感動するということ

音楽 | 2007/10/17

あるコンサートで、後藤康二さんが作曲した「くちなし」という曲を聞きました。音響の状態もあって歌詞はほとんど聞こえなかったのですが、あまりにも情感のこもった曲に、胸がいっぱいになってきて、いつのまにか目に涙を浮かべていました。

それがいったいなぜかとか、どういう感情なのかとか、そんなことを言葉にすることはできません。しかし、どうしてそのメロディにここまで、切なく、悲しいものを感じられるのかということは、自分の中で大きな驚きであり、謎であったのです。

それから時間がたち、ネットで買いものをしたついでにふと思い出して、この曲の入ったCDを買ってみました。

歌詞カードを見ながら聞いていたら、
溢れてくる涙を止めることができませんでした。
何十回もリピートしながら、

ただ、泣いている自分がいました。

人が感動するというのは
―情報というものが常にそうであるように―
その人のさまざまな体験や歴史性の中で起きるものです。
その理由を記述したり、
説明したりすることはできません。
そして、だからこそ、ただ一つのかけがえのない、
自分にとっての感動
―一般的に言えば情報―があるのだと思います。

もちろん「くちなし」に感動したのがどうしてかを
多少は言葉にできないこともありません。
でも、言葉にした瞬間に、
その剰余として、文脈として、
その意味は消えていってしまうのです。

考えてみると「くちなし」は、そういうことを歌った曲でもあります。

ねぇ路地裏のくちなしが咲いたよ
甘く薫り遠い記憶揺らす

少しずつ街は変わり始め
慣れていった自分がただ哀しい

この曲の作詞をした竹井詩織里さんは、
道ばたのくちなしに出会って
そういう自分自身の体験や歴史の「かけがえのなさ」に
言葉にならない形で気づかされたのかもしれません。

second tune ~世界 止めて~ /竹井詩織里http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000A1EFQY/informaticsco-22

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