日記・コラム・つぶやき | 2007/05/12
UNIXコマンドのtalkというのをご存じの方がいるでしょうか?UNIXのネットワーク上でチャットのようなことを行うコマンドです。ちょっと用があって、久しぶりにUNIXのコマンドを調べていたら、たまたまこれらのコマンドを発見し、いろいろな思い出がよみがえってきました。
大学に入ってすぐ、生まれて初めて付き合った彼女と付き合う前のことです。そのときの大学はメインのシステムがUNIX(しかも、solaris)で、大学の中には数カ所にUNIXの端末が配置され、イントラネットで接続されていました。
そのころは携帯が普及し始めたばかりで、クラスのうちPHSを持っているのが半分、通常の携帯を持っているのは完全にゼロという状況。携帯メールなど存在すらしなかったのです。
PHSを持っていなかった彼女と自分は、授業が終わった後、それぞれUNIXの端末にログインするのが習慣でした。そしてそれが、二人が会うための唯一の方法だったのです。talkコマンドでチャットし、お互いの場所を確認する。そして、二人で会ったりする。
「何してるの?」
それとなく声をかけて、ひまそうだったら会おうと誘ってみるのは、今の携帯メールの感覚かもしれません。
talkコマンドは、自分にとっての
ときめきの場であり、
駆け引きの場であったわけなのです。
2年生の後半になって、生活パターンのズレからお互いに疎遠になっていったとき、そこにtalkコマンドはもうありませんでした。待ちあわせをして久しぶりに会うのにtalkコマンドは必要ありません。時間がある二人だけに許されるコミュニケーション手段が、talkコマンドだったわけです。
考えてみると、恋愛についても、将来についても、一番、自信に満ちていて、そして一番、不安で一杯だったのが、あのころの自分だったかもしれません。社会からはそれなりに評価されるような大学に入ってみたものの、周りは死んだように無気力な人間ばかり。理系なのに数学もできなければ、将来に対するビジョンも持っていない。こんなところにいったい何しに来たんだろうという悲しさと、自尊心、劣等感、不安との間で、いろいろなことを学び、いろいろなことを考えていたような気がします。
ただ、不思議なことに、そのころの自分が考えていたことは、自分にとってどこまでも「謎」なのです。それはおそらく、あの時代の混沌とした自分が、いろいろな意味で今の自分の原点だからなのでしょう。そしてだからこそ、その「謎」を解き明かすことが、今、自分が「生きる」ことと密接に関係しているように思えるのです。
そういう意味で、今回のことも、そういう「謎」を解き明かす試みの一つだと言えるかもしれません。自分にとって、talkコマンドは、単に別れた女の思い出なのではなく、自分自身の過去についての淡く、悲しい思い出でもあるのです。
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