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平均生産性と限界生産性―因果律とモデルの観点から

経済・政治・国際 | 2007/02/20

人間は、遺伝的要因と学習要因のどちらで決まっているのだろうか―因果律とモデルをめぐる問題は、情報学の重要な対象の一つです。そこで、平均生産性と限界生産性のどちらが賃金水準を決めるのかという、池田―山形論争に、異分野からコメントをしてみようと思います。

/////

<お知らせ>

池田氏のブログのコメント欄で掲載を拒否されたコメントを、このブログのコメント欄に載せています。本文と合わせて読んでいただけると幸いです。

/////

(1) 問題の所在

まず、池田―山形論争の概要を説明します。
この論争は

(1) 賃金水準は、各部門の限界生産性で決まる(池田氏)
(2) 賃金水準は、平均生産性で決まる(山形氏)

という意見の対立として理解されるでしょう。

> 賃金水準は、絶対的な生産性で決まるんじゃない。
> その社会の平均的な生産性で決まるんだ。
―山形氏、主張A
http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20070213

> 経済の各部門の限界生産性は異なり、それによって賃金も異なる。
> その集計として平均は算出できるが、それは因果関係を意味しない。
―池田氏、主張B
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/b8b2dd3502ef769c7f5baf18143f53e1
という二つの立場です。

(2) 因果律の問題としての池田―山形論争

ここで、上の記述からも何となく分かりますが、
ここでは、因果律が成り立つかどうかが問題にされていることが分かります。

たとえば、池田氏は主張Aを引用して次のように言っています。

> ここで君は明確に、賃金は個々の労働者の生産性で決まるんじゃないと
> 言い切っている。
> これは非常に強い命題で、常識では考えられない。
―池田氏、主張C
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/da4a4e6c3d49221f8b9e2887069fc623

この指摘はもっともでしょう。
というのも、山形氏の
「賃金水準は、絶対的な生産性で決まるんじゃない」というのは、
因果関係の不在を主張しているとも読めるわけですが、
一般に因果律の不在を証明するのはかなり困難です。

ただ、この批判は、実は
上に引用した池田氏自身の主張Bに対しても
返ってくるものです。
主張Bにおいて、池田氏は、
「因果関係を意味しない」と断じているからです。

つまり、池田―山形論争は、本質的に因果律をめぐる問題として
理解することができるものです。
そこで、次の節では、
学問研究における「因果律」について考えていきたいと思います。

(3) 因果律とモデル

一般に因果律というのは、
あるモデルによって初めて理解されるものです。
そして、重要なのは、
そのモデルからすると、全てがそのモデルで説明できたかのように、
思えてしまうということなのです。

たとえば、人間の行動と遺伝子の関係について考えている生物学者が、
「人間のあらゆる形質は、遺伝子によって決まる」
というように考えたとします。
実際、ある人間の特徴を考えたときに、
遺伝子と無関係のものは全くないと言っても良いのであり、
「人間のあらゆる形質は、遺伝子によって決まる」
と考えるのはもっともです。

ところが、学習理論について考えている教育学者は、
「人間の性質は、全て学習によって決まる」と考えることがあります。
どのような遺伝子を持っているかにかかわらず、
形質は学習によって決まると考えることができるのであり、
「人間の性質は、全て学習によって決まる」と考えるのも、
もっとと言えます。

ここで、この生物学者は、学習は統計上の誤差の問題だと考え、
教育学者は、遺伝子は統計上の誤差の問題だと考えるかもしれません。
いずれにせよ、自分が考えている因果律だけを認め、
相手が考えている因果律を認めない。
それでも、それぞれの研究としては問題なく成り立つのです。

このことを佐倉統氏は、「進化論の挑戦(p.119-121)」で、
「楽譜と演奏」というたとえを使って説明しています。
コンサートに行って聞くクラシックの音楽は、
最初から最後まで作曲家によって決められています。
しかし、一方で最初から最後まで演奏者の力量によって決まります。
ここで、どちらが重要というのを決めたり、
どちらが何割で、もう片方が何割というようなことを
考えることはできないわけです。

一般に、因果律は、あるモデルを設定したときに、
その立場から初めて観察されます。
作曲者→音楽、演奏者→音楽という関係、
あるいは、遺伝子→人間、学習→人間という関係は、
それぞれ、ある「モデル」によって観察されるものです。
そして、あるモデルに基づいて考えると、
因果律が全てそのモデルの内部の問題として考えられてしまうのも、
モデルの特徴です。
したがって、本来、一見正反対のことを行っているように思える、
遺伝子によって人間の性質が決まるという主張と、
学習によって人間の性質が決まるという主張は矛盾しないし、
作曲者によって音楽が決められているという主張と、
演奏者によって音楽が決められているという主張は、
矛盾しないのです。
むしろ問題なのは、自分が考えているモデルしか見えなくなり、
他のモデルを否定してしまうするような
閉鎖的な考えだということができるでしょう。

(4) 限界生産性と平均生産性

このことから、限界生産性と平均生産性をめぐる、
池田氏と山形氏の論争を考えるとおもしろいと思います。

池田氏と山形氏は、それぞれ自分のモデルで経済をとらえ、
そのモデルで賃金が説明できると主張します。
そして、相手が考えているモデルにおける因果律は、
成立しないと断言するわけです。
これは、先ほどの、遺伝子 vs. 学習の対立、
あるいは、作曲家 vs. 演奏者の対立と似ているでしょう。
それぞれのモデルにおいて因果関係を主張するわけですが、
これは、本来、別のモデルによる因果関係を
否定したことにはなりません。
ところが、あるモデルから対象をとらえると、
全てがそのモデルでとらえられるように思えてしまい、
他のモデルが見えなくなってしまうわけです。

したがって、繰り返しになりますが、
先ほど取り上げた池田氏の主張Cは正しく、、
山形氏が、限界生産性による因果律の不在を断言したのは間違いです。
一方、この指摘は、池田氏自身の主張Bにも返ってくるものであり、
池田氏による、平均生産性による因果律の不在の指摘も間違いなのです。

喧嘩両成敗ではないですが、
今回の論争について、両方とも正しい一方、
厳密さという意味では、両方とも間違っているというのが、
もっとも正しい見方ではないでしょうか。

(5) 政策の問題として

さて、一般に、あるモデルで対象をとらえるということは、
今後、その対象をどうしていくかという未来の問題と関係しています。
たとえば、限界生産性によって賃金が決まると考えることは、
ある政策を支持することになり、
平均生産性によって賃金が決まると考えることは、
別の政策を支持することになるでしょう。
自分は経済について無知なので、
具体例は挙げられませんが、
一般論として成り立っているはずです。

ここで、この2つの政策は、本来対等であり、
どちらが正しいというものではありません。
そして、通常、片方の政策を取ると、ある価値が尊重され、
別の政策を取ると、別の価値が尊重されるという
構造になっているものです。
ところが、最初の段階での「モデル」の問題が理解されなければ、
こうした政策についての議論は全く不毛なものになってしまいます。
だからこそ、モデルについて理解することが必要なのです。

そして、こうしたモデルや価値の対立についての理解を可能にするのが、
「情報学」という学問です。
情報学は、モデルや価値を「システム」としてとらえることで、
こうした政策上の問題を解決することを目的の一つとするものです。

(6) おわりに

自分がこのことに興味を持ったきっかけは、
昨日、全く、専門ではない経済の話に首を突っ込んで、
ブログの記事を書いてみたことです。

格差社会の仕組み/たまには雑談
http://informatics.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_8922.html

全くの素人の立場から、紹介記事を書いただけなのですが、
どうもこれはブログ界ではかなりの話題らしく、
自分のような「雑談」にも100件以上のアクセスがありました。

それでせっかくだから…というわけではないのですが、
情報学的な「因果律とモデル」の立場から、
この問題について考えてみたわけです。

ただ、1日で、素人が素人でなくなるほど、
経済学が簡単なものではないことは理解しています。
ご批判、ご指摘を切にお待ちするところです。

○関連記事

物語ること、選ぶということ―物語としての私、歴史、そして政治
http://informatics.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_d527.html
著作権とは何なのか?―共約不可能な価値の対立の問題として
http://informatics.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_2a2d.html

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コメント

以下のコメントを池田氏のブログに寄せたのですが、
記録のためにこちらにも転載しておきます。
もしかしたら、別記事にするかもしれません。

/////

Title: そこまでおっしゃるのなら論理の問題として(因果律とモデル)

自分としては「揚げ足取り」ということで
まとめるのが池田信夫先生にとっても得策ではないかと思います。
それでも「論理の問題だ」と頑なに言われるなら、
ちょっと言葉遊びをさせてください(笑)。

問題となっているのは以下の記述です。

> 賃金水準は、絶対的な生産性で決まるんじゃない。
> その社会の平均的な生産性で決まるんだ。

一般に、
<AがBによって決まる>というのは二つの意味があって、
「AはBの要素だけで完全に決まる」(1)
「AはBの影響を受けている」(2)
という二つの解釈ができるでしょう。

一方この否定としては、
<AがBによって決まるんじゃない>という主張があります。
「AはBの要素だけで完全に決まるわけではない」(1')
「AはBの影響を受けていない」(2')

という解釈ができます。
山形氏の「赤いデカ文字で強調した部分」は、
本人の意図としては一つ目が(1')で、二つ目が(2)です。
ところが、池田氏は、
一つ目を(2')と解釈したわけです。

池田氏のように解釈にも一理あります
というのも、一つの文の中で
(1')と(2)が共存しているのはおかしいとも言えるからです。

しかし、こう解釈したらおかしいのは明らかです。
というのも、経済に限らず科学的な分析において、
(1)や(2')の主張がありえないのは明確だからです。
このことが分かっていれば、
山形氏の文章は、(1')+(2)としか読めません。
たしかに日本語として分かりづらい面はありますが、
社会科学における因果律がどういうものか分かっていれば、
曖昧な点はないのです。

したがって、池田氏の解釈は
批判のための恣意的な解釈に過ぎないとまで言えます。
そういう意味では山形氏は常識的な議論をしているわけで、
問題ないと言うこともできるでしょう。

これに対してどうお答えになるでしょうか?

ちなみに、大きな視点でとらえたとき、
(1)と(2)の議論が混同されてしまうのは、
「遺伝子 vs 学習(氏か育ち)」論争と同じ、
「因果律とモデル」の問題だというのは、
すでに何度も申し上げていることです。
詳しくはリンク先を参照してください。

投稿: 情報学ブログ | 2007/02/23 3:28:57

経済学を易しく解説する、と標榜しているブログに対して「それ、用語の使い方が間違ってるか、キミの頭が間違ってるよ」と指摘しただけ、というお話しなのに、因果律とモデルなんてスキームを持ち出して読み下そうとしているので思いっきりムリ筋になってますね。女の子を口説くのに、戦車を持ち出すみたいです。ねじを締めるのに、ドライバーじゃなくてこんにゃくを使おうとしている、みたいな。

池田氏に「ナンセンスな話」と一蹴されてしまい、私もそれに同意しますが、ツールは使う状況をちゃんと判断しないと全く意味がないことがお気づきになったでしょうか。

私も研究室にて先生から「トンカチの得意な人は何でも叩きたくなる。しまいには何でも釘に見えてしまう」という喩えで浅学を諫められたものです。一つの理論を学習すると、その理論が万能に思えてどこにでも適用したくなる、というは初学者特有の病気ですね。

ご自愛ください。

投稿: ひろぽん | 2007/02/23 14:31:19

ひろぽんさん。

コメントありがとうございます。

因果律やモデルの問題は学問研究のあり方についての議論なので、過剰一般化ではありません。少なくとも、両者の議論の関係を理解する上では役立つ論点だと思います。

私の論点は2つあって、コメントに書いたような論理の問題と、本文に書いたモデルの問題です。

池田氏はコメントの方の議論に対して「そういう問題ではない」と言っているようですが、赤い太字の直後の文章を撤回されるつもりなのでしょうか…。また、平均賃金と個別の賃金の区別がされていないという(本質的ではない)反論は、特定のモデルを前提にした批判で、論点先取ではないかと思います。これは本文で指摘したことです。

投稿: 情報学ブログ | 2007/02/23 16:08:49

上のコメントを書いた後、
池田氏にブログに反論を寄せました。
以下に転載させてもらいます。

(追記:このコメントは結局、掲載されなかったようです)

/////

> 「AはBの影響を受けていない」という命題は、いくらでもあります。
> たとえば私の賃金は、アフガニスタンのウェイトレスの生産性の影響を受けていない。
> あなたの勝手な「空気嫁」解釈を他人に押しつけるのはやめてください。

上の記述を読む限り、
やはりこの問題について誤解しているし、
議論の全体についても誤解しているのではないかと思います。

この命題は、正しいのかもしれませんが、
通常の手法では証明できない命題です。
あるモデルにしたがったときに
そのようにとらえられるということに過ぎません。
本当に「アフガニスタンのウェイトレスの生産性が上がると、
池田氏の賃金が下がる」を否定することができるのかどうか知りませんが、
それが経済学の常識だったとしても、その因果関係をとらえるモデルが
知られていないということに過ぎないわけです。

もしそれを証明するのなら、
現在の世界と同じような世界を、多数作って、
2つのグループに分け、
両者の、A国のある業種の賃金をコントロールして、
それがB国のある業種の賃金に影響しているかを調べないといけない。
しかし、そんな実験が行われたという話は聞いたことがありません。
(先回りして言うと、言うまでもなく、シミュレーションはモデルで、
本来、因果関係の不存在の証明にはなりません。
もしも経済学でそんな議論がなされているとしたら、
それは経済学全体の問題です。)

たとえば、(頭の悪い)教育学者が、
「人間の性質は学習によって全て決まるのだから遺伝子は無関係」
と主張し、
(頭の悪い)遺伝学者が、
「人間の性質は遺伝子によって全て決まるのだから学習は無関係」
と主張することを考えます。
教育学者・遺伝学者の名誉ために言っておくと、
こういう教育学者・遺伝学者が多いわけではないわけですが、
ごく、たまにいます。
しかし、これらの主張は、
そのモデルにおいて因果律が認められないということを
意味するのに過ぎないわけで、
当然、別のモデルもあるわけです。

以上は、学問研究の一般的な性質についての議論です。
上に引用したようなナイーブな言い方は学問研究の方法論に対する
誤解から来るものではないかと思います。
そして、これは単に表面的な論理の問題ではなく、
賃金と平均賃金についての話とも関係しています。

投稿: 情報学ブログ | 2007/02/23 17:15:48

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