「科学はホメオパシーを否定できない」への批判に反論する

経済・政治・国際 | 2010/08/09

この記事は、「科学はホメオパシーを否定できない」に関連する細かい議論についてのものです。重要なものは元記事に追記しているので、まずはそちらをお読みください。ホメオパシー関連の議論は「ホメオパシーの議論、7つのQ&A」が今のところ一番まとまっています。

先日書いた「科学はホメオパシーを否定できない」はものすごい数のアクセスをいただいたのですが、誤解に満ちたコメントが多かったことに驚きました。ちゃんとした批判だったら嬉しいのですが、批判の方向性が違うのです。自分としては「そうそう、まさにそういうつもりで書いたんですよ」というものが半分以上、残りの多くも誤解していているものコメントが大部分でした。やっぱり、こういう話はネットでは難しいのかなと思ったり、自分の文章の下手さを反省したりしました。

そんなところ、発声練習というブログを運営するnext49さんの、「『情報学ブログ:科学はホメオパシーを否定できない』に賛同できない点」、という記事を見つけました。この記事は、はてなブックマークにあったような誤解をまとめたような記事で、まとめてして非常に良くできているのです。これを参考にしながら、前の記事の解説をしていきたいと思います。

さて、最初は発声練習の記事と関係ないのですが、基本的なところから説明します。

◎タイトルについて

前回の記事において、本文では、「科学的」な(科学の立場からの)ホメオパシーの否定と、ホメオパシーの立場からの否定という言葉を分けた上で、科学はホメオパシーを「科学的」には否定できるが、ホメオパシーの立場からも分かるような否定をできないと結論づけています。タイトルの「科学はホメオパシーを否定できない」というのは、ホメオパシーの立場からの否定の話であり、「科学的」な(科学の立場からの)否定の話ではありません。

これに関して、next49さんを初めとする大部分の人は意図通りに読んでくれたと思うのですが、一部見当違いのコメントがあったので、念のため確認しておきます。

◎ホメオパシーが科学であると偽装していることについて

ということで本題です。

ニセ科学に関する問題が起こるのは、科学でないものが科学を装うから。なぜ、科学を装うかといえば、科学の権威主義的側面を利用して、知識が少ない人を騙そうとするため。ここが、問題。ホメオパシーは完全にニセ科学の条件を満たしている。(参考:ニセ科学を問題にするとはどういうことか)

「情報学ブログ:科学はホメオパシーを否定できない」に賛同できない点/発声練習

また、コメント欄では、熱烈な信奉者を説得するのは無理にしても、大多数の中間層が、これ以上間違った方向に行かないことが重要だという指摘をいただきました。

自分はいずれも大賛成です。日本ホメオパシー協会によるベンベニスト論文の引用の仕方は、詐欺と言われても仕方ないでしょう。「科学ではないのに科学であることを装っているニセ科学」に対しては、科学の立場からそれが科学ではないと言えば良いのです。これは非常に重要なことです。

ただね、こういう批判だけで批判したつもりになることに反対なのです。たしかに、日本のホメオパシー協会は、不用意な発言をしていると思いますが、ホメオパシーの賛同者には多様な人々がいます。ホメオパシーの本家とも言える、欧州やアメリカにも根強い人気があります。こういう状況で、相手の細かい「戦術ミス」のようなものを取り上げて批判することは本質的ではありません。日本ホメオパシー協会は潰れても、他のホメオパシー信奉者が「あれは間違っている」と言って勢力を伸ばすかもしれません。何よりホメオパシーの信奉者には素朴な科学不信、医療不信がある場合が多いので、この程度の話は受け入れないケースが多いでしょう。つまり、表面的な批判は、批判として正しいかもしれないけれど、「致命傷を与えていない」ために、ゾンビのように生き返ってくる可能性が高いのです。

以前、ある先生に次のようなことを言われたことがあります。

「批判をするときは相手の主張を、最高のところで捕まえて、それを批判しなければいけない」

たとえば、相手に議論上のミスがあったら、助け船を出す。それで相手の主張のもっともコアなところをあぶり出し、その上でそれを否定する。ゲームでたとえて言うなら「雑魚キャラは放っておいて、ボスを倒す」みたいな発想と言えば良いでしょうか。自分が言っているのはそういうことです。安易にニセ科学としてホメオパシーを批判して終わりにするのではなく、もっと本質的な問題としてホメオパシーについて考えてみようという話です。

ちなみに、このことと、「ホメオパシーは科学ではない」と訴えることの重要性とは別です。それはそれで行っていけば良いのです。これは役割分担の問題とも言えます。

◎本当に疑似科学の信奉者を説得できるのか

これとの関係で、本当に疑似科学の信奉者を説得できるのかという立場からの批判がありました。前回の記事では、

「科学者が疑似科学の信奉者を説得するために語りかけるとしたら次のようなものでなければいけません

科学も疑似科学も、所詮、世界を説明する理論の一つに過ぎない。しかし、科学の方が圧倒的に説明能力が高いのだから、私たちは科学の方を信じるべきではないだろうか

科学はホメオパシーを否定できない/情報学ブログ

と書いたのですが、これに対して、「結局、説得できないじゃないか」という反論をいただきました。絶対に反論できないというのは違うと思いますが、限られた時間の中で「説得できないことも多いじゃないか」ということについては、否定するつもりがありません。これについてはやはり、next49さんの次の指摘がまとまっています。

一方で、ホメオパシー信奉者を論理的に説得することのコストは高いので、それよりも、ホメオパシーを信奉するに至った個人的経緯を解きほぐしてあげたほうが、ホメオパシー信奉者をホメオパシーから引き離すのには有効なように思える。

「情報学ブログ:科学はホメオパシーを否定できない」に賛同できない点/発声練習

私の言ったような方法で疑似科学信奉者を説得するコストが高いというのはその通りです。なぜなら、疑似科学信奉者に、科学に関する幅広い知識を教えないといけないし、疑似科学のロジックをある程度理解しないといけないからです。

でも、「ちゃんと対話できるんだ」っていうこと。私はこれが重要だと思っています。科学と疑似科学の関係を普通に考えていくと相対主義に陥ってしまいます。お互いに対話が成立しないで終わり。それに対し、たとえ道は遠くても、いつか必ず分かり合える時が来るんだっていうのが自分の意見です。「個人的経緯を解きほぐす」方法にはさまざまなものがあると思いますが、「対話できる可能性」があるからこそ、そういう手法が使えるという可能性もあります。

「たとえ道は遠くても、いつか必ず分かり合える時が来る」っていうのを「机上の空論。議論するだけ無駄」って考える人もいるかもしれませんが、そういう人とは議論が平行線となり噛み合わないと思います。それは、どこまで言葉の力に希望を持つかという主観的な問題だからです。

◎二重盲検法の議論の目的( next49さんからの二度目の批判(link)を受けた追記(8/10)

まず、二重盲検法の話が、どうして出てきたかを説明したいと思います。

科学を受け入れていない人は、『実験に関わった特定の人物が悪影響を与えた』という主張を、正当化できる可能性がある

これを示すために可能性の一つを挙げただけです。

だから、next49さんの二度目の批判のように、「別の実験のデザインをすれば良い」というような反論があるなら、私はそれに対して、科学を受けて入れていない人にとっての、別の説明の例を挙げれば元の主張を維持できます。

結論に関しては、「(相手の出方によっては)科学はホメオパシーを否定できない」と補ってもらっても良いでしょう。科学的には中身のない主張ですので、科学的に反論しようとしてもあまり意味がないと思います。悪魔の証明という奴ですね。

◎ 二重盲検法に対する前回の記事の説明

その上で、前回の記事の二重盲検法の説明が間違っているのではないかという批判を多数いただいたので、これに対して、説明したいと思います。

二重盲検は、患者と治療にかかわる人、結果を診断する人が全て、「プラセボかどうか」を分からない状態で行う試験です。だから、

二重盲検法の特徴は「患者の思い込み」や「治療者の思い込み」が治療結果に与える効果(プラセボ効果)を排除する点にあり、試験対象のものが科学的なものか、呪術的なものかを選ばない。

「情報学ブログ:科学はホメオパシーを否定できない」に賛同できない点/発声練習

これは全くその通り。試験対象がどのようなものかにかかわらず、正しい結果を得るための手法です。自分はこういう話をしているのではありません。試験対象を選ばないということと、「どのような人でも受け入れる」ことは別です。自分が言ったのは二重盲検を受け入れない発想の人がいるという話であって、ホメオパシーのレメディが特殊だという話ではありません。

実際の臨床試験の流れをご存じない方にはイメージが沸きづらかったかもしれませんが、二重盲検試験にはコーディネーターがいるのが普通です。たとえば、13番のサンプルは本物で25番のサンプルは偽薬(もちろん、この関係はランダム)というというようなひも付けをするコーディネーターがいるということです。どのようにひも付けしたかは、実際に患者、患者に接する医師や薬剤師には知らされません。

さて、「13番のサンプルが本物」というようにひも付けたときに、そのときのコーディネーターの気持ちが、薬に作用し、その状態を薬が保持するなんて考えられませんよね。だから、二重盲検は成り立っています。患者、医師、薬剤師がプラセボかどうかを知らなければ、コーディネーターの意識が試験の結果に影響するとは思えません。

ただ、コーディネーターは、対象となる薬が、プラセボなのかどうかを知っています。もし、この「知っている」ことが結果に影響するのなら二重盲検は成り立たなくなってしまいます。そもそも、「患者、医師、薬剤師がプラセボかどうかを知らなければ、コーディネーターの意識が試験の結果に影響するとは思えない」というのは、「物質に意思や感情が記憶されない」という当たり前の事実に依拠しています。普通に考えたら、物質は物質なのです。しかし、ホメオパシー信奉者は、通常の物質の概念を否定している。こういう立場に立たれてしまうと、科学はそれを論理的に否定することができないという話です。

前の記事で想定したのはこんな流れだったのですが、あまり一般的な議論ではなく、言葉っ足らずだったという批判は免れないと思います。

◎二重盲検法に対するもう一つの説明

ちなみに、前回の記事とは違う流れでも、「科学がホメオパシーの信奉者を論理的に否定できない」という同じ結論を導くことが可能です。こちらの方が分かりやすい一方、実際のホメオパシーの主張にも近いと思うので、ついでにもう一つ書いておきます。

一般に、患者や治療者の感覚が、治療の上で重要な役割を果たしているという主張を肯定したり否定したりするのに、二重盲検を使うことができません。たとえば、「はり療法」の場合、二重盲検にできないことが明らかです。また、通常の保険医療として医師によって行われている治療法の一つに「神経ブロック」というものがありますが、これも理論上、二重盲検にできないものです。「口に含むとスッとすることで元気になる」という飲み物の効果も二重盲検にできません。

これに対し、「薬」の場合は、二重盲検法が有効だと一般的には思われています。薬は本人の意識とは別の形で効くのであると考えるのが普通だからです。しかし、「本人が薬だと意識することで効果を現す」という作用機序を考えた場合、二重盲検法は何も言えなくなってしまいます。たとえば、「砂糖玉に特別の措置を施す+本人の微妙な意識」が治療に重要だとすると、「二重盲検をすると効果が消えてしまう」という主張が成り立つことになります。普通に科学的な発想の人であれば、薬物を摂取することによる治療法において、「本人の微妙な意識」が治療に重要な働きをしていると考えません。それは誤認を防ぐために「排除するべき要因」です。ところが、その前提を共有していない人を説得するのに、二重盲検は使えないのです。

一方、「本人の微妙な意識」が治療上重要だという仮説に基づいたとしても、「特定の条件では二重盲検が成功する」という主張は成り立ちます。前回の記事の言葉で言うと「相手の土俵で相撲を取って、それでも勝つ」ということです。その意味で言うと、ベンベニストの論文は正しく、いまだに間違っていることは証明されていないという、ホメオパシー側の主張も成り立つことになります。

つまり、科学は科学が通常立っている前提に立てば、ホメオパシーに効果がないということを示せるが、科学が通常立っている前提に立っていない人に対してホメオパシーに効果がないことを説明できないのです。

ちなみに、これと関連して「再現性」という問題があります。一般に科学では「誰がやっても同じ結果になる」「何度やっても同じ結果になる」という再現性を正しさの条件とします。この立場を取ると、「患者や治療者の感覚が、治療の上で重要な役割を果たしているという仮説」については肯定も否定もできません。科学は再現性を重視することで、間違っているかもしれないものを排除しつつ、私たちの生活に有用な事実を取り出すことができますが、この立場を取ることで、肯定も否定もされなくなってしまうものも多数あるのです。

大きく言うと、科学というのは「世の中にはウソだかマコトだか分からないものがたくさんあるが、そこから特定の基準で『これは間違いなく正しい』と言えるものを選んでいこう」という発想です。だから、科学が科学の基準で「選ばなかった」ものに対しては、「真実かどうか保留」なのであり、「間違っている」と否定できるわけではありません(もちろん、「科学的ではない」と言うことはできますが、それと間違っていると証明することは別です)。ほとんど偽物という世の中で、本物だけを売っているセレクトショップが大繁盛していると、そういう状況を考えてみれば良いでしょう。科学が言えるのは、他の店で商品を買おうとする人に対して、「そんなの信用できないから買うのをやめなよ。世の中にどれだけ詐欺的なお店が多いのか知っているの?」と言うことです。「そっちの店の商品は全部偽物だ」と断定することまではできないということです。科学には自分の店で扱っていない商品が本物かどうかを判断するすべがないのです。

まぁ、いろいろ言いましたが、結論はそんなに不思議なことではありません。「科学を受け入れていない人は、科学的な説明を聞いても納得できない」ということは感覚的に理解できると思いますが、それが単に感覚的なものではなく、ちゃんと根拠を持っている話だっていうことを指摘しただけです。ごく普通の話なんですが、まだ納得いかないでしょうか?

◎おわりに

以上、next49氏による批判には、一通り反論させてもらったところです。また、はてなブックマークにあった批判のかなりの部分は、この説明で対応できると思います。

ただ、それが全てというわけではありません。批判の中には、こうした話とは一線を画すべき、もっと本質的な批判もありました。ただ、それらはこの場で「ちょっと書く」というような内容ではありません。ほとんどの批判にはコメント欄で応答してあるので、興味を持たれた方は、そちらを見ていただければと思います。

ただ、科学の限界(検証可能性)についてだけは、重要なポイントなので以下に追記させていただきました。(8/10)

◎科学における検証について( next49さんからの二度目の批判(link)を受けた追記(8/10)

おわりに:信じる、信じないという言い方を止めて欲しい

(中略)「人は間違える」という基本的な認識にたって試行錯誤を重ねて積み重ねられた方法論やその方法論に従って蓄積された事実、その事実を整合的に説明するために構築された仮説をひっくるめて「科学」と呼んでいるだけです。
常に検証可能に作ってあるのが科学の方法論や仮説、収集した事実なので、基本は検証すれば良いのです。ですが、我々には知力や財力、時間に限りがあり検証しきれない部分があります。

これは本質的な問題で、かつ納得できません。どうも「検証可能」という概念について違う理解をしているようです。

科学で言う検証というのは、「既存の科学的知識を前提にした検証」です。実験の場合はあまり問題ではないかもしれませんが、理論的な問題の場合、大きな問題です。たとえば、光は粒子か波動か、その両方かというように、選択肢があれば、そのうちどれが正しいのかを検証できますが、それ以外の可能性を排除するという意味での検証は不可能です(悪魔の証明です)。科学的知識は、「その時点の科学的知識によって考えられる可能性を否定する」という意味でのみ検証されているであり、「あらゆる可能性を否定してする」意味で検証されているわけではないのです(科学は悪魔の証明ができると言っているわけではないということ)。実際、時代が下って新たな理論が提示され、過去の理論が否定されることは良くあります。next49さんの言うように、人的・金銭的な限界から検証されていないものもありますが、それ以前に原理的に「現在の科学的知識」を前提にしてしか検証されていないのです。それでも、将来の検証には開かれているというのが「検証可能性」によって科学を正当化する議論です。

だから、検証可能性によって科学を正当化する議論は、そもそも「現在の科学は間違っているかもしれない」という含意を持っています。それでも、信頼に足るのが科学だかということです。これは科学の検証可能性に関する一般的な議論でしょう。「間違っているかもしれない」けれど、信頼することを「信じる」と表現するのは、ごく普通の日本語表現だと思います。

もう少し補足しておくと、こういう時に「信じる」をどこまで拡げるかは程度の問題です。「目の前にディスプレイがある」にも使えます。だって、ないかもしれない。科学的に検証しようと思っても、無限後退に陥ります。「秤はそこにあるのか」「重さの概念は実在するのか」。ディスプレイだって「ある」って信じているのです。自分は「目の前のディスプレイの存在」は信じるに足る事実だと思っているし、科学も信じるに足る事実だと思っています。

○追記

8/10 next49さんからの二度目の批判(link)を受けて補足しました。青字の部分3カ所です。

8/10これに対してnext49さんからお返事をいただき、お互いに納得できる結果になりました。(元の文章が分かりづらかったという意味では、自分の責任なのですが、その点については大人の対応をしてだき、ありがとうございました。)

8/11 話が複雑になってしまい、後から全文読むのも大変だと思うので、短く読める文章を書きました。話の流れは違いますが、議論としてはかなりかぶっています。科学が論理ではないけど正しい理由/情報学ブログ

8/29 ホメオパシー関連の議論を「ホメオパシーの議論、7つのQ&A」で整理し直しました。

9/2 メイン記事と整合性が取れなくなっているところを変更、削除しました。変更前の記事はこちらに保存してあります。

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コメント

公理抜きでは、トートロジ以外何も論理的に推論できないってことよね。
LKだとかでいえば、ターンスタイルの左辺ナシではトートロジ以外は求まらないというか。
哲学で言えばのヴィトケンスタインの言うところのウンジンであるというか、同語反復であるというか。

科学はトートロジ以外を求めるので、やっぱり何か前提にしてる条件がある。そして、それは科学その物には正しさを一切証明できない。(なぜならば論理学や哲学の帰結より。)

そういうことを考えると、ホメオパシーの人たちは公理が違うだけの人なのよね。ってことになる。

じゃあ何をするべきか。
何を前提にしているのかを明示する必要があるね。
「かれこれこういうことを前提にすると、ホメオパシーは効くと想うよ。貴方は『かれこれこういうことを信じることが出来るなら、ホメオパシーも信じてイイよ』」って。
それをするのは、その意見を言った人の責任だろうから、科学屋さんは、その結論が何を前提にしているのかをホメオパシーの人に求めてもいいだろうね。

しかし、これは理想論だ。科学者ですらも、自分自身が公理に持っているものを本当に全部把握しているワケではない。
だから、説明能力って話になるのよね。

投稿: | 2010/08/09 13:12:21

「科学はホメオパシーを否定できない」というタイトルが間違ってる気がするですよ。
「科学はホメオパシーを肯定できない」が正しいのでは。

現代の科学では、ホメオパシーを科学的に正当性を証明できないから、ホメオパシーは(現代の)科学的では無いで、終わりなような気がします。

投稿: み | 2010/08/09 14:11:10

> みさん

まさに、そういう指摘に対する応答を
本文で書いたのですが…。

投稿: 情報学ブログ | 2010/08/09 14:23:45

○匿名の方のコメント(2010/08/09 13:12:21)への応答

おっしゃるとおりだと思います。
非常に整理されたコメントありがとうございます。

> 科学はトートロジ以外を求めるので、
> やっぱり何か前提にしてる条件がある。
> そして、それは科学その物には
> 正しさを一切証明できない。(なぜならば論理学や哲学の帰結より。)

こういうエントリーは、
20世紀の哲学の常識…とでも言って、
適当に哲学者の名前を出しておくのが普通なんだと思います。
そうすると、ナイーブな科学者とか、
余り深いことを考えずに科学を信仰しちゃっている人は、
黙っちゃうから、荒れなくてすむ。
その代わり、同意も批判ももらえないのだと思います。
それだとおもしろくないので、
こういう書き方にしてみました。

落ち着いたら、「科学と哲学のコミュニケーション上の齟齬」に
ついてでも話題にしようと思っています。

投稿: 情報学ブログ | 2010/08/09 14:31:53

いや、二重盲検法の無力さは前回のエントリーで充分伝わってます。
よっぽど読解力ないんじゃないでしょうか。
ちなみに、コーディネータをブラインドしたり、コンピュータに代替したところで、
トンデモな反論はいくらでもできます。

投稿: | 2010/08/09 15:27:57

> 二重盲検法の無力さは前回のエントリーで充分伝わってます。

どうもありがとうございます。
でも、あの説明で理解できた人はかなり少なかったみたいですよ。
やはり、あれは自分の書き方が悪かったのでしょう。
二重盲検を良く理解している人じゃないと、
理解できない説明だったと思っています。。

> コーディネータをブラインドしたり、コンピュータに代替したところで、
> トンデモな反論はいくらでもできます。

これ、はてなブックマークにありましたね。
おっしゃる通り、結局同じことなんですよ。
「トンデモな可能性」なんていくらでもありますからね。
また、「二重盲検法に対するもう一つの説明」は
コーディネータをブラインドしてもコンピュータにしても、
びくともしないはずです。

基本的に、批判ばっかりなので、
たまに好意的な意見をいただいて嬉しく思っています。

投稿: 情報学ブログ | 2010/08/09 15:54:24

お知らせ

承認なしでコメントできるようにしました

投稿: 情報学ブログ | 2010/08/09 15:58:33

前回に引き続き納得して読ませていただきました。

確かにどっぷりとホメオパシーに浸かっている相手に「科学はホメオパシーを否定できない」のはしょうがない現実かなと思いました。

ただ一般の人を相手にするなら、「科学はホメオパシーを肯定的ない」だけでも十分かなとも思いました。

投稿: 三毛 | 2010/08/09 16:28:24

>表面的な批判は、批判として正しいかもしれないけれど、「致命傷を与えていない」

残念ですが、「致命傷」を与えるのは不可能です。たとえどんなに致命的であったり、「彼らの言葉・論理」を扱って本質的な問題を突いたとしてもまったく無意味なのです。それは長い間ニセ科学批判を行っていた方々が経験的に身に着けてきたことです。だからこそ科学分野からニセ科学批判をしていた方々はわきまえて科学の範囲でのみ批判を行い、本質的であろう彼らの「宗教的な部分(=教義)」には手を出さないのです。それはカウンセラーの仕事なのです。京極堂は残念ながらフィクションなのです。

あと、「科学と哲学のコミュニケーション上の齟齬」だとか「論理」の正しさだとか「科学」が万能ではないとか、そういったことはまさにニセ科学批判者にとっては「表面的な批判」ですよ。それらはとっくに乗り越えてきたのです。科学教信者の方々は知りませんが。でもって、いつもnext49先生のような方が優しく教えてくれるわけですね。些細なところも丁寧に拾ってくれる科学者が多くて我々は幸せじゃありませんか?

ということで、そういった先達の激しい議論と空しい説得という蓄積を無視しているのは表面的だと思いませんか?(なんだか巷によくある「進化に証拠はない!」という類の進化学批判みたいで…笑)

投稿: | 2010/08/09 20:23:03

○三毛さんのコメントへの応答

> 確かにどっぷりとホメオパシーに浸かっている相手に
> 「科学はホメオパシーを否定できない」のはしょうがない現実かなと思いました。
>
> ただ一般の人を相手にするなら、
> 「科学はホメオパシーを肯定的ない」だけでも十分かなとも思いました。

コメントありがとうございます。

このブログは「情報学ブログ」ですので、ニセ科学がテーマではなく、
「科学とは何か」を含むコミュニケーションの問題がテーマです。
だからこういう立場で書くしかないわけですが、
今回の記事のように「一般の人」を対象に書いたことが良かったのかは、
難しい問題だと思います。

社会を安定して動かすのが目的ということであれば、
「知識階層」と「一般の人」を分けて、
一般の人は、知識階層の言うことを信じていれば良いというのは
一つの解決策ですから。

投稿: 情報学ブログ | 2010/08/09 23:17:55

○匿名の方のコメントへの応答

> 残念ですが、「致命傷」を与えるのは不可能です。
> たとえどんなに致命的であったり、「彼らの言葉・論理」を扱って
> 本質的な問題を突いたとしてもまったく無意味なのです。
> それは長い間ニセ科学批判を
> 行っていた方々が経験的に身に着けてきたことです。
> だからこそ科学分野からニセ科学批判をしていた方々は
> わきまえて科学の範囲でのみ批判を行い、
> 本質的であろう彼らの「宗教的な部分(=教義)」には手を出さないのです。
> それはカウンセラーの仕事なのです。

「致命傷」というメタファーの使い方を別にすれば、
自分の意見と全く同じですね。

自分の言う「論理的に説得できない」をあなたの言う「致命傷を与えるのは不可能」に、
対応させれば言っていることは全く同じです。
自分も、そういうことを前提に書いています。
自分が言っているのは、
「論理的に説得する」とは別の形で、対話をし、
相手を説得する筋道があるということです。
これは、あなたの言葉で言うと「カウンセリング」ということに
なるのではないかと思います。

> 「論理」の正しさだとか「科学」が万能ではないとか、
> そういったことはまさにニセ科学批判者にとっては「表面的な批判」ですよ。
> それらはとっくに乗り越えてきたのです。

そう思いますよ。
このエントリは、next49さんのほか、
はてブの「科学教」的コメントに対する反論として書いたので、
そういった点を繰り返すような記事になってしまいました。

> 先達の激しい議論と空しい説得という蓄積を無視しているのは表面的だと思いませんか?

誤解を招きやすい話の持って行き方ですが、
自分が使った「表面的」のカテゴリーと違いますね。
もう一段メタな「(表面的かどうかを問題にするような)議論そのもの」が表面的ということでしょう。
その上で言うと、おっしゃる通りだと思いますよ。
「科学はホメオパシーを論理的に否定できない」っていうのは、
さんざん言い尽くされたことです。
それを一般の人に紹介するための記事だと思っていますので、
学問的には表面的な記事だったと思います。
ブログの記事で深淵な真理を提案しようとは思ってませんから。

> あと、「科学と哲学のコミュニケーション上の齟齬」だとか

変なところに無関係な言葉が入っていましたが、
これは全く違う文脈の言葉ですね。
はてブのコメントを、
ありがちな「科学と哲学のコミュケーションの齟齬」の一例として、
取り上げたらおもしろいかも…という話です。
実際に書くかどうかは分かりませんが。

投稿: 情報学ブログ | 2010/08/09 23:22:02

○はてなブックマークのコメントへの応答

はてブにも、見当違いの批判が少なくなってきた気がします。
全部は取り上げませんが、少々…。

> ニセ科学批判をしている人からすれば、
> 説得できないことは経験的にわかってるのに、
> わかりきったことをもったいぶって言ってるようにしか見えない、って感じなのかな?

全くその通りですよ。わかりきってることをもったいぶって言ってるだけです(笑)。

> 私がアホなのかもしれんが、
> この人、論理的じゃないひとを論理的に説得できないよねっていってるだけじゃね?

ざくっと言うと、そうです。
ちゃんと言うと、科学的じゃない人を科学的に説得できないよって話です。
「科学の論理を受け入れてない人を、科学の論理で説得できないよね」でも同じですね。

> その理屈だと「論理」それ自体も「人間がそう定義しただけだからそれが正しいとは言えない」になっちゃうのよね
> 科学が正しいんじゃなくて、現状で一番正しいとされているのが科学。
> それだけなんだけどな。

全くその通りですよ。
それが分からない人に説明してるだけです。
ちなみに、論理が「人間がそう定義しただけだからそれが正しいとは言えない」というのは、
論理学では常識です。
また、「科学が正しいんじゃなくて、現状で一番正しいとされているのが科学」
これが前回のエントリーの結論なんだけど、理解できない人が多かったみたい。
それで、こういう補足記事を書いてるのです。

投稿: 情報学ブログ | 2010/08/10 7:15:13

補足でいただいた内容についての意見を追記の形で追加しました。前提や考え方の違いが明確になったと思いますので補足部分について特に異論はありません。

投稿: next49 | 2010/08/10 18:57:23

>ちなみに、論理が「人間がそう定義しただけだからそれが正しいとは言えない」
>というのは、論理学では常識です。


>ナイーブな科学者とか、
>余り深いことを考えずに科学を信仰しちゃっている人は、
>黙っちゃうから、荒れなくてすむ。
>その代わり、同意も批判ももらえないのだと思います。
>それだとおもしろくないので、
>こういう書き方にしてみました。


なんだやっぱりそういうことか。
話がかみ合わないのは当然だね。
「違う土俵をつくって相手を煙に巻く」ってホメオパシーとやってる事同じじゃ無いか。


ホメオパシー問題が話題になってるから、実践的にどうするのかって
話をしてるのかと思ってました。具体的な解決策も提示して無いんで
当初は「何が言いたいの?」って感じだったけど理解できました。


論理学上の話をしているならもっと論点を明確にしたほうがよいです。


代替医療に煮え湯を飲まされてきた関係者・医療従事者がナーバスになってる話題に
意図的に誤解されるようなキャッチーな表題・文章をつけて釣るのは
正直あまり上品とは思えませんね。(言い訳じゃなければねw)


NATROM先生のところからトラバで流れてきたが、正直損した。

投稿: 一石 | 2010/08/11 15:17:37

○一石さんのコメントへの応答

> ホメオパシー問題が話題になってるから、実践的にどうするのかって

読んだ人がそれぞれ解釈して、実践する話だと思って書きました。
まぁ、そういうのを実践的じゃないって言うんだと思いますが。

> 意図的に誤解されるようなキャッチーな表題・文章をつけて釣るのは
> 正直あまり上品とは思えませんね。

上品じゃないとは思います。
もともとニュースを見ながらタイトルを思いついて、それに合わせて内容を急ごしらえしたものです。
ただ、もう少し分かりやすい書き方をすれば良かったと思いますね。
せっかくアクセスがあったのだから、
Webでは斜め読みでコメントする人が多いこと、
複雑なレトリックをを使った文章は、変な反応しかもらえないということを、
折り込んで、もっと良く練った文章を書くべきだったと思います。
実際、RSSで10件も増加しませんでした。

ある意味、きっちりと理解していただいた上でのコメント
ありがとうございます。
ご足労をおかけし、失礼しました。

投稿: 情報学ブログ | 2010/08/12 0:46:26

科学者:「それ、ただの砂糖でしょ」
ホ:「違うよ。レメディだよ。知らないの?」
科学者:「振ったって変わんないって~」
ホ:「変わるよ~治癒エネルギー増えちゃうんだよ~知らないの~?おっくれてるー」


科学者はホを論破できない。
論破できないと言う事は、否定できていないのと同じ。


と、私は受け取りましたが。

投稿: コロ | 2010/08/12 14:23:53

>科学者は**を論破できない。
(**にはありとあらゆるトンデモが入る)

別に論破する必要もない。
彼等による悪影響を排除する方法は
彼等に自分の誤りを理解させること
だけではないからだ。

投稿: 一読者 | 2010/09/04 15:59:04

この医師会のやってることはホメオパシーが現代医学の脅威なることを恐れて自らの権威を利用してホメオパシーを排除しようとしてる意図、悪意を感じます。
実際私も病院に通っても治らなかった症状が治まった経験があります。 医師会の方々はどれ程のホメオパシーに関する知識をお持ちなんでしょうか?
非科学的だからとか根拠のない理由で自分たちの未知なものを頭ごなしに批判しないで下さい。
権威を持った人間の一言はとても恐ろしいもので社会的にかなり影響します。自らの一言をもっと重く考えて下さい。 私の信じたことを否定されるのは不愉快です。
現代医学にはないすばらしさがホメオパシーにはあるとおもうしだからといってホメオパシーが全てだとは思ってません。

投稿: ホメコ | 2011/02/24 0:44:11

ゲームで例えるとというところの例えがよくありませんね。
犯罪操作で例えると小物を泳がしておいて大物に接触したところを検挙するに訂正してください

投稿: くぱぁ | 2014/09/17 15:30:33

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