷容疑に切り替えて調べている。【熊谷豪】
おばあさんの涙に反省 男自首
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071002-00000074-mai-soci
人にはそれぞれの物語があります。どんな凶悪な犯罪者でも、そうせざるをえなかった過去があり、それを理解していけば、その行為を理解できるはずです。もちろん、被害者にも物語があり、その立場から、犯罪が許し難いものに思えたりするわけです。
では、犯罪は許されるのでしょうか?そういうことではありません。法律や裁判は、本来、こういう「一人一人の人間の物語」ではなく、「社会としての物語」に属するものだからです。基本的に、刑罰はその行為の背景ではなく、行為そのものに対して与えられるものであり、それは犯罪を予防するという、「社会の物語」として構築されています。今回の事件の場合、強盗そのものが未遂であるのに加え、自首などの状況も踏まえて通常の強盗致傷より減刑される可能性もありそうです。しかし、その是非も法律や判例を通して形作られてきた「社会の物語」の一部として考える必要があるのです。
したがって、犯罪の加害者に対し、「犯罪を犯したのだから悪者である」「心温まる物語の主人公であって、悪者ではない」というような議論をするのはあまり意味があることではありません。全ての犯罪者は、常に心温まる悲劇の主人公だし、そうであるにもかかわらず刑罰を受けなければいけないからです。全ての人が、こういう視点を持つことができれば、犯罪報道を見て短絡的に加害者を非難する、おぞましい発言は生まれてこないでしょう。
そういう意味で、犯罪報道は、システム論的思考のトレーニングの材料として最適なものではないかと思います。人の人生が、それぞれかけがえのない物語であり、システムであること。社会の制度や規範が、それとは独立したシステムであること。こういうことを学ぶことができる格好の機会だと思うからです。
こういうニュースを見る度に、「情報学」に課せられた使命を改めて感じるものです。
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