都立高校は死んだのだろうか?

都立高校の職員会議では、校長が採決で教員の意見を聞くことだけではなく、教員が「手を挙げて意見を言うこと」さえもが禁止されているそうです。こうなるともう、まともに文章を書いてコメントをするのが徒労にしか思えません。あえて言うとしたら、大政翼賛体制の日本でも、ナチ支配のドイツでも、ここまでの統制はなかったのではないだろうかというくらいでしょうか。

どんな強権的なトップが運営する組織でも、通達で「手を挙げて意見を言うことを禁止」というのは聞いたことがありません。教員委員会が<教職員組合>の意見と違う形で学校を運営したいというのなら、正当な手続きに基づいて議論を交わし、説得し、その上で、場合によっては彼らの意見に反してでも、堂々と自分の主張する方針にしたがって運営すれば良いのです。自分の意見と合わない意見に対して、「手を挙げて意見を言うこと」を禁止するというのは、自らの主張が間違っていることを認めるということであり、まともな神経を持った人間が考えつくことではないでしょう。原因が、権力者としての奢りか、社会の仕組みに対する無知か、あるいは精神異常かは分かりませんが、いずれにせよ尋常ではないことには変わりありません。

「自分の意見と合わない意見は、表明することすら禁止する」。これは民主主義の否定であり、民主主義国家における国民教育の否定とも言えます。都立学校の校長のうち、この異常な方針に反対しているのはたった一人で、それ以外の校長はだんまりを決め込んでいるようですが、こうした日本国民の恥としか言えないような校長たちが、どういう面をして生徒に道徳を語るのか不思議でなりません。もちろん、理想と現実の間に挟まれて悩んでいる校長の気持ちも分からないことはありません。しかし、それは、凶悪犯罪を犯した犯罪者の気持ちも分からないことはないと言うのと大して変わらない意味での同情でしかないでしょう。

このままいったら冗談抜きで日本に未来はないかもしれない。そんな、暗澹たる気分になる記事でした。

東京都教育委員会が都立学校の職員会議で挙手や採決を禁じた通知に、都立三鷹高校の土肥信雄校長(59)が「現場の言論の自由が失われている」と撤回を求めている。都立高校の改革に現職校長が異議を申し立てるのは異例だが、都教委は「方針を変えるつもりはない」としている。

通知は06年の「学校経営の適正化について」。「職員会議を中心とした学校運営からの脱却」を掲げ、校長の意思決定に影響を与えないよう、職員会議での挙手や採決で教職員の意向をはかるのを「不適切であり、行わないこと」とした。翌年、通知が守れていないとして4校の校長を厳重注意した。

これに対し、土肥校長は「教員に何を言っても仕方がないという空気が広がり、職員会議でほとんど意見が出なくなった。生徒に日々接する教員の声が直接反映されないと、活性化につながらない」と昨年秋以降、校長連絡会などで通知の撤回を求めてきた。自校では職員会議で多くの教員に発言を求め、意思決定の参考にしているという。

土肥校長は東京大学卒。学生の頃は東大紛争の時代で、クラス討論や集会に参加。商社に就職後、「平等や平和主義を生徒と考える仕事を」と免許をとって高校の政治経済の教師になり、02年から校長に。「都教委は校長主導といいながら、校長を自らのロボットにしている。民主主義を教える教育の世界で言論の自由がないのは許されない」と語る。

都立校の校長の一人は「土肥校長の言う通りだが、教職員組合に決定権を握られると困る。都教委か組合かと言われれば、多くの校長は都教委につくしかない」と話す。

都立高校の保護者や教員、市民らでつくる「自由の風ネットワーク」は土肥校長の主張を5月に入って知り、「教育者としての信念を貫かれる校長先生に敬意を表する」と校長を支援し、通知に反対する署名活動を開始。1200人を超えたという。それを21日午後、都教委に渡し、通知の撤回を求める予定だ。(編集委員・氏岡真弓、大隈崇)

都立高校長、教委に反旗「職員会議で挙手禁止おかしい」(朝日新聞 2008年5月21日)
http://www.asahi.com/national/update/0521/TKY200805210162.html

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毎日新聞のWaiWaiコラム問題に見る、ネット社会のゆくえ

毎日新聞のWaiWaiコラム問題からネット社会のゆくえを考える

毎日新聞が、長年にわたって英語サイトに専用コーナーを設け、日本を性に寛容な「変態」大国として世界に紹介したとして、批判にさらされています。2ちゃんねるで批判キャンペーンが起きたことで、取り上げられるようになり、毎日新聞自身も重い腰を上げざるをえない状況になりました。

この問題、「ミス」や「行きすぎ」で起きたことではなく、新聞社全体の方針の中で、確信犯的に行われたのではないかという疑問まで感じます。というのも、毎日新聞は、ネット規制推進の急先鋒であり、政府と一体になって、ネット利用者が「誰でも不当逮捕される仕組み」を作ろうと躍起になっているからです。今回の問題も「ネットではこんなおかしな状況が流れている」という実績を作ったり、「日本はネット規制を強化し、個人PC内のデータも規制の対象とするべき」という国際世論を喚起するためのキャンペーンの一貫として行われたのかもしれません。そう考えると、本来なら処分を受けるべき今回の問題の責任者が代表取締役社長に昇進したということも、うまく説明できるでしょう。かりにそれは考えすぎだとしても、「ネットに流す情報は正確でなくても良い」という新聞社の傲慢が、こうした事件を引き起こしたということは言えるのではないかという気がします。

もちろん、インターネットが万能というわけではありませんが、マスコミも万能というわけではありません。Web2.0で全てが解決するという楽観論は行きすぎだと思いますが、一方で、旧来型のマスコミ中心の社会を理想的なものとして、ネット規制を進めていくことにも間違っていると思います。本来、マスコミにしても、インターネットにしても、さまざまな論者が批判し合いながら、全体として、より良いものが選ばれていくというシステムを作らないといけないのですが、マスコミもインターネットのいずれもが、政治や大企業の影響を受けやすい、感情的な方向に流されやすいといった欠点を抱えており、いずれも万能ではないのです。

ただ、一つ言えるのは、現状ではマスコミが絶大な権力を握るあまり、公平な報道が期待できない面があるということ、こうした状況を少しでも変えていく可能性がネットにあるということです。こうしたネットの可能性の一端を、今回の問題は垣間見せてくれたような気がします。

○Wikipediaの解説

2008年6月に2ちゃんねるなどのインターネット上の複数のサイトにおいて、毎日新聞の英語版ニュースサイトの「WaiWai」コラムで編集長代理のライアン・コネルが約9年間にわたって執筆していた記事があまりにも低俗で卑猥であるとして問題となった。コネルはタブロイド誌(週刊大衆や週刊実話や実話ナックルズなどの実話誌)に掲載されていた事実無根の低俗で卑猥な記事を翻訳、改変し、あたかも事実であるかのように「WaiWai」に記事を掲載していたため、インターネットユーザーを中心に「日本人すべてが性的倒錯であるかのような誤解を生み、日本人の名誉を傷つけている」という非難が毎日新聞やスポンサーに殺到した(「日本人の母親は中学生の息子のためにフェラチオをする」「福岡の米祭りは、顔にベトベトの白い液体を塗るため、AV業界が「顔射」と呼ぶものによく似ている」「南京大虐殺の後継者の日本政府は、小児性愛者向けの漫画を使ってオタクを自衛隊にひきつけようとしている」などといった記事)。また、このサイトのメタタグに「hentai」「japanese girls」「geisha」などのキーワードを挿入し、アクセスを稼いでいたことも判明した。 これを受け、毎日新聞は当該記事の削除は行ったものの、それ以上の責任を負うつもりはないと発表したため、非難は収まらず、21日に「WaiWai」コラムを廃止し「低俗で卑猥な記事の掲載は不適切であった」という旨の謝罪文をインターネット上に掲載するに至った。また、25日付朝刊の社会面に読者に対する謝罪文が掲載された。しかし、これらの謝罪文では、記事を掲載したことが不適切であったことは認めたものの、具体的に何に対しての謝罪なのかが曖昧な文面であり、掲載記事の内容が事実か否かには言及しておらず、このような記事を掲載し続けた経緯や意図、関係者の具体的な処分についても発表されていない。さらに同日には、一部の「WaiWai」コラムが単なるタブロイド誌の引用記事ですらなく、執筆者の独断と偏見に基づいた「創作記事」であったことが発覚した。毎日新聞は、謝罪文で「責任者を処罰する」としたが、25日付で今回の問題の責任部署であるデジタルメディア担当の朝比奈豊が代表取締役社長に、同局長長谷川篤が取締役にそれぞれ昇進することが発覚した。こうした毎日新聞の不誠実な態度に一部の消費者は激怒し、現在毎日新聞及び毎日新聞の報道に宥和的なスポンサーに対する不買活動が草の根的に広がっている。
Wikipedia-毎日新聞(2008年6月26日 07:52版)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%8E%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E

○関連情報

http://mainichi.jp/select/biz/news/20080626k0000m020142000c.html
(問題を起こした担当者が代表取締役に昇進したことを発表する記事)

http://www.cyzo.com/2008/06/post_676.html
(引用されたとされる「サイゾー」が原文をネットに掲載した記事。毎日新聞の記事がかなりの曲解を含んでいることが分かる)

○まとめサイト

http://www33.atwiki.jp/bainichi/
http://www8.atwiki.jp/mainichi-matome/
http://www9.atwiki.jp/mainichiwaiwai/pages/1.html

○メディア情報

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0806/25/news107.html(ITMedia)
http://www.j-cast.com/2008/06/20022225.html(J-CASTニュース)http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2008062500447(時事通信)
http://www.47news.jp/CN/200806/CN2008062401000847.html(共同通信)
http://sankei.jp.msn.com/economy/it/080624/its0806242018000-n1.htm(産経新聞)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080624/crm0806242004039-n1.htm(産経新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080624-OYT1T00418.htm(読売新聞)
http://www.asahi.com/digital/internet/TKY200806240055.html(朝日新聞)

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司法修習生の守秘義務違反は本当か?

この記事に関しては、内容的にもう少し深い考察が必要だと考えていますが、記事そのものは残します。(2008/6/21)

長崎市内の法律事務所で実務修習をしている20歳代の男性司法修習生が、取り調べや刑務所内の見学など修習内容をインターネット上のブログに掲載していたことがわかった。

長崎地裁は、裁判所法に基づく守秘義務違反の疑いもあるとして調べている。

自分は記事を読んだ瞬間、「守秘義務違反は言い過ぎでは?」と思ったのですが、元のブログの内容(末尾にリンク)を読んで、あらためてそう思いました。

検事や裁判官の人が、著書や講演で、自分の経験を口にすることは完全に禁止されているわけではありません。もちろん、守秘義務違反に反しない範囲でです。この司法修習生のブログの記事も、被疑者の特定につながるものではなく、守秘義務違反を問うのは無理ではないかと思います。むしろ、こういう情報が外に出てこなくなったら、司法の世界では「何をやってもあり」ということになってしまって、かえって良くないのではないでしょうか。

リンク先のブログに書いてある通り、この人が検察官に対して批判的な(でもまっとうな)ことを書いたのが検察官のかんに障ったという説が、一番正しいのではないでしょうか。それを新聞記者が、検察サイドへのご機嫌取りのために記事にしたのでしょう。こんなブログ記事に目くじらを立てる人たちの人間性にはあきれかえりますが、それをそのまま新聞記事にしてしまう新聞記者のレベルの低さには、あきれすぎてものも言えません。

○問題の内容を保存したブログへのリンク

http://blog.goo.ne.jp/oshiete-goo-shitumon/e/84aab7434f15b38a9d6fec6168b8325b
http://blog.goo.ne.jp/oshiete-goo-shitumon/e/3e12debee9be4f72f9080efcbc6e6a28
http://blog.goo.ne.jp/oshiete-goo-shitumon/e/87de13c591f785d85af26ef47d0ca7ef

○元の記事

長崎市内の法律事務所で実務修習をしている20歳代の男性司法修習生が、取り調べや刑務所内の見学など修習内容をインターネット上のブログに掲載していたことがわかった。

長崎地裁は、裁判所法に基づく守秘義務違反の疑いもあるとして調べている。

同地裁などによると、男性は2月15日付で、検察の実務修習で80歳の女性を取り調べたとして「途中から説教しまくり。おばあちゃん泣きまくり」と記載。同29日付では、取り調べ中の容疑者について、刑務所の出所後5日目の犯行だったとし、「刑務所でしかうまく生きていけないんじゃないか」と書いていた。

裁判所法の司法修習生規則では「修習にあたって知った秘密を漏らしてはならない」と定めている。

ブログに容疑者の様子など掲載、司法修習生に守秘義務違反の疑いも
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080619-OYT1T00314.htm
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080619-00000014-yom-soci

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男の子の行動は制御不能

18日午前9時25分ごろ、東京都杉並区和田3の区立杉並第十小学校で、小学6年生の男児(12)が、屋上から約12メートル下の玄関ホールに転落し、約4時間後に脳挫傷などで死亡した。

男児は、屋上に取り付けられた明かり窓(直径約1メートル)を踏み抜いており、警視庁杉並署で詳しい事故原因を調べている。

同署副署長によると、事故当時は1時間目の算数の授業中で、教諭と児童が歩幅を測るために、3階建て校舎の屋上にいた。男児は教室に戻る途中に明かり窓を踏み抜き、吹き抜けになっている1階ホール床に転落したらしい。明かり窓部分に囲いはなかった。

校舎屋上の明かり窓を踏み、小6男児が転落死…東京・杉並
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080618-OYT1T00526.htm

写真を見て思ったのが、「自分だったら絶対飛び乗ってるだろうな」ってこと。どんなに先生に止められたとしても、逆らって乗って遊んでいたことでしょう。男の子なんてそんなものですよ。プラスティック製のプカプカのドーム。こんな魅力的なドームを見て、飛び乗ろうって思わない方が人間としてどうかしてると思います。

なんでこんなことを書くかというと、ネットを見ていたら、「ゆとり教育の弊害」だの「自業自得」だのトンチンカンなことを書いている書き込みが多かったからなのですが…。そういう人は、小学生時代に超内向的な人間で、しかも大人になってから子供の教育になど関わったことがないんじゃないかと思います。

この事件、自分にはどう考えても、設計上、運営上のミスによるものとしか思えません。

男の子の冥福をお祈り申し上げます。

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軽量ノートパソコンの選び方

「新しくノートパソコンを買いたいんだけど何がいいんでしょうか?」って良く聞かれます。それで、普段、自分が思っていることをまとめてみました。ブログの記事ということで、自分の個人的な趣味も入っていますが、メーカーとの関係を気にしてパソコン雑誌が記事にできない率直な情報もかなり入っていると思います。

設定としては、「Officeソフトはサクサク使いたいが、動画編集や画像編集、音楽制作、3Dゲームなど、高い性能を要求される作業をすることはあまりない。カバンに入れても疲れない持ち運びをしやすいノートパソコンがほしい」という状況を考えました。

結論を先に言うと…、お金が無駄に余っているのでなければ、Windows XPのファンレス中古ノートがおすすめです。詳しくは、以下の通り。

○Windows Vista or Windows XP

Windows Vistaが不評です。何と言っても遅いんですから仕方ありません。

今、仕事で使っている(使わされている)PCが、今売られているノートPCとしては平均よりちょっと上のレベル(CPU:Core2Duo 2GHz、Memory:1GB)のスペックなのですが、「遅いけどなんとか使える」という程度のものです。自分が普段使っているノートPCは、2002年発売のかなり旧世代(CPU:PentiumIII-M 900MHz、Memory:256MB)のものですが、OSがWindows2000ということもあって、こちらの方が体感速度としてはかなり上に感じられます。去年使っていた(使わされていた)PC(Celeron-M(モデル不明)+Memory 512MB)など、ほとんど使い物にならない遅さでした。

しばしば言われることですが、Windows Vistaの開発には「現在のハードウェアの性能を最大限に利用できるOS」を開発してほしいというハードウェアメーカーからの要求がかなり強かったようです。このように表現すると聞こえが良いですが、要するに「スピードが遅く感じられるために、もっと値段の高いパソコンを買おうと思えるOS」ということです。背景には、近年、ハードウェア性能の飛躍的な進歩により、従来のOS(Windows XP)を使っている限り、多少性能の高いPCを買っても、体感速度としてはほとんど違いを感じられないようになってきたということがあったようです。これでは、ハードウェアメーカーはたまったものではありません。そこで、Windows Vistaが登場したというわけです。要するにWindows Vistaは、最初から「機能面で優れているが、速度が遅いOS」として運命づけられていたのです。

しかし、Windows Vistaの機能の中で、Windows XPと比べて、魅力的な機能はそれほどありません。そうだとすると、一般ユーザとしては、Window XPの方が良いという判断をせざるをえないでしょう。特に、重さなどを含めて厳しい選択を迫られることが多い、ノートPCに関しては、Windows Vistaを選ぶメリットより、デメリットの方がはるかに大きいのではないかと思います。

実は、今、Windows Vistaが最初からインストールされた状態で売られているPCには、全て、Windows XPにOSを変更する権利(ダウングレード権)が付いています。ただ、ダウングレードするくらいなら、初めからXPのPCを中古で買った方が値段が安くて済みます。

○CPUとmemory

これはパソコンのパフォーマンスに一番と直結するスペックです。ただ、一般にはあまり理解されていないように思うのですが、CPUのクロック周波数はパソコンの動作速度とそれほど深く関係しているわけではありません。クロック周波数が2倍になっても、動作速度が2倍になるということはありえず、良くて30%~50%速くなるだけです。まして、10%程度のクロック周波数の違いでは、ほとんど違いは生じません。

これに対し、動作速度に劇的に影響するのがMemoryの容量と2次キャッシュの容量です。これが少なすぎると、動作速度は数分の1~数十分の1、最悪ではそれ以下に低下します。PCを使っていて、異常に遅く感じられる場合があると思うのですが、原因のほとんどはCPUではなくMemoryなのです。お金のかけ方という点で言えば、CPUではなく、まずMemoryの方にお金をかけるべきではないかと思います。

ただ、Vistaに関しては、CPUの性能もかなり要求されるので、少なくともデュアルコアのCPUであることが必須ではないかと思います。そうではないPCだとかなりパフォーマンスの低さに悩まされることになるでしょう。

こうしたことを考慮すると、Windows Vistaでは、CPU:Core2Duo、Memory 1.0GB以上が最低レベルではないかと思います。ただ、このスペックでもOfficeソフト複数+Internetというような当たり前の利用でディスクキャッシュ性能の低下があからさまに感じられます。こういった利用法まで含めて考えるのなら、Memoryは1.5GB~2.0GB程度あった方が良いでしょう。Vistaの場合、スペックは高ければ高いに越したことはないのです。

一方、XPの場合、通常の利用であれば、CPU:Pentium M 1.0GHz、Memory:512MBで問題ないと思います。動画編集や画像編集する場合は、多ければ多いに越したことはないのですが、そうでないのなら、この程度のMemoryで十分でしょう。もし可能なら、Memory:1GB程度あるとさらに動作が軽快になります。

ただ、CPUに関して、世代的にはPentium M以降のCPU(Core Solo/Duo, Core2 Solo/Duo))でも、Celeronと名前が付くCPU(Celeron Mなど)は避けた方が良いと思います。Celeronは2次キャッシュが少ないためか、数字上のスペックより大幅に体感速度が低いことが多いからです。細かく見ると、Celeronの中でもそれなりに性能の良いものはあるようなのですが、Celeronは製品系列が複雑で、同じ名前でも、さまざまなものが玉石混淆している状態ですので、パソコンに関する知識に自信がないのなら避けた方が無難でしょう。

ちなみに、Let's note R1, T1などに使われているPentium III-Mは、Pentium Mと同系列で一世代前のCPUですが、それほどパフォーマンスが下がるわけではありません。ただ、Pentium III-Mを選ぶと、どうしてもMemoryの最大容量が少なくなる(最大で512MB)ので、そこまで考えるとPentium M以降のCPUが理想ではないかと思います。ただ、コストパフォーマンスを考えれば、Pentium III-M+Memory 512MBは悪くない選択でしょう。

○余分なアドインが含まれていないこと

仕事でさまざまな会社のPCを短時間で設定しなければいけないシチュエーションが多いのですが、一番厄介なのがNECのPCです。Internet Explorer一つを見ても、「いくつアドイン組み込めば気が済むんだ!!」と言うほど、いろんなアドインが組み込まれているのです。検索エンジンだけでも、J-WordとBiglobeなど3つか4つくらい組み込まれていて、さっぱり意味が分かりません。パソコンに詳しい人なら買った後に削除ということもできるのでしょうが、初心者はどうすれば良いか分からないでしょう。

NECがあまりにも極端なので取り上げましたが、程度の差こそあれ、どのメーカーも同じようなものです。メーカーとしては、リベート目当てに余分なアドインを組み込むのでしょうが、ユーザとしてはたまったものではありません。

その点、一番良いのがPanasonicです。PanasonicのLet's noteは、以前から、余分なソフトが入っていないということで定評があるPCです。

○ファンレスであること

ファンレス=静かなパソコンと思っている人がいるかもしれませんが、ファンレスのメリットはそれだけではありません。故障が少ないということです。

PCのファンはコンピュータにとって非常に危険な部分です。ファンがあるということは、外部から空気を取り込んで、取り込んだ空気を外に出すということなのですが、同時にホコリも一緒に取り込むことになるからです。長期間稼働させたデスクトップのPCの中を見たことがある人なら分かると思いますが、パソコンの中はホコリだらけ。こうしたホコリは、さまざまな故障の原因となります。特に最悪なのが、吸い込んだホコリで、ファンそのものが動かなくなり、熱が溜まりすぎてパソコン全体がダウンするというケースです。

特に、決まった場所で動かしているデスクトップPCならともかく、汚いカバンの中で持ち運ぶ可能性もあるノートPCにとってファンは故障の最大の原因となります。吸気口からはホコリだけではなく、カバンの中のゴミも入り込んでしまうからです。ノートPCを長く使おうと思ったら、最初からファンレスのパソコンにするのが一番でしょう。ファンレスPCは、長時間利用するとCPUの温度が高くなり、スペックよりも動作速度が落ちることがあるという欠点があるのですが、ビジネス用途で考えているのなら、多少のパフォーマンスを犠牲にしても、ファンレスを選ぶ価値はあるのではないかと思います。

ただ、この条件を満たしているのは、実は、PanasonicのLet's noteのR5,T5,W6,Y5以前の機種しかありません。現在発売されている、R7,T7,W7,Y7は、ファンレスではなくなってしまった一方、目立った機能アップはないので、Let's noteを買うなら、R4,T4,W4,Y4以前の機種がおすすめではないかと思います。R5,T5,W6,Y5は、すでに現行機種よりも値段が高いプレミア価格になっているケースもあります。

○SSD搭載

最近、ハードディスクの代わりにSSDと言われるドライブを搭載したPCが注目を浴びています。一般には、消費電力が少ないこと、速度が速いことなどが注目されていますが、ノートパソコンの場合、「振動に強いこと」が最大のメリットではないでしょうか。

ノートパソコンは持ち運びの際に激しい振動を受けることが少なくありません。ハードディスクも用いたPCはこうした振動によって、貴重なデータが損失してしまう可能性が高くなります。これに対して、SSDを利用したPCは、こうした心配がほとんどなくなります。データの信頼性が高いというのはビジネス用途でPCを使う人にとって非常に大きなメリットではないでしょうか。

最初からSSD搭載のPCとしてはSonyのVAIOのカスタムメイドモデルが有名ですが、ハードディスク搭載のPCも、専用のツールを使えば、後からSSDに変更することも可能です。

ちなみに、SSDの欠点は寿命が短いことですが、最近の機種では、かなり改善されているようです。

○薄いこと、軽いこと

普段、カバンに入れて持ち歩くために、パソコンが薄くて、軽いのが望ましいのは言うまでもありません。

これに関して優れているのは、現行機種では、ソニーのVAIO Gシリーズと、東芝のDynabook SSシリーズです。どちらも1kg前後で、非常に薄く、この条件を完璧に満たしています。

旧機種に関して言うと、Panasonic Let's noteのT2,W2以前の機種が比較的、この条件を満たしています。ただ、これ以外のLet's noteは、重さは軽いものの、かなり分厚い構造をしているので、重さだけではなく、カバンの中の大きさを気にする人は避けた方が良いかもしれません。

○バッテリー寿命が長いこと

これも言うまでもないことです。

圧倒的に優れているのは、Panasonc Let's note T4以降で、12時間以上のバッテリー持続時間になっています。電車の中でちょっと使う程度なら、4時間程度のバッテリーがあれば十分だと思いますが、それ以上の利用をする場合は、T4, T5が選択肢に入ってくると思います。

○CD/DVDドライブ

メインマシンとして使うのなら、あった方が良い、サブマシンの場合はない方が軽量で良いというのが一般的な理解ではないかと思います。

ただ、音楽制作など特殊な用途にPCを使うのでなければ、メインPCでもCD/DVDドライブを使う機会はそれほど頻繁にはありません。家の外でDVDを鑑賞する機会もあまりないでしょう。CD/DVDドライブは外付けのものが新品でも10000円台で買えるので、むしろ付いていないものを買い、外付けのドライブを別に買うことを考えた方が持ち運びに便利ではないかと思います。

○タッチパッドの使い勝手

外出先のカフェや電車の中でマウスを使うわけにはいきません。そうなると、タッチパッドの使い勝手は非常に重要になってきます。しかも、タッチパッドは、同じメーカーでも機種によって大きく異なるので、どのメーカーが良いと一慨に言うことができません。個人によって感じ方も変わるため、結局、自分が買いたい機種を実際に操作して確かめてみるしか評価する方法がないのです。

個人的には、Sony, Panasonicは当たりはずれがなく使いやすい印象、東芝、富士通、NECはばらつきが激しい印象、Lenova(旧IBM)は、全体として使いづらい印象を持っていますが、全ての機種を試したわけではないので、当たっていない面も多いのではないかと思います。現行機種の場合は、店頭で確かめるのが一番ですが、中古で買う場合、現行機種と同じ使い勝手とは限らないのが悩ましいところです。

○総合評価

トータルで見ると、新品で手に入る機種の中では、Let's note T5/W5のXPモデルが、一番優れた軽量ノートPCと言えるのではないでしょうか。一世代前の機種とは言え、評価が高いためにプレミア価格となっているほどの人気機種です。

ただ、重さは軽いものの、耐久性を重視して分厚い構造をしているという最大の欠点です。持ち運びのしやすさを重視するのなら、Let's noteの他の長所を捨てて、最新機種のVaio Gシリーズや、Dynabook SSというのが選択肢に入ってくるかもしれません。バッテリーの持ち時間や、ファンがあることなどのデメリットはありますが、全体としては良いマシンではないかと思います。

一方、スペックが多少低くても良く、バッテリーの持ち時間や薄さもそれなりで良いのなら、Let's note T2/W2を中古で買い、メモリを増設する(あるいは増設されているものを買う)という手もあります。スペックが低いとは言っても、OSはXPであるため、十分に実用に耐える速度であり、下手をするとVistaの最新機種より体感速度は上です。まして、特価品にありがちなVista+Celeronの最新機種とは比べものにならないほど速く感じられるでしょう。中古価格もかなり下がっているので、値段が安い(T2なら4万円弱~5万円程度)のもメリット。20万円の最新機種と4万円のT2、それほど体感速度が変わらないとなれば安い方を選ぶのが普通でしょう。

さらに、T1ともなれば、T2/W2とそれほどスペックが変わらないにもかかわらず、3万円を切る価格、下手をすると1万円台で手に入るので、特にコストパフォーマンスを気にするのなら、これを選ぶのが一番ではないかと思います。最大の欠点はメモリを増設しても最大で512MB or 384MBまでしか入らないことと、CD/DVDドライブがないこと。ただ、最大512MBの機種を選んでおけば、Officeソフトの利用には全く支障がないでしょう。また、CD/DVDは、外付けにすれば問題ありません。特に、お金のない学生さんなどにおすすめの機種です。

(価格は全て、2008/6/5にYahoo!オークション(中古)、kakaku.com(新品)などで調べた価格。中古品を販売店で買うと、保証が追加される代わりに手数料が上乗せされるのが普通です。)

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硫化水素自殺の原因はインターネットか?―毎日新聞の記事に、また「慄然」

最近は見知らぬ者同士が練炭で集団自殺を図るケースが相次いでいるほか、自殺願望者が“殺し屋”を募り、実際に請け負った男に殺害される事件まで起きている。命を軽んじる風潮を背景に、自殺へと駆り立てるインターネットの魔力の不気味な広がりに、慄然(りつぜん)とするばかりだ。

硫化水素自殺の場合は、従来の手段よりも第三者を巻き添えにする危険が大きい。自殺サイトが自殺の誘因となっているだけでなく、硫化水素が別の犯罪に悪用される可能性も重視し、警察当局は監視に努めて、ネットの開設者やプロバイダーに自粛や削除を求めるべきだ。自殺との因果関係が認められた場合は、自殺ほう助罪の適用なども視野に入れて取り締まりを強める必要がある。自殺サイトに限らず、反社会的なサイトを追放する機運も、盛り上げねばならない。

(中略)

抜本的には毎年3万人もの自殺者が生まれている状況を好転させぬ限り、問題の解決は望めない。政府は昨年、自殺総合対策大綱を策定、10年かけて自殺死亡率を20%減らす目標を立てたが、生死のはざまで悩む人を自殺に駆り立てる誘因については早急に除去する取り組みが求められる。

社説:硫化水素自殺 死を誘発するサイトの罪深さ/毎日新聞 2008年4月25日
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20080425k0000m070157000c.html

ゴールデンウィークは忙しくてブログに書き込みをする時間がないと思っていたら、久々に、怒りが燃え上がるような新聞記事を見つけました。原因は、ネット規制推進の急先鋒である毎日新聞です。例によって、硫化水素自殺を理由に、新聞のライバルであるネットを規制しようという社説を書いているのですが、この営利企業に金儲けのモラルはあるのだろうかと、「慄然とする」ような内容でした。

○硫化水素自殺推進の原動力になったのは、インターネットなのか?

自殺へと駆り立てるインターネットの魔力の不気味な広がりに、慄然(りつぜん)とするばかりだ。

インターネットにはさまざまな情報があり、その中には社会的に「望ましくない」とされる情報もあります。しかし、インターネット上の情報は、(自殺幇助のように)明らかに犯罪と言える情報でない限り、削除するのは困難です。また、削除することには、法制度としても、また表現の自由を守る社会のモラルとしても大きな問題があります。

一方、インターネット上の情報は、マスコミの報道と異なり、「配信されたか」ではなく、「アクセスされるかどうか」で影響力が決まるものです。つまり、たとえ掲示板に自殺情報が書き込まれたとしても、マスコミが騒がなければ、そこにアクセスは行きません。実際、検索サイトで"硫化水素 自殺"で検索しても、上位に上がるのはほとんどマスコミの記事で、掲示板等はほとんど上がらないのです。このことからも、今回の問題にいかにマスコミがいかに大きな影響力を与えたということが分かると思います。

つまり、インターネット情報は、マスコミの情報とは異なった性質があるものであり、報道と同様の規制を行うことは適切ではありません。ではどうすれば良いのでしょうか。本来、インターネット上の情報を補完する役割があるのがマスコミです。インターネット上の情報に、事実として問題があるのなら、マスコミは正しい事実を積極的に報道することで、対処するべきだし、事実としては問題ないが、拡散してほしくない情報なら、マスコミは報道を規制することで対処するべきです。ところが、毎日新聞を初めとするマスコミがやってきたことはちょうど正反対。インターネット上の情報をそのまま垂れ流すような記事を書く一方、硫化水素自殺の問題(失敗の可能性など)については、ほとんど書いて来なかったのです。

そうやって硫化水素自殺を推進しておきながら、他人事のように「自殺へと駆り立てるインターネットの魔力の不気味な広がり」と書ける神経には、「慄然」とさせられるのは自分だけでしょうか。この新聞社は、報道を通して、確信犯的に自殺者を増やすことで、ネット規制推進の足がかりにしようとしているのではないか…そんなことまで勘ぐりたくなってきます。これでは、自殺した人も浮かばれないでしょう。

○自殺サイトは、毎日新聞と比べて反社会的サイトか?

自殺サイトに限らず、反社会的なサイトを追放する機運も、盛り上げねばならない

もう一つ、呆れるような記述がありました。

たしかに、明確に「反社会的サイト」があるのなら、(マスコミが報道しないといった対応も含めて)何らかの形で規制が必要かもしれません。しかし、この社説を書いた人は自殺サイトを実際にのぞいたことがあるのでしょうか?どう考えてもイメージだけで適当なことを書いているとしか思えません。たしかに、自殺サイトには反社会的内容も書き込まれるかもしれませんが、大部分の書き込みは、自殺志願者に対して他の人が相談に乗っているという内容のサイトです。自殺を推進するような内容をこまめに削除している熱心な管理人さんも少なくありません。1時間で良いので時間を使って、自殺サイトを眺めれば、書き込みを通して、自殺を思いとどまる人の方がはるかに多いということは分かるでしょう。ネット上で「いのちの電話」と似たような役割を果たしているのが自殺サイトです。

そんな自殺サイトを規制するくらいなら、それ以上に問題の原因となっているサイトはたくさんあります。その一つが、新聞社のサイトと言えるかもしれません。たとえば、今回の硫化水素自殺に関して、それをもっとも推進したのは、マスコミの報道です。客観的な記事を体裁を取りながら、自殺を推進するマスコミの記事は「有害情報」以外の何ものでもないでしょう。しかも、何とも都合のいいことに、新聞社は、しばらくしたらこの記事を「削除」してしまうのです。これはブログや2ちゃんねるの記事とは大きく異なる点です。つまり、ブログや2ちゃんねるの情報と異なり、適当なことを書き放題。一方的なイメージだけを植え付けて責任を取らないというのが新聞社のサイトです。しかも、その影響力は、ブログや2ちゃんねるの比ではありません。こうした記事を垂れ流しているサイトこそ、「反社会的サイト」ではないでしょうか?

少なくとも「自殺サイト」と比べる限り、毎日新聞のサイトの方が、自殺者を増加させるのに貢献しているということは間違いないでしょう。この論説委員は、どうすれば恥ずかし気もなく、「自殺サイトに限らず、反社会的なサイトを追放する機運も、盛り上げねばならない」などと書けるのでしょうか。自殺サイトをまともに取材することさえなく、イメージだけでネット規制を推進するこの社説は、2ちゃんねるの書き込み以下と言えるかもしれません。単に取材をする能力がないのか、間違ったことを書いていると知りつつ、確信犯的にネット規制を推進しようとしているのか分かりませんが、いずれにせよ、こういうおかしな記事を「追放する機運も、盛り上げねばならない」のは間違いないでしょう。そのことこそが、「生死のはざまで悩む人を自殺に駆り立てる誘因については早急に除去する取り組み」の中でも、もっとも優先して取り組まれるべき課題ではないという気までしてきます。

○関連記事

報道の自由と著作権
http://informatics.cocolog-nifty.com/news/2008/03/post_45a4.html

硫化水素自殺って楽に死ねるんだろうか?
http://informatics.cocolog-nifty.com/news/2008/03/post_1944.html

○関連サイト

続々々・インターネットに「自殺幇助」を転嫁するマスコミ - 終わらない「集中砲火」
http://erict.blog5.fc2.com/blog-entry-243.html

インターネットに「自殺幇助」を転嫁するマスコミ
http://erict.blog5.fc2.com/blog-entry-239.html

死を誘発するマスコミの罪深さ
http://meinesache.seesaa.net/article/94730596.html

政府はマスコミ規制にはネット言論を使うだろうhttp://blog.goo.ne.jp/touhou_huhai_blog/e/ac1b28e67859e146fa25046eb80b083f

4つ目のブログは特におすすめ。新聞社の論説委員には心して読んでほしい内容です。毎日の社説などよりブログの方が、よほどまともなことを書いていることが分かります。

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中国という不思議な生き物

中国で奇形の動物が生まれたという話は良く聞きますが、今度は名前さえ分からない「全く得体の知れない動物」が捕獲されたということです。

しかし、自分は思わず、以下の部分に目が行ってしまいました。

同園の飼育係は、この動物が何でも食べる雑食で、どんどん大きくなる一方だと説明。あとどれくらい大きくなるのか、あと何年ぐらい生きるのかがわからないため不安だと話している。

こんな動物見たことある???口はブタ、目はウサギ、体はキツネ―江西省宜春市
http://www.recordchina.co.jp/group/g17946.html

共産主義と資本主義の間で生まれた「中華人民共和国」という国は、共産主義でも資本主義でもない、今まで誰もが見たことのない国として、急激な経済成長を迎えています。このまま共産党が崩壊していくのか、内部での体制変革を繰り返しながら存続していくのか、誰も分かりません。

「あとどれくらい大きくなるのか、あと何年ぐらい生きるのかがわからないため不安」

この言葉は、今、世界が中国という国に向けている眼差しを、そのまま示しているような気がしてなりませんでした。

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日の丸と神道を結びつける右翼こそ、ナショナリズム衰退の原因

今、「右翼」と呼ばれる主張をしている人の多くは、日の丸と神道を結びつけるような議論をします。「日本人であれば、日の丸を国旗とし、日本の伝統である神道を崇めなさい」というような話です。もちろん、全ての右翼思想の持ち主が、日の丸と神道を結びつけていると言いませんが、そのような議論が目に付きやすいのは事実でしょう。

しかし、この議論こそ、日本人の「日の丸に対する嫌悪感」「ナショナリズム衰退」の原因となっているということにどれだけの人が気づいているのでしょうか。多くの世論調査が示しているように、日本人の多くは、日の丸を国旗として受け入れる判断をしています。しかし、「日の丸」の血塗られたイメージに対する反発を感じる人も少なくないでしょう。これは、単に左翼が作り出したものではありません。日の丸を神道と結びつける右翼こそ、結果として、血塗られた日の丸のイメージを固定させる積極的な役割を果たしていると言えるからです。

これは、二つの問題に分けて考えることができます。

一つは、日本の伝統習俗としての神道と、国家神道は異なるということ。ちょっと歴史を調べれば、国家神道が、明治期に国家体制の確立を目的として人為的に作られた宗教だということは分かると思います。西洋の国家体制がキリスト教の神を中心に作られていることを模倣し、天皇を中心に、さまざまな神を秩序付ける新宗教としての「国家神道」が生まれたわけです。また、太平洋戦争においては「軍部礼賛」と国家神道は密接に関係するものだったことは言うまでもありません。つまり、かりに「日本の伝統」を言うのであれば、そこで尊重されるべきなのは、伝統習俗としての、つまり八百万の神を祭る習俗としての神道であって、軍国主義と密接に結びついた国家神道でないことは明確です。それでもあえて、国家神道を持ち出すことは、「軍国主義体制」への礼賛に結びついてしまうのは仕方ないでしょう。つまり、日の丸と国家神道を結びつけることは、結果として日の丸に「軍国主義」というレッテルを貼ることになっているのです。

もちろん、そういう立場の「日の丸」に賛成する人がいるのは仕方ありません。しかし、問題は、日本にはそうではない立場の人の方が多いということです。日の丸に軍国主義のレッテルを貼ることは、結果として日の丸のイメージを傷つけ、ナショナリズムへの嫌悪感を増大させていると言えます。

一方、国家神道であるかにかかわず、神道とナショナリズムは一致しません。実際、日本は信教の自由がある国であり、その中で積極的に神道を信仰する人は必ずしも多くありません。そして、歴史的な議論がどうであれ、宗教に対するアレルギーの強い我が国で、神道を宗教的なものだと理解する人が多いのは事実です。たとえば、今日、カトリック系の学校では、日の丸を掲揚しないのが一般的になっていますが、これは決して、カトリック系の学校が左翼思想に染まったからではありません。右翼勢力が、日の丸と神道を結びつける立場を強調するため、神道以外の宗教を信仰する人が、日の丸を否定する立場を取ることに追い込まれてしまうわけです。

信教の自由へのこだわりが特に強い我が国において、本来の意味でのナショナリズムを強調するのであれば、特定の宗教に寄らないナショナリズムでなければいけないのは明白です。ところが、従来の右翼勢力はそれと正反対のことを行ってきました。そのことこそ、我が国におけるナショナリズム衰退の最大の原因とまで言うことができるでしょう。

日本が民主主義の社会である以上、本来、ナショナリズムを強調することと、「国家神道」あるいは一般に「神道」を信奉することは、切り離して考えられるべきです。もちろん、ナショナリストの中に、「国家神道」を信奉したり「軍国主義復活」を目指す人がいても良いとは思いますが、そのこととナショナリズムと切り離さなければ、ナショナリズムは多くの人にとって「近づきがたい」ものになり、日本からナショナリズムは衰退していくのです。

では、どうすれば良いのでしょうか。これはあくまで個人的意見ですが、このブログで自分が以前から強調しているのは、「民主主義の国としてのアイデンティティに基づくナショナリズム」「国際社会で正義を貫ける誇りある国としてのアイデンティティに基づくナショナリズム」の必要です。こうして多くの人が日の丸に誇りを持てるようになったとき、初めて、一人一人が安心して暮らせる平和な社会な実現するのではないかと思っています。

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政治思想としてのチベット問題―左翼と右翼の不毛な対立を超えて

○チベット問題をめぐる混乱

最近、チベットに対する中国政府の対応が問題になっています。現地では、すでにたくさんの方が亡くなっており、これから大規模な虐待・虐殺が起きるという見方まであります。こういう状況で、「政治思想としての」という記事のタイトルの記事を書くことには、後ろめたいものもあるかもしれません。しかし、我が国におけるチベット問題に関する議論を見ている限り、明らかに、政治思想上の混乱が議論を拡散させ、運動としての力を弱くしてしまっているように思えるのです。

チベット問題では、右翼・左翼といった従来の区別が成り立たちません。というのも、チベット問題に関して中国政府の対応を批判する人には、従来の区分で右翼・左翼、いずれの立場を取っている人もいるからです。

表面的に見る限り、「左より」の人と、「右より」の人では、チベット問題に対する意見の背景は根本的に異なります。「左より」の人は、中国政府による「人権侵害」に、アメリカがイラクやグアンタナモで行ってきた人権侵害を重ねて反対します。また、日本のメディアが中国政府に対して批判的な意見を言えないことに対しては、「権力によるメディアの支配」ととらえて、反発します。一方、「右より」の人は、中国政府に横暴は、日本が軍備を拡張して、中国政府に対して強硬な態度を取らなければいけない理由だと考えます。また、日本のメディアが中国政府に対して批判的な意見を言えないことに対しては、「日本のメディアが左翼によって支配されていることが原因」と考えて攻撃するわけです。

つまり、根本的に違う立場の人が、結果として同じ主張をしている。それがチベット問題の特徴と言うことができるでしょう。こうした状況で、チベット問題に関する議論は拡散し、運動全体として、大きな力を持つことができないでいるように思えます。

○右翼と左翼

しかし、そもそも右翼と左翼という区別は、いったいどういうものなのでしょうか。ステレオタイプ的な右翼・左翼という区分は以下のようになるでしょう。

右翼→親アメリカ、反中国、軍備拡大に賛成、警察権力の拡大に賛成、メディア規制に賛成、ネット規制賛成、太平洋戦争を肯定、人権軽視

左翼→親中国、反アメリカ、軍備拡大に反対、警察権力の拡大に反対、メディア規制に反対、ネット規制反対、太平洋戦争を否定、人権重視

これは切り離すことのできない「組み合わせ」として理解され、自分の立場に基づいて相手の主張のおかしなところを批判するというのが、多くの人が行っていることでしょう。

しかし、この区分はそもそもおかしなものです。「右翼」と分類されている考え方と「左翼」と分類されている考え方には両立するものは少なくありません。また、ある部分は「右翼」に分類される考え方を持っていて、ある部分は「左翼」に分類される考え方をしている人も少なくありません。

たとえば、私個人は、アメリカとの友好関係も、中国との友好関係も重視するべきである一方、両者に対して言うべきことは言っていかなければいけないと思っています。むしろ、「友好関係を結ぶためには、相手の言うことを全面的に聞かなければいけない」という卑屈な考え方こそが、日本の外交の問題だと思っています。したがって、私の立場はいわゆる右翼でも左翼でもどちらでもありません。また、軍備や歴史に関しては、「侵略戦争の反省に立った誇りある日本、誇りある軍隊」を築いていくことが必要だと思っています。従来の右翼・左翼の議論は、両方とも日本の誇りを失わせている原因だと思っているので、私の立場は、いわゆる右翼でも左翼でもありません。誇りのある国としての日本を作っていこうと思うからこそ、歴史を直視しなければいけないと思うし、関係国との友好関係を築かないといけないと思うし、また、関係国に対して意見をするところは意見をしていかなければいけないと思うのです。

警察権力の拡大やネットの規制については、現状が異常に規制推進に傾いていることに危惧をして反対する立場なので、ステレオタイプ的には「左より」ということになると思いますが、「左より」の人の中にも、「人権を守るために警察権力を拡大しネット規制を強化するべきだ」と主張する人もいるし、「右より」の人にも、それに反発して、警察権力の拡大やネット規制に批判的な人も多いので、私の立場がただちに「左翼」と言えるかというと微妙ではないかと思います。

これはあくまで個人的意見と言えば個人的な意見ですが、そういう意見が「ありえる」ということは、「右翼」と「左翼」という分類のおかしさの説明にはなっているでしょう。部分的にでも、私の意見に共感してもらえる人は多いと思うし、そのことは、「右翼」と「左翼」というステレオタイプが時代遅れものになっていることの証明になっているのではないかと思います。

これはチベット問題についても同じです。本来、チベット問題に関して、「右翼」的な考え方と、「左翼」的な考え方は矛盾しません。たとえば、右翼の人も左翼の人も「メディアの偏向した報道」を問題にしているわけですが、その背景には、「権力に従い、中国の立場に偏った報道をするメディア」があるわけです。「中国に媚びる左翼的メディアに対する反発」と、「権力にしたがって報道をする右翼的なメディアに対する反発」は、同じことの別の表現でしかありません。また、「チベットに対して人権侵害をする中国政府」という現実は本来一つであり、そこに左も右もありません。

○感情と政治的判断

では、どうしてこういう不毛な対立が起きてしまうのでしょうか。その原因は、政治的判断に感情を持ち込むことではないかと思います。

たとえば、「中国に対する感情的反発」、「アメリカに対する感情的反発」、「軍備に対する感情的反発」、「人権を叫ぶ人々に対する感情的反発」。話の背景を聞けば、これらは、どれも十分に理解できるものです。しかし、島国日本にとって、中国との友好関係も、アメリカとの友好関係も重要です。軍備も人権も主権国家としてなくてはならないものです。こういった感情に流されていては、冷静な政治的判断はできません。こうした問題に関しては、いかに感情を排して冷静な判断をできるかが重要なのです。しかも、これは政治家や外交官だけに求められる能力ではありません。民主主義の制度である以上、有権者が冷静な判断をしなければ、国は全体としておかしな方向に行ってしまうからです。

もちろん、特定の問題に関して行動を起こすときに、時には感情を武器として用いることも必要でしょう。たとえば、チベットの問題に関して抗議行動を行おうというとき、「怒り」という感情は大きな武器になります。しかし、そこで感情が十分にコントロールされていなければ、結果として危険な方向に向かってしまうことになるのです。

政治的判断に感情を持ち込まないというのは、必ずしも「感情を押し殺す」ことではありません。たとえば、「中国に対する感情的反発」、「アメリカに対する感情的反発」、「軍備に対する感情的反発」、「人権を叫ぶ人々に対する感情的反発」。そういうものがあるとしたら、この全てを理解すれば、結果として「政治的判断に感情を持ち込まない」ということになるでしょう。つまり、さまざまな人の立場になって考えていくこと、言いかえれば「教養」こそが、「感情に流されない冷静な判断」を可能にするのです。

一方、こうした感情は、「自分は右翼に賛成だから、こう考える」「自分は左翼に賛成だから、こう考える」というような集団意識となって表れることもあります。そのように考えるとき、自分の逆の立場に分類される集団に対しては感情的に反発することになり、相手の意見は決して耳に入ってきません。本来、政治に関する論点は、右翼と左翼に簡単に分類できないのですが、集団意識でものごとを考える人は、単純な分類でものごとを理解し、そのことに疑いを持つことすらなくなってしまうのです。一言で言えば、私たちは、集団意識によって、思考することをやめてしまいます。そうなれば、残されるのは、相手に対する感情的反発でしかないでしょう。

いずれにせよ、こうしたことによって、本来存在しないはずの「右翼」と「左翼」という枠組みが作られ、意味のない対立が生まれているのです。

○チベット問題と政治思想

さて、これが純粋に思想的、理論的な問題であるのなら、大きな問題ではないかもしれません。右翼と左翼で議論ができれば、それはそれでプラスだという見方もあるでしょう。

しかし、こういう状況では、必ず「漁夫の利」を得る人たちが出てきます。チベット問題を押し切ろうとしている中国政府や中国政府に追随するマスコミ、ネット規制や警察権力の強化を進めようとしている警察やマスコミ。こういった人たちは、「右翼」と「左翼」の不毛な対立の間で高笑いをしているのです。実際、チベット問題に関して、左右問わず反対の声が挙がっているにもかかわらず、中国政府に対して、日本政府が強く出る可能性は皆無です。ネット規制に関して、有識者からは左右問わず反対の声を上がっているにもかかわらず、与野党の共同提案で、世界に類を見ない言論弾圧が行われようとしています。

繰り返しになりますが、今、チベット問題を始め、日本が直面しているさまざまな問題に関して、「右翼」と「左翼」という区分はほとんど意味がありません。そして、その意味で、右翼の敵は左翼ではなく、左翼の敵では右翼ではありません。本当の敵は、そうした状況を利用して漁夫の利を得ている人たちであり、さらに言えば、「右翼」と「左翼」という狭い考えにとらわている自分たち自身なのです。

その意味で、チベット問題は、今まで「右翼」と「左翼」という異なる立場だと思われてきた人たちが、同じ立場で議論をするという、珍しい機会です。このまたとない機会に、両者がお互いに対して抱いている誤解を解き、不毛な対立を少しでも解消していくことが必要ではないでしょうか。そのことは、チベットの人にとっても、また日本人にとっても、大きな前進になるのではないかと思います。

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ニュースに出てきた人名のスペルを調べる

日本語のニュースの話題を、海外のニュースサイトで調べようとした場合、日本語表記で検索してスペルを確認後、英語で検索という順番をたどることになります。しかし、あまり有名ではない人に関する話題だったり、カタカナ表記が複数ある場合などは、なかなかたどり着けないのです。

今回、イタリアの議員候補で元ポルノ女優という人のニュースを見つけ、いったい何ものなのだと思って検索したら、かなりの時間がかかってしまいました(10分近く)。ニュースそのものは大したことではないのですが、いずれにせよ「人名対応表」のページが必要だと思い、記事を書かせてもらいました。どちらかというと、検索でたどりついた人向けの記事ですので、定期的な読者の方には失礼しました。

今後、似たようなことがあった場合、新しい記事を書かずに、この記事を更新していくことにします。

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イローナ・スターレル/シュターッレル・イロナ/Staller Anna Ilona/Elena Anna Staller

チチョリーナ/チッチョリーナ/Cicciolina

ミリー・ダブラッチオ/Milly D'Abbraccio

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«イタコの人たちは歴史の勉強が大変だ