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「戦後レジーム」と日本のアイデンティティ

経済・政治・国際 | 2007/08/16

河野衆院議長は15日、政府主催の「全国戦没者追悼式」での追悼の辞の中で、「(日本国民は)海外での武力行使を自ら禁じた『日本国憲法』に象徴される新しいレジーム(体制)を選択して今日まで歩んできた」と述べ、安倍首相が掲げる政権のスローガン「戦後レジームからの脱却」に対する批判をにじませた。

河野衆院議長、戦没者追悼の辞で「戦後レジーム脱却」批判
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070815i113.htm

人のアイデンティティが、その人の歴史によって形作られるように、「国」、「家族」、「会社」といった人の集まりのアイデンティティも、その集団の歴史によって形作られるものです。今までの歴史を受け止めて次のステップに進んでいくという「アイデンティティ」の変化はありえても、歴史を無視して勝手にアイデンティティを作り上げることはできません。それは、自ら生きること、存在することを否定することにほかならないからです。

「日本」という国は、60年前「敗戦」という大きなアイデンティティの変革を経験しました。それまで、軍国主義、国家主義、精神主義がアイデンティティであった日本が、平和主義、民主主義をアイデンティティとして持つ国に変わったわけです。ここで、言う「平和主義」というのは、単に憲法9条の条文という意味ではありません。当初は理想論的なものであった「平和主義」も、専守防衛に特化した自衛隊の出現によって大きく変容し、防衛思想と言われるまでに深化させてきました。今日では、自衛隊の装備や防衛活動に関する憲法上の制約はほとんどありません。いわば安全保障上の要求を満たしながらも、新しい「平和主義」を実現することに成功してきたわけです。これも「敗戦」という日本の歴史を踏まえた「アイデンティティ」の一部ということができるでしょう。

こうした中、日本は、今日の経済的発展や、外交上の地位を築いてきました。もちろん、「もしも、軍国主義を貫いていたとしても、今と変わらなかったのではないか」という批判はあるでしょう。しかし、歴史に「もしも」はありません。日本は良くも悪くも、「平和主義」というアイデンティティのもとで、今日を迎えたのが事実です。「もしも、別の親の子供に生まれていたら」という議論があまり意味ないのと同じように、「もしも、軍国主義を貫いていたら」という仮定はあまり意味がないのです。あたかも、一人の人間がたどってきた歴史、両親や先祖の存在のように、戦後日本の平和主義は存在してきたのであり、その中で今日の日本があると言えます。

今、こうした日本のアイデンティティが、再び大きく変容しようとしています。安倍首相の「戦後レジームからの脱却」という言葉に代表されるように、「戦後日本」の価値観を否定し、戦前のような軍国主義、封建的家族制度、教育制度を復活させようと見方が急速に広まっているのです。

この理由としては、「戦後日本」のアイデンティティの特殊な性格を考えざるをえないでしょう。「戦後日本」の価値観は、平和主義や人権を強調するあまり、愛国心や公共性を否定してきたのも事実です。たしかに、これには一理あります。愛国心の強調が軍国主義を導き、公共性の強調が人権を蹂躙してきた歴史を考えるとき、「愛国心」や「公共性」の危険性は、強調されすぎることはないほど重要なものだからです。しかし、これは同時に、「戦後日本」のアイデンティティが、アイデンティティとして自己崩壊していくという状況にもつながっているのです。なぜなら、愛国心や公共性の否定は、同時にアイデンティティそのものの否定でもあるからです。「戦後日本」のアイデンティティが、言葉にならない落ち着かなさ、不安定感と切り離せないのは、こうした原因によっていると言えるでしょう。

こうした落ち着かなさ、不安定さは、「敗戦」の記憶が鮮烈に残っているうちは、それほど大きな問題ではなかったのだと思います。しかし、「敗戦」の記憶が薄れると同時に、「戦後日本」のアイデンティティは、維持できないものになっていきました。そして、不安定な山の上にあるボールが、安定した溝にはまりこむように、「愛国心なき平和主義・人権主義」から「愛国心ある軍国主義・国家主義」に移行しつつあるのです。

しかし、「敗戦」と「戦後日本」の歴史を持つ日本が、「愛国心ある軍国主義・国家主義」に簡単に移行できるかというとそうでもありません。今の日本が「愛国心ある軍国主義・国家主義」に進むということは、「敗戦」という歴史を否定することであり、「戦後日本」の歴史を否定することにほかならないからです。一部の右翼思想家は、戦後の歴史を否定し、戦前の歴史を賞賛することで、「愛国心ある軍国主義」を実現しようとしているわけですが、こうして戦後の歴史を否定することこそ「自虐史観」にほかならないと言うこともできるでしょう。日本人の多くは、今の自分たちの立脚点である「戦後日本」を全面的に否定し、国家主義、軍国主義という新しい価値観を受け入れることに抵抗があるのではないかと思います。

言うならば、「愛国心なき平和主義・民主主義」と「愛国心ある軍国主義・国家主義」のどちらも受け入れることができずにもがいている。それが、今の日本の状況と言えるかもしれません。

では、どうすれば良いのでしょうか。考えてみると、「愛国心」は軍国主義や国家主義の専売特許ではありません。「軍国主義の日本への愛国心」もあれば、「平和主義の日本への愛国心」もあります。「人権や福祉を重視する日本への愛国心」も立派な愛国心です。ところが、私たちは、あたかも「愛国心なき平和主義・民主主義」と「愛国心ある軍国主義・国家主義」の2つしかないように思わされてきたのではないでしょうか。そのことが分かれば答えは簡単です。私たちは、「愛国心なき平和主義・民主主義」の代わりに、「愛国心ある平和主義・民主主義」を選べばいいのです。

もちろん、「愛国心ある平和主義・民主主義」を、新しい日本のアイデンティティとなる洗練した思想としていくためにはもう少し時間がかかるかもしれません。特に、軍国主義や国家主義に流されない「愛国心」を思想として完成させていくためには、さまざまな議論が必要でしょう。しかし、こうして文章を書くことが許される限り、私はささやかながら、そのことの必要性を訴えていきたいと思います。それこそが今の日本に必要なことであり、本当の意味での「戦後レジームからの脱却」だと思うからです。

○関連サイト

http://www.m-kiuchi.com/2007/07/31/regime/
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-413.html
http://blog.so-net.ne.jp/tamara06/2007-07-23
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/76656/
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/51129/
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/76736/
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/75529/
http://iwaiwa.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_3d4f.html

○関連記事

物語ること、選ぶということ―物語としての私、歴史、そして政治/情報学ブログ
http://informatics.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_d527.html

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