「存在することに価値がある」って本当だろうか

情報学 | 2010/08/04

「存在することに価値がある」というのは、良く聞く表現です。しかし、一方で、何だか胡散臭い印象も持つ言葉ではないでしょうか。この記事では「存在することに価値がある」という言葉が使われる場面をいくつかに分類し、それぞれについて検討してみたいと思います。

◎<私>にとっての存在の価値

一般に、価値というのは「誰にとって」という限定と無関係に成立できない概念です。たとえば、<私>にとっての価値、<あなた>にとっての価値、<社会>で共有される価値といった形です。

そこでまず<私>にとっての存在の価値について考えることにしましょう。

価値の議論をするとき、通常は「どういう観点からの価値」かを踏まえて価値という言葉が語られます。お金を得るために価値がある、健康で生きるために価値がある、生存確率を上げるために価値があるといった形です。ただ、こうした価値は、常に「価値のないもの」との対比の中での価値です。つまり、存在の全てに価値があるということには絶対にならないのです。

では、「存在することに価値がある」とはどういうことでしょうか。もっと根源的に、価値ということを考えるのなら、つまり「どういう観点からの価値」かを踏まえないで価値を考えるのなら、<私>が生きる世界のあらゆるものは、<私>にとって価値があります。なぜならば、その世界によって私は生きているからです。朝日の光の感覚、手に触れるタオルの感覚、こういったものは全て私が生きるための感覚であり、朝日やタオルもまた、私が生きるために価値があるものです。また、腐った生ゴミは「捨てる」という行動を促しているという意味で価値があるし、大嫌いなあの人も自分を成長させてくる意味で価値があります。そう考えると、まさに、世界のあらゆる「存在」に価値があるということになるでしょう。

もちろん、これは私たちの感覚とはあまり合いません。実際の私たちは、「特定の観点からの価値」から存在を取捨選択し、これは価値がある、これが価値がないということを決めているからです。そうしなければ私たちは生きていくことすらできないでしょう。ただ、もっとも根源的なところで言えば、「世界のあらゆるものに価値がある」ということになります。

そして、こういう「価値」の中でも、もっとも絶対的なところに位置づけられるのが、「<私>という存在」にほかなりません。あらゆる価値を与える、価値の源泉、それが「<私>という存在」だからです。「全ての存在に価値がある」という根源的価値にしても、特定観点からの価値にしても、それらの価値を与え、価値判断の主体となるのは「<私>という存在の価値」にほかならないのです。こうした「<私>という存在の価値」については、以前書いた「生きる意味について」という記事の中で書いたので、詳しくはこちらに譲ることにします。

◎<私>にとっての他者の価値

では「他者」はどうでしょう。つまり、<あなた>にとって私、<私>にとってのあなたはどうかという問題です。たしかに、<私>にとっての根源的な価値という意味からすると、石ころや生ゴミにも価値があるので、<あなた>にも価値があることになります。しかし、<あなた>の価値が、石ころや生ゴミと同じというのでは、やはり納得できないでしょう。

こうして「人間の価値が石ころや生ゴミと同じような価値しか持たない」(場合がある)というのは、必ずしも間違いではありません。たとえば、この文章を読んでいるあなたにとって、私に絶対的な価値はなく、文章を書いてくれる「道具」でしかないという見方もできます。人間は自分自身にとって絶対的な価値がありますが、他人にとっては石ころのような道具としての価値、あるいは、風景のように漠然とした意味での価値しか持っていないとも言えるのです。

ただ、これはあまりにも感覚と合いません。そこで、哲学者の中には「他者の尊重」の感覚をベースにして、人間の存在そのものの価値を考える人もいます。「コミュニケーションをしている相手を殺せるだろうか?殺せないのは相手に価値があるからだ」こういう議論です。こうした、「他者の尊重」をベースにした価値は、原理的にコミュニケーションが成り立たない人を排除するわけですが、福祉論などでは、脳死の人や重度心身障害者にも非言語的なコミュニケーションが成り立っており、したがって他者として尊重されるのだという議論がありますが、それはこの流れを汲むものです。

さて、これは「人間存在には価値がある」という話として良いのですが、文字通り言うと「存在一般に価値がある」という話と、かなりずれるのではないかと思います。なぜなら、存在そのものというより、あくまで「<私>から見てコミュニケーションが成り立つ」という限定付きの価値だからです。ただ、しばしばこういう意味での価値が、「存在することそのものの価値」として語られてしまっていることには注意が必要でしょう。

◎<社会>にとっての他者の価値

以上のような<私>にとっての価値に対して、<社会>にとっての価値は、ちょっと話が違ってきます。

「<社会>にとっての価値」の中でも典型的なものとして、「全ての人間に対する人権」という考え方からくる価値があります。「全ての人間に対する人権」という考え方は、社会的、制度的に決まるもので、原理的な意味では絶対ではありません。しかし「全ての人間に対する人権」の概念は、制度的な意味で(これは「フィクションとして」とたとえられます)、「人間存在そのものに価値がある」ということを主張します。

この意味での価値は、存在そのものに対する価値ではなく、「人間」存在に対する価値です。だから、結局のところ「人間かどうか」で線引きがされます。人間とはされない存在は、「全ての人間に対する人権」では守られないのです。したがって、これに関しても「存在そのものの価値」とは、かなり話がずれるのではないかと思います。ただ、これについても「存在そのものの価値」という言葉でくくられてしまっていることがあるので、これについても十分、注意しなければいけないでしょう。

◎<社会>にとっての存在の価値

さて、「全ての人間に対する人権」は、所詮「特定の観点からの価値」に過ぎません。「<私>にとっての価値」の話をしたとき、「特定の観点によらない根源的な価値」があったのと同じように、「<社会>にとっての価値」についても、「特定の観点によらない根源的な価値」があっても良さそうです。

こういう議論は、かつて、環境思想や、一部の情報倫理の思想などに部分的に見られました。なぜ、鎮守の森を守らなければいけないのか、なぜ、著作権を守らなければいけないのかを、「存在そのものの価値」に求めるのです。ただ、この発想は、強烈な批判を浴びたのです。なぜなら、こういった発想では、「鎮守の森も公害も同じように守る」「優れた作品の著作権も、ウィルスメールも同じように守る」ということになって、何も言ってないのと同じことになるからです。こうした思想に対しては、「結局、人間の観点から環境を見ているのに過ぎないのではないか」という批判があり、今日ではむしろこちらの方が主流です。

ただ、政策的な問題にとらわれなければ、「<社会>にとっての存在そのものの価値」という考え方は無意味ではありません。たとえば、「公害の存在によって人間そのものがより良くなっていくのだ」「ウィルスメールによってセキュリティ技術が向上する」こういう「存在の根源的な価値」を見いだす立場というのは当然あって、そういう立場からすれば、「存在そのものに価値がある」ということになるからです。政策論ではなく、人間存在のあり方に関する問いとして言うなら、「<社会>にとっての存在」そのものに価値があるという見方は十分ありえるということです。これに関連することを、「風の谷のナウシカ」についての記事(その1その2に書いたので、こちらも合わせてお読みいただけると幸いです。

◎まとめ

一般に、存在そのものの価値という場合、理論的には、やはり最初に挙げたように<私>にとっての存在の根源的価値という立場を取るのが一般的です。また、最後のように<社会>にとっての存在の根源的価値という立場もあることはあります。ただ、いずれにせよ、こうした立場は、「人間の生き方」「人間存在のあり方」を扱うことはできても、具体的な社会問題と絡ませるのは困難です。

一方、存在一般ではなく、人間存在の価値だけを扱えば良いのであれば、他にも議論の持って行き方があります。これは、福祉や人権などの形で具体的な政策とも深く関わっています。ただ、この場合、「存在そのものの価値」とは言いながらも、実際には存在に境界線を引いていることが重要です。「こいつとはコミュニケーションを取れない」「こいつは人間ではない」とレッテルを貼られれば、その存在には価値がないことになってしまうからです。

私たちは「存在そのものに価値がある」という言葉を、曖昧なスローガンのように使ってしまいがちです。しかし、実際にはこの言葉にはさまざまな意味があり、それぞれ全く異なる結論を導くのです。「存在そのものに価値がある」というとき、このあたりがうまく区別されてない場合が多いのではないでしょうか。こうした言葉のトリックに惑わされないためには、自分がどのような「存在」を扱っているか、どのような「価値」を扱っているかを、きちんと見極めることが重要ではないかと思います。

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コメント


周りにとってどんな存在かによってその価値って全然変わってくると思います
なにかしら価値あったと
しても本人がしっくり
きとらんがやったら
そんな価値いりません

投稿: sora | 2011/02/09 20:38:44

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