科学はホメオパシーを否定できない

経済・政治・国際 | 2010/08/08

この記事は、「科学がホメオパシーを否定する」というとき、「科学の立場から否定する」こととと「科学とは何なのかを踏まえて否定する」ことを区別をしないといけないということ。もし、ホメオパシーのコアの信者を説得しようと思うのなら、このことを理解することが重要だということを主張しています。

ホメオパシーについては「ホメオパシーは魂を救済するか?―宗教と科学の境界線」が最新ですので合わせてお読みいただければと思います。

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自分はホメオパシーを擁護するつもりは全くないし、正直、そんなものなくなれば良いと思っています。でも、ホメオパシーの間違いを科学の立場から「証明できる」ということは疑問です。むしろ、「ホメオパシーを否定できる」と考える誤解が、ホメオパシーのような疑似科学の問題をより大きなものにしている面もあると思うのです。この記事では、こういう立場から、なぜ科学はホメオパシーを否定できないのかを考えていきたいと思います。

◎科学とは何なのか

まず、一般的なことから説明したいと思います。科学の本分という記事でも書いたように、科学の知識や手法は「世界を説明する理論(認識の枠組み)」の一つです。本来、「世界を説明する枠組み」には無数のものがあります。超能力、幽霊、UFO、とにかくさまざまなものが世界を説明してくれるわけですが、科学は、こうした「世界を説明する枠組み」の一つに過ぎないのです。しかし、その説明能力が高いこと、有用であることが、科学が科学である理由です。科学は多くの疑似科学が説明できない、車や原子力発電所、健康からコンピュータの仕組みまで説明し、実現することができるのであり、だからこそ、他の「世界を説明する枠組み」と比べて圧倒的に受け入れられているのが現代社会と言えます。

たとえば、幽霊を見たという人が「自分の体験を説明づけるものとして科学は不十分だ、幽霊は存在するのだ」と言ったとします。これを否定するのにどんな実験をすれば良いのでしょうか。実は幽霊を否定する実験などありません。それは科学の範囲外の問題なのです。科学者は「科学の常識では幽霊など存在しない=科学では幽霊を説明できない」と言うだけで、論理的に幽霊を否定する材料を持っていません。たまたま、「あれは幽霊を想定しなくても、ガラスに映った影だってことで説明できるじゃないか」と言って相手が理解してくれればそれで良いのですが、こんな風に納得ができる形で説明できることは稀でしょう。

ではなぜ私たちの多くは幽霊を信じないか。幽霊を信じる人は幽霊らしきものを見たときに、「これは幽霊という形で説明できる」と考えるのに対し、科学を信じる人は、幽霊らしきものを見たときに、「あれは自分には理解できないが、何かしら科学で説明できるかも」と考えるのです。科学を信じている人だって多くの場合、本当に何が起きたか理解しているわけではない。それにかかわらず、「科学で説明できる」と言う私たちは、本質的には「信じている」ことに変わらないでしょう。科学者だって、身の回りに起きる全てのことについて、科学的に考えているわけではないのですが、宗教ならともかく、幽霊を信じている人はあまりいません。

それにも関わらず、「科学の方が正しい」と思うのは、幽霊よりも科学の方が、説明能力が高く、有用であるからにほかなりません。科学は幽霊だけではなく、超能力も、車もコンピュータも説明できるのに対し、幽霊は幽霊しか説明できません。また、幽霊は全然社会を豊かにしてくれないけれど、科学は社会を豊かにしてくれます。こうした事実によって、私たちは科学を受け入れているのです。(参考:科学が論理ではないけど正しい理由

◎「実験」の正当性

この点に関して、一見するとホメオパシーは幽霊と違うように思うかもしれません。なぜならば、幽霊を否定する実験を組むのは不可能である場合が多いのに対し、ホメオパシーを否定する実験ならできるからです。たとえば、ホメオパシーのレメディ(ホメオパシーの治療に使われる砂糖玉)とプラセボ(普通の砂糖玉)を比較して、レメディとプラセボで差がないことを示せば、ホメオパシーに効能がないことが証明できるかのように思えます。

一般に、こうした実験では、「患者の思い込み」や「治療者の思い込み」が治療結果に与える効果を排除するために、二重盲検試験という方法が使われます。二重盲検試験では、患者はもちろん、患者に直接接する治療者(医師や薬剤師)も、プラセボを与えたのか本来の薬を与えたのか分からない状態にして実験が行われるのです。私たちは、こうした二重盲検試験の手法を使うことで、ホメオパシーの信奉者に、ホメオパシーが間違いであることを説得できるかのように思ってしまいがちでしょう。

しかし、これは微妙です。なぜならば、ホメオパシーの信奉者が、通常の二重盲検試験の正当性を受け入れるとは思えないからです。このことを示すのが、ホメオパシーの正しさを証明するために科学雑誌に論文を投稿したベンベニスト博士と科学者とのやりとりです(詳細についてはこちらが良くまとまっています。「水の記憶」事件/Skeptic's Wiki)。ホメオパシーを擁護するベンベニストの論文に対して科学者らが再現実験を行い、その結果、ベンベニストの論文が否定されました。これに対してベンベニストは「実験に関わった特定の人物が悪影響を与えた」と主張するのです。これは、私たちの常識からすると理解できないものですが、科学を受け入れていない人にとってはありえる反論です。なぜなら、通常行われている二重盲検試験は、ある「科学的」な前提に立っているからです。「物質による治療には物質の性質だけが影響する」。言い換えれば、気持ちとか感情など、物質以外のものが記憶されることはないということや、心理的効果は治療に本質的ではないことなどが、通常の二重盲検試験の前提になっています。これは、私たちのように普通に科学を受けて入れて生きている人間にとっては当たり前のことですが、この前提を否定している人にとっては意味がありません。ホメオパシーのように科学を受け入れない人が、二重盲検法で行われた特定の実験の正当性を否定するのは、仕方ないことなのです。ここで、「実験デザインを工夫すれば良い」というのはその通りですが、ここで言いたいのはそういうことではありません。ここで挙げたのは「科学を受け入れていない人は、私たちが当然、科学的と思っていることでも納得しない」ということの一例であり、実験条件を変えたら、別の例を出してくるだけの話だからです。

ちなみに、「ホメオパシーは科学に基づいた説明もしているのだから、科学的批判を受け入れなければいけない」という主張は、あくまで科学を前提にした批判に過ぎないものです。なぜなら、彼らは「科学は間違っているが、科学でさえ支持していると言っただけ。本来の説明は別だ」言い逃れることができるからです。こうして、科学をいいとこ取りで好き放題に使い、批判されたら切り捨てられるというのは、疑似科学の特徴とも言えるでしょう。科学者が、諺(ことわざ)に基づいて科学的事実を説明したからと言って、全ての諺を受け入れたことにならないのと同じです。

つまり、科学者は、二重盲検試験を使っても、ホメオパシーのような科学を受け入れていない人に、その考え方の間違いを示すことができません。ただ、科学者たちは決して間違ったことをしたわけではありません。科学者たちが行ったのは、「ホメオパシーが科学の土俵で科学を否定することを阻止する」、あるいは「ホメオパシーが科学を詐称することを否定する」ことであり、「ホメオパシーの土俵に攻め込んでいく」ことではなかったからです。つまり、科学者はホメオパシーを否定したと言っても、所詮「科学的」に否定しただけであり、科学からホメオパシーを排除し、科学を守ったのに過ぎないのです。

(補足:ここで言っているのは、「科学を受け入れていない人は、科学的に説得したところで、どうとでも言い逃れることができる」という話であって、具体的なホメオパシー信奉者が、科学的な説明で納得するかどうかとは別です。普通に科学の立場で説明しても理解できない人、熱心な信奉者を対象とした話です。それ以外についてはこの記事の議論の対象外です。)

◎どうすれば疑似科学の信奉者を説得できるか?

これは、科学とホメオパシーを初めとする疑似科学の関係を考える上で非常に重要なポイントです。科学者が、疑似科学を科学的に否定したと言う場合があります。しかし、どんなに「科学的」に否定されたとしても、それはあくまで科学の立場から否定しただけです。科学の立場からの否定に対して、疑似科学の信奉者は「こいつらは何も分かってないな」と言うことになります。こうして、両者の間の断絶はいつまでたってもなくなりません。

だからといって、自分が言っているのは「疑似科学も科学と同じように受け入れよう」ということではありません。科学と疑似科学には「説明能力」「有用性」について違いがあり、このために、現代社会的での受け入れられ方も大きく違うからです。ここで、疑似科学の信奉者を説得するために語りかけるとしたら、大きく言って次のような趣旨のものになるはずです。

「科学も疑似科学も、所詮、世界を説明する枠組みの一つに過ぎない。しかし、科学は説明能力が高く、有用なのに対し、疑似科学は私たちが生きていく上で有用ではないし、説明能力も高くないではないか」

もう少し立ち入って言えば、「正しいかもしれない仮説はたくさんあり、それにいちいち構っていたら切りがない」ということになるでしょう。この説明は、ホメオパシーのように、検証不可能な考え方にとらわれている人にも、伝わる可能性があります。ただ、「説明能力が高い」とか「有用」というのは、客観的な問題ではなく、これは相手の生き方や宗教観などに立ち入った説得にならざるをえないのも事実です。疑似科学の人たちを説得するとは、こういった複雑な問題なのです。(参考:ホメオパシーは魂を救うか―宗教と科学の境界線

しかし、社会的にはどれだけの人がこういったことを正しく理解しているのでしょうか。こうして、私たちが「科学って何なのか」をきちんと理解していないことは、疑似科学をめぐる問題を一層大きくしている可能性もあります。ホメオパシーのような疑似科学をめぐる問題を解決するためには、私たち一人一人が、科学の本質を正しく見極められるようになることが必要なのかもしれません。

○まとめ(8/12追記)

・科学が疑似科学のようなものを否定しようとするとき、科学を受け入れている人が分かるように説明することはできるが、そうじゃない人も分かるような説明ができるとは限らない。

・ただ、否定できない状況であっても、そもそも科学とは何かということを踏まえれば、説得できるかもしれない。疑似科学を説得しようとするときは、こうして科学が置かれた状況全体を理解することが大切ではないだろうか。

◎関連サイト

ホメオパシーについて朝日新聞が詳報/NATROMの日記
→ポイントを絞った反論。正直、これで言い尽くされていると思います。

日本ホメオパシー医学協会にダメだしされる/kikulog
→朝日新聞にコメントが掲載された大阪大学の菊池先生のコメントです。ホメオパシー協会が、菊池先生のコメントに(意味不明の)反論をしたことに触れられています。

日本ホメオパシー医学協会の御意見/新小児科医のつぶやき
→非常に充実した反論。ここまでするかというくらいしっかり反論しています。ホメオパシー協会の主張が同じページの中でも矛盾していることが良く分かります。

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コメント

科学の相対性はよく唱えられる説ですが、たいてい勘違いがあります。

まず科学というのは相矛盾する理論の集合体であって一つの理論ではないという点です。
そして、科学者は誰もが既存の科学で説明がつかないことがあると思っている点です。

それでは。

管理人より:記事中の「理論」というのは科学で言う「理論」という意味ではなく、認識の枠組みの全体といった意味です。ちょっと話がすれ違っていると思います。(本文に補足させてもらいました)

投稿: 白のカピバラ | 2010/08/08 5:00:41

>「科学も疑似科学も、所詮、世界を説明する理論の一つに過ぎない。しかし、科学の方が圧倒的に説明能力が高いのだから、私たちは科学の方を信じるべきではないだろうか」

「今は◯◯(任意の疑似科学)は発展途上で科学に比べ説明能力が低いが、いずれ逆転するのだから科学を信じる根拠にはならない。
そもそも科学が説明能力が高いと思われているのは表面上のことで科学理論が正しいことの証明ではない。科学理論は明日にでもひっくり返りうることを科学者自身が認めている。」
「科学者は大勢の人間が長い年月をかけてつじつまを合わせてきたから少数の研究者による◯◯に比べて事実を説明出来ているように思えるのは当然。」

と言い返されるんじゃないかな?

投稿: とんこつ | 2010/08/08 8:24:49

○とんこつさんへの応答

鋭い指摘です。おっしゃる通りだと思います。本文では科学を受け入れない人にも、どうやって科学を説得すれば良いということを考えましたが、それを受け入れない人もいるという話でしょう。

自分は本文で説得する方法を考えたのですが、「論証できる」とか「論破できる」とは書いてません。「科学の方が説明能力が高い」というのは、所詮、「こっちの水が甘いよ」と言っているだけで、「お前の水は毒だ」ということまで言い切れていない。だから、それさえも受け入れない人に対してはどうすることもできないのです。

投稿: 情報学ブログ | 2010/08/08 8:54:01

 毎日新聞8月1日号の2面,時代の風欄に,東大の坂村健氏が書いていたコラムを読まれましたでしょうか?はり治療が『代替医療のトリック』という本ではプラセボ効果を引き出しやすいという結論になっており,坂村氏はショックを受けたということです。しかし,坂村健氏ははり治療で劇的に治ったこともあるので,これからも私ははりに頼るだろうと言っています。
 わたくしはその意思決定には何の感慨もありません。しかし,彼の発言が許し難く腹立たしいのは,“白黒を付けずに流すのは東洋の知恵”だと,みずからの意思決定を自己正当化しているからです。相対化したフリして伝統やらで居直るのが科学かいな?と思います。
 ホメオパシーとの関連で言えば,どういうプラセボ効果なら認められて,どういうプラセボ効果なら認められないのか,という問題を提起してほしいな,と思うのですが……

投稿: | 2010/08/08 13:09:37

「科学はホメオパシーを否定できない」それは当たり前のことです。

現代科学が、疑似科学、プロトサイエンスの領域を「科学的」に否定できないのは当たり前のことです。大昔から哲学的領域で議論され続けています。

投稿: | 2010/08/08 13:42:35

○匿名のコメント(2010/08/08 13:09:37)への応答

> 毎日新聞8月1日号の2面,時代の風欄に,
> 東大の坂村健氏が書いていたコラムを読まれましたでしょうか?
> はり治療が『代替医療のトリック』という本ではプラセボ効果を引き出しやすいという結論になっており,
> 坂村氏はショックを受けたということです。
> しかし,坂村健氏ははり治療で劇的に治ったこともあるので,
> これからも私ははりに頼るだろうと言っています。
> わたくしはその意思決定には何の感慨もありません。
> しかし,彼の発言が許し難く腹立たしいのは,“白黒を付けずに流すのは東洋の知恵”だと,
> みずからの意思決定を自己正当化しているからです。
> 相対化したフリして伝統やらで居直るのが科学かいな?と思います。
> ホメオパシーとの関連で言えば,どういうプラセボ効果なら認められて,
> どういうプラセボ効果なら認められないのか,という問題を提起してほしいな,と思うのですが……

坂村さんの授業は自分も学生時代に受けたことがあるのですが、
そんなところにまで首を突っ込んでいたとは知りませんでした(笑)。

さて、おっしゃっていることは、本文の議論とは内容とはちょっと違うと思います。
なぜなら、はり治療は、ホメオパシーと異なり、現代の科学を前提にしても、
否定するのが困難だからです。

一般に、「本人が痛みを感じることが治療になる」とういように、
治療のプロセスに本人の感覚が入っている場合、
原理的に二重盲検の対象にできません。
プラセボ効果を引き出しやすいというのは結論を先取りした
不当な言い方で、
「プラセボ効果を分離できない」と言った方が正確です。

じゃぁ、はり治療もいいじゃないかというと…、
個人的にはそうは思っていません。
たしかに、科学的に検証の対象とならない治療というのはあります。
もしかしたら、そういった治療は正しいかもしれない、間違っているかもしれない。
しかし、同じような「正しいかもしれない、間違っているかもしれない」という治療法、
呪術、超能力、疑似科学…は無数にあるのです。
そういった無数にある可能性の中から、なぜその治療を選ぶ理由がないと考えるからです。

ただ、個人のレベルで「~をすると~という結果を得られる」
たとえば、服を着ると暖かくなる、ご飯を食べるとおなかがいっぱいになる。
同じように、ある治療を受けると、劇的に何かが治る。
こういうとき、その理由を実験科学を求めるのは根本的には間違っていると思います。
もし、100人に効かない治療でも、
自分に対しては効いているのかもしれないからです。

でも、このことは代替治療で金儲けをしようとしている人からすると、
つけこみやすい点なんですよね。
自分では効いてるつもりも、
本当はただ騙されているだけで、ほかのもっと安上がりな方法もあるかもしれない。
でも、「少なくともその本人には効いている」ということは、
(本文で書いたように)相手の立場に立って論理的に否定できないだけでなく、
科学的にも否定できません。
ホメオパシーのように科学の前提(分子の性質など)に基づけば、
「効いているはずがない」ものはともかく、
はり治療が効いているという人に、やめたほうがいいというのは困難です。
もしかしたら、当人には効いてるかもしれないのです。

これは実に根深い問題であり、
自分もこれといった解決策はありません。
はり治療のように「原理的にプラセボ効果を分離できない」
「科学的に否定するのも困難」こういう代替治療については、
本文で書いた問題とは別の問題として、
きちんと考えていかなければいけないのではないかと思います。

投稿: 情報学ブログ | 2010/08/08 14:10:43

このエントリでは「否定する」や「証明」という語を曖昧に使用して、
A.科学はホメオパシーを否定できない
B.科学はホメオパシー信者を説得できない
を混同しており、結果として結論を誤っている。

現代社会の共通認識では「科学はホメオパシーを否定できない」は「科学はホメオパシーを*科学的に*否定できない」という意味である。その意味で科学はホメオパシーを否定しており、確信的信者以外の一般社会にとってはこれこそが重要である。

疑似科学の信奉者を説得するのに、
>「科学も疑似科学も、所詮、世界を説明する理論の一つに過ぎない。しかし、科学の方が圧倒的に説明能力が高いのだから、私たちは科学の方を信じるべきではないだろうか」
と語りかける必要があるというが、科学理論と科学的手法の区別ができていないため、科学の立場からするとこの説明は誤りである。
現代社会が根源的に依拠しているのは科学的手法であり、個々の科学理論ではない。

疑似科学は明示的または暗黙的にそれが*科学的に*正しいといっているのだから、科学と疑似科学のどちらが正しいという枠組みでなく、本来は単に科学的にどちらが正しいかという問題なのである。

>疑似科学に関する問題が起きるのは、科学者と疑似科学の信奉者の両方が、「そもそも科学って何なのか」をきちんと理解していないからにほかなりません。
と書かれているが、実現可能性はともかく疑似科学の信奉者が科学を正しく理解しさえすれば解決することであり、正当な科学者の側に同等の責任を負わせるのは不当である。

疑似科学の信奉者をどのように説得するのかというのは興味深い問題ではあるが、そもそも信奉者は「(一般的)科学(理論)の方が圧倒的に説明能力が高い」事を受け入れていないので、論理的誤りは置いてもこの説明では説得できない。

投稿: てぃあ | 2010/08/08 15:48:07

○ てぃあさんのコメントへの応答

> このエントリでは「否定する」や「証明」という語を曖昧に使用して、
> A.科学はホメオパシーを否定できない
> B.科学はホメオパシー信者を説得できない
> を混同しており、結果として結論を誤っている。

たしかにタイトルと冒頭部分では、
意図的に、AとBの違いを明示せずに「否定できない」という言葉を使っており、
読者が「え?どういうことなの?」思う効果を狙っています。
しかし、本文をきちんと読めば、
AとBはきちんと区別していることが分かり、
「あ、そういうことね」と納得できるような流れになっています。
いわゆる「釣り」というレトリックを使っているわけですが、
本文を読めば正確に理解できる以上、
そのことを批判するのは見当違いではないかと思います。

> 現代社会の共通認識では「科学はホメオパシーを否定できない」
> 「科学はホメオパシーを*科学的に*否定できない」という意味である。
> その意味で科学はホメオパシーを否定しており、
> 確信的信者以外の一般社会にとってはこれこそが重要である。

おっしゃる通りです。
現代社会は、科学という前提で成り立っている社会です。
だから、普通に「否定できる」と言ったら、「科学的に否定できる」という意味なのですが、
タイトルと冒頭では、あえて別の意味で使ったのです。
それがレトリックとしてのおもしろさということです。
私の主張と矛盾するところは何もないと思います。

> 疑似科学の信奉者を説得するのに、
> 「科学も疑似科学も、所詮、世界を説明する理論の一つに過ぎない。
> しかし、科学の方が圧倒的に説明能力が高いのだから、
> 私たちは科学の方を信じるべきではないだろうか」
> と語りかける必要があるというが、
> 科学理論と科学的手法の区別ができていないため、科学の立場からするとこの説明は誤りである。
> 現代社会が根源的に依拠しているのは科学的手法であり、個々の科学理論ではない。
>
> 疑似科学は明示的または暗黙的にそれが*科学的に*正しいといっているのだから、
> 科学と疑似科学のどちらが正しいという枠組みでなく、
> 本来は単に科学的にどちらが正しいかという問題なのである。

てぃあさんは、「科学理論」と「科学的手法」が分けられると考えられているようですが、
これには反対です。
これに関しては、本文でも例を一つ出しました。
「二重盲検試験」というのは科学的手法ですが、
ここですでに科学理論が前提になってしまっているという例です。

科学に対するナイーブな見方によれば、
科学というのは明確な「科学的手法」を持ち、
それによって科学の正当性が検証されると考えます。
しかし、実際には、科学的手法に、科学理論が入ってしまっている。
科学的手法→科学理論→科学的手法という循環が生じてしまっているのです。
このため、一般に、科学が正しいと言える根拠は、
科学の内部にしか求められません。
これが本文で言っていることです。

> 疑似科学に関する問題が起きるのは、
> 科学者と疑似科学の信奉者の両方が、
> 「そもそも科学って何なのか」をきちんと理解していないからにほかなりません。
> と書かれているが、
> 実現可能性はともかく疑似科学の信奉者が
> 科学を正しく理解しさえすれば解決することであり、
> 正当な科学者の側に同等の責任を負わせるのは不当である。

「科学の根拠は科学の内部にしか求められない」というのを
受け入れた上で、
「疑似科学の信奉者が科学を正しく理解しさえすれば解決することである」
とおっしゃるのでしたら、
自分はそれ以上主張するつもりはありません。
ホメオパシーの人を説得することができないのと同じように、
こうした主張をする人を説得することもできないように思えるからです。

ちなみに、本文で「科学者」と書きましたが、
社会的には、全ての科学者が、こうした視点に立つ必要はないかもしれません。
科学コミュニケーション論や科学哲学の専門家、
また、こうした分野に詳しい、意識の高い科学者が、
その役割を果たせば良いという見方もできるからです。

> 疑似科学の信奉者をどのように
> 説得するのかというのは興味深い問題ではあるが、
> そもそも信奉者は「(一般的)科学(理論)の方が圧倒的に説明能力が高い」
> 事を受け入れていないので、
> 論理的誤りは置いてもこの説明では説得できない。

全てではないと思いますが、
そういうケースがあるのは事実だと思います。
最後の部分は、
「疑似科学を説得できるとしたら、せいぜいそういう形ででしかない」という
意味で受け止めてもらってもかまわないものです。

投稿: 情報学ブログ | 2010/08/08 16:32:05

>てぃあさんは、「科学理論」と「科学的手法」が分けられると考えられているようですが、
>これには反対です。
科学哲学を少々かじった事があれば、「科学的手法」とその手法により蓄積された「科学理論」を分けて扱う事になんら異論はないと思うのですが、科学哲学を学ばれた事が無いのでしょうか?

「科学的手法」は事実をより正確に把握するための方法論であり、それ自体の改善もありますが、本質的には「科学理論」に拠らない普遍性を持ったものです。
一方「科学理論」は「科学的手法」を用いて集約された、現状最も正しいと考えられている知識や理論体系の蓄積であり、新たな事象の発見等により覆る事があるものです。
上記のように明確に違いがあるのですから、分けて扱う事が妥当だと考えます。

>これに関しては、本文でも例を一つ出しました。
>「二重盲検試験」というのは科学的手法ですが、
>ここですでに科学理論が前提になってしまっているという例です。
既に別場所等で他の方からも指摘されていますが、情報学ブログさんは二重盲検法をきちんと理解できていないように見受けられます。
二重盲検法の本質は、被験者からも観測者からも(場合によっては施術者も)きちんとした施術をおこなったかどうかを伏せて検証をする事です。そこには特に特定の科学理論が前提になっていません。特定の科学理論が前提になっているというのであれば、具体的にどのような理論が前提になっているか明示してください。

本文中には「物質は物質であり、気持ちとか感情など、物質以外のものが記憶されることはないということが、二重盲検の前提になっています」とありますが、上記のように、そんな前提は二重盲検法にはありません。

さらに
>科学的手法→科学理論→科学的手法という循環が生じてしまっているのです。
>このため、一般に、科学が正しいと言える根拠は、
>科学の内部にしか求められません。
たとえ、その循環が正しいとしても、スタートが「科学理論」を前提としない「科学的手法」であれば、「科学が正しいと言える根拠は、科学の内部にしか求められません」というのは論理的に間違っていると考えます。

投稿: 門前の小僧 | 2010/08/08 17:51:22

○門前の小僧さんのコメントへの応答

> 科学哲学を少々かじった事があれば、
> 「科学的手法」とその手法により蓄積された「科学理論」を分けて扱う事に
> なんら異論はないと思うのですが、科学哲学を学ばれた事が無いのでしょうか?

ちょっと分かりづらかったかもしれませんが、
概念として、分けて扱うことそのものを否定しているわけではありません。

> > 科学的手法→科学理論→科学的手法という循環が生じてしまっているのです。

このため、正当性の基盤の問題として「分けられない」と
指摘したつもりでした。
いずれかがベースでもう片方がそこから導かれるという主従関係にはないという意味です。
概念として分けないと、「循環」の議論そのものが成り立ちませんよね。

> たとえ、その循環が正しいとしても、スタートが「科学理論」を前提としない「
> 科学的手法」であれば、「科学が正しいと言える根拠は、科学の内部にしか求め
> られません」というのは論理的に間違っていると考えます。

「スタートが『科学理論』を前提としない『科学的手法』であれば」
という仮定のもとではおっしゃる通りです。
ただ、自分が言いたいのは「そんな科学的手法はありますか?」ということです。
ないのです。
自分はないと主張していますが、ないことを例示で証明することはできないので、
あるというのであれば、そちらに示していただくしかありません。

このように言うと、なぜ出発点となる「科学的手法」が存在しないのに、
循環が成立するのか疑問を感じるでしょう。
これに対しては、
「手法と理論の循環の過程を通して、
歴史的に科学というものが形成されてきた」というのが答えです。
まさに卵と鶏の関係と同じですね。

本文ではあまり詳しく説明せずに、
「科学は社会の営みの中で存在し、時代とともに変化するものだということ」
と言ってしまいましたが、
このあたりでつながっています。

> そこには特に
> 特定の科学理論が前提になっていません。
> 特定の科学理論が前提になっているというのであれば、
> 具体的にどのような理論が前提になっているか明示してください。

ごめんなさい。このあたりの文章のロジックが良く分かりませんでした。
これについては、引用された部分がすでに例示になっています。

「物質は物質であり、気持ちとか感情など、
物質以外のものが記憶されることはない」

これも、物質に関する化学の知識から予想される一方、
誰かがそれを実験的に証明したわけではありません。
(感情を実験的に扱うのは不可能であり、そんな証明はできません)
こういう「仮説としての理論」をベースにして、
別の理論ができあがっているというのが科学です。

この説明では不十分だというのなら、
申し訳ないのですが、疑問点をもう少し詳しく説明してください。

投稿: 情報学ブログ | 2010/08/08 18:12:45

二重盲検法の前提に「物質は物質であり、気持ちとか感情など、物質以外のものが記憶されることはないということ」など無いという部分が理解できなかったのでしょうか?

二重盲検法はあくまで「被験者からも観測者からも(場合によっては施術者も)きちんとした施術をおこなったかどうかを伏せて検証をする」方法論です。
例えば、水が施術者の「患者によくなって欲しい」という気持ち(念)を写し取り、それがその水の治療効果を左右する事があったとしても、被験者と効果の観測者から、念を込めた水かそうでないかを伏せておけば、二重盲検法は成り立ちます。

なので、二重盲検法は「物質は物質であり、気持ちとか感情など、物質以外のものが記憶されることはないということ」を前提になどしていないことは明白です。


>「科学は社会の営みの中で存在し、時代とともに変化するものだということ」

この表現も正確でないと思います。科学は時が経るにつれ進歩(より正確に事実を把握/未来を予測できるようになること)をしています。この進歩を推し進めているのは「科学的手法」であり、「科学的手法」が(長期的に見て)進歩するための仕組みを内在しているからこその「進歩」です。
この辺がきちんと理解できていないからこそ、相対主義に陥るのでしょうね。

投稿: 門前の小僧 | 2010/08/08 18:37:32

○門前の小僧さんのコメントへの応答2

> なので、二重盲検法は「物質は物質であり、気持ちとか感情など、物質以外のも
> のが記憶されることはないということ」を前提になどしていないことは明白です

率直にいって、この「なので」は成り立っていないと思います。
論理の飛躍というものです。

> 二重盲検法はあくまで「被験者からも観測者からも(場合によっては施術者も)
> きちんとした施術をおこなったかどうかを伏せて検証をする」方法論です。

それは分かります。二重盲検法の説明ですよね。
でも、それが方法論として成り立つ前提には、
さまざまなものがあるわけです。
その一つを自分が挙げたわけです。
二重盲検法の説明を何度繰り返しても、
私の主張とは関係ありません。

「物質は物質であり、気持ちとか感情など、物質以外のものが記憶されることはないということ」
を前提にしてなくても、
(つまり、この命題が間違っていても)
「被験者からも観測者からも(場合によっては施術者も)
きちんとした施術をおこなったかどうかを伏せて検証をする」ことを
示していただかないと、
反論にはならないと思います。

> この表現も正確でないと思います。科学は時が経るにつれ進歩(より正確に事実
> を把握/未来を予測できるようになること)をしています。

進歩かどうかは難しい問題なので触れないことにしますが、
進歩は変化の一種なので、何も矛盾しません。
あなたの言う「進歩」が正確な表現であるなら、
変化もまた正確な表現になります。
これも、何をおっしゃっているのか分かりませんでした。

> この辺がきちんと理解できていないからこそ、相対主義に陥るのでしょうね。

余談ですが自分は相対主義者ではありません。
科学と論理は、現代社会に生きる私たちの基盤であり、
この社会の中で生きていく以上、否定することのできないものと考えています。
ただ、自分たちが基盤としている科学が何かということは、
きちんと考えなければいけないと言っているだけです。

投稿: 情報学ブログ | 2010/08/08 20:09:40

>一般に、科学が正しいと言える根拠は、科学の内部にしか求められません。
は誤りで、科学理論の正しさは科学的手法により現実との合致性により検証できるし、科学的手法の正しさはその導き出す結果がより現実との合致性を高められるかにより検証できる。
これはまさに科学(科学理論と科学的手法)が正しいと言えるかどうかを外部から検証できるという事である。

実際、科学はそのような検証により発展してきたが故に現在の成功を収めているのである。

このような明白な誤解を持ちながら
>◎科学とは何なのか
といった論を展開される事は、このエントリ自体疑似科学的と言っても過言ではない。

投稿: てぃあ | 2010/08/08 21:56:34

全然関係ないことですが、行間が詰まりすぎてて読みづらいので、
CSSでline-heightを少し調整してもらえるとうれしいかも。

投稿: | 2010/08/08 21:57:20

科学だけではありませんが、普遍性がなければいけません。当然ですが真理は数値。これに尽きると思います。全てが数式、数字で説明出来ないものは、完成された論理として説得力が乏しいと考えます。形而上学的説明だけではではどうでしょう。私が認識している限りではホメオパシーについての数字が希釈度位しか出てきていません。科学として論議する体裁事態が欠乏しています。話にも成らない状態と考えますし、客観的なEBMすら皆無です。虚数の世界だけでのホメオパシ-では説得力皆無です。現実社会は実数で計算しますから。私達一般人は薬は効けばいいのです。効くものならば、誰もこんな論議はしません。客観的に効かない薬はインチキでしょう。簡単な事です。ホメオパシーに関する数字をもっと要求しましょう。何かで読んだのですがホメオパシーの波動は10mSの波動(周波数)で超高速とかバカな事言っています。関東地域の蛍光灯の光換算の周波数と同じです。
既にホメオパシーを診療科目に掲げている大学の付属病院すら現存しています。大分話がそれました。

投稿: パウロ | 2010/08/08 23:02:14

> 全然関係ないことですが、行間が詰まりすぎてて読みづらいので、
> CSSでline-heightを少し調整してもらえるとうれしいかも。

自分も「なんか見づらいな」と思っていたので、
参考にさせていただきました。
150%にしたんですがどうですか?

投稿: 情報学ブログ | 2010/08/08 23:54:01

はてなブックマークでコメントをしたものです.

>「経験的」というところですでに科学的な「経験」を問題にするという
>バイアスがかかってしまっています。
>だから、結局、科学の側からの話をしてるのに過ぎません。

経験がどう科学的なのかわかりませんが,
過去の事例を踏まえることさえ前提として認めないなら
そもそも,その理論は検証不能でしょう.
逆に,何を前提とすればホメオパスの主張に
論理性がありえるのか,お尋ねしたいところです.
最低条件として論理性は仮定するとおっしゃられているから,
系を成立させる何かしらの前提は必要でしょう.
公理のないところに「論理もクソもない」はずです.
(私の論理学に対する知識はそんな程度なのですが)
私の知る限りのホメオパスは,原則経験に立脚する形で
ホメオパシーの正当性を主張しているように見えます.
やけどに蒸気をあてると治るなんてトンデモも,そういうことを
「知っている」から,そう主張されるのでしょう.
経験が成り立たないなら,その知が正しいかどうか分からないのです.


そこまで突き詰めた言い方をするなら,
そもそも,論理学というものが科学的になりませんかね.
すなわち,論理学が科学だから,ホメオパシーを否定出来ないのだと.

投稿: khiroaki | 2010/08/09 2:58:06

ちなみに、菊池先生の記事にコメントしたら、
いろいろ批判をいただきました。
一通り反論しておいたので、
こちらでも紹介しておきます。

http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1281022493

投稿: 情報学ブログ | 2010/08/09 3:08:08

○khiroakiさんのコメントへの応答

> はてなブックマークでコメントをしたものです.
>
> > 「経験的」というところですでに科学的な「経験」を問題にするという
> > バイアスがかかってしまっています。
> > だから、結局、科学の側からの話をしてるのに過ぎません。

> 経験的,であることそのものが,どう科学的なのか理解できませんが,
> その前提さえ認めない論理ならば,ホメオパシーすら理解出来ないのでは?
> ある主張が誰かにおいては真であって,他者においては偽でありうることになります.
> それならば,火傷に蒸気をあてることが治療になるという主張が
> 私にとって真であるかどうか,どう判断すればよいのか.
> 私は,ホメオパシーはあくまで科学と同じ土俵に(いると主張して)いて,
> その上で議論しているから,明示の如何を問わず疑似科学の範疇であると認識しています.
> 同じ土俵,というのは,現象を経験に立脚した体系的説明ができ(う)る,という仮定です.
> その意識のもと,「論理もクソもな」く,ホメオパシーは否定されていると考えます.
>
> 逆に,ホメオパシーを論理的に正当化する前提は何とお考えか,お尋ねしたいところです.
> もし,それに基づくホメオパス自身の議論があるなら,お教えいただければ尚ありがたいです.
>
> むしろそこまで突っ込んで考えるならば,論理学こそ科学的であって,
> ホメオパスは非論理的な存在としなければならないとさえ思います.

コメントありがとうございます。
えっと、本文の末尾の「補足」の方で説明したことにほぼ対応しているので、
重複になりますが、書かせてもらいます。

まず、自分は「ホメオパシーが科学ではない」と言うことの意味を
否定しているわけではありません。
たしかに、ホメオパシーは「科学」を詐称しているので、
それに対してはきっちりと批判すれば良いのです。
ただ、それがうまくできたところ、ホメオパシー側は
うまく逃げ切るかもしれないということ。
そうだとしたら、それも踏まえて一般的な話をした方が強力じゃないかと言うことです。
「同じ土俵の上に乗っている人」
「科学ではない」ということで納得する人にはそれで良いのだと思います。

> ホメオパシーを論理的に正当化する前提

自分が言ってるのは、
「ホメオパシーはこうして弁解するかもしれない」という話です。
一貫した論理を持っているとは全く思っていませんよ。

投稿: 情報学ブログ | 2010/08/09 14:07:44

>「実験に関わった特定の人物が悪影響を与えた」

だったら、

「私は世界中のレメディに念を送って悪影響を与え続けている。だからもうホメオパシーは役に立たない」

と言えばどうなるんでしょうか?
実験しても効果がない結果になるのだから、論理的には負けないはず。

投稿: 三毛猫 | 2010/08/09 14:13:24

○三毛猫さんのコメントへの応答

> >「実験に関わった特定の人物が悪影響を与えた」
>
> だったら、
>
> 「私は世界中のレメディに念を送って悪影響を与え続けている。
> だからもうホメオパシーは役に立たない」
>
> と言えばどうなるんでしょうか?

発想はおもしろいですが、ウソだって言われてしまえばおしまいしょうね。

> 実験しても効果がない結果になるのだから、論理的には負けないはず。

何の論理か次第ですよね。

投稿: 情報学ブログ | 2010/08/09 14:22:43

○てぃあさんのコメントへの応答2

コメント遅くなってすいません。

> 一般に、科学が正しいと言える根拠は、科学の内部にしか求められません。
> 
> は誤りで、科学理論の正しさは科学的手法により
> 現実との合致性により検証できるし、
> 科学的手法の正しさはその導き出す結果がより現実との合致性を高められるかにより検証できる。
> これはまさに科学(科学理論と科学的手法)が
> 正しいと言えるかどうかを外部から検証できるという事である。
> 実際、科学はそのような検証により発展してきたが故に現在の成功を収めているのである。

これって要するに、

「現実との合致性を高められるかにより検証できる」

がポイントだということですよね。
だとするとやはり幽霊だって現実と合致している面もありますから、
科学的に検証されたと言うことになってしまいます。
おっしゃっている文章の中に、
むしろ、私の言っていることの正当性が示されていると言えます。
ちなみに、再現性に関しては、補足記事の方をご覧ください。
http://informatics.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-f736.html

ただ、

「科学はそのような検証により発展してきたが故に現在の成功を収めているのである」

細かいところは別にして、
科学が、現在社会において成功している優れた手法や理論を
持っているということには賛成です。

> このような明白な誤解を持ちながら
> >◎科学とは何なのか
> といった論を展開される事は、
> このエントリ自体疑似科学的と言っても過言ではない。

私のような懐疑主義の立場を疑似科学と言うことは、
むしろ、疑似科学も正しい議論だと言うことになると思うんですけどね…。
まぁ、この議論の結論は、一つ上に書いたやりとりの結果に依存します。
意味のないレッテル張りなのでやめましょう。

投稿: 情報学ブログ | 2010/08/09 15:15:56

お知らせ

承認なしでコメントできるようにしました

投稿: 情報学ブログ | 2010/08/09 16:12:51

>これに対してベンベニストは「実験に関わった特定の人物が悪影響を与えた」と主張するのです。

それほど影響を受け易いのなら、

「私は世界中のレメディに念を送って悪影響を与え続けている。従ってどのレメディももはや役に立たない」

というのも無敵の論理ですかね?
厳密な調査では効果が出るはずがないし、効果があったというケースがあっても全部プラセボって言い張ればいいんだし。

こういうやり取りなら、ちょっとは相手の土俵に上がったことになるかな?

投稿: 三毛 | 2010/08/09 16:34:17

○三毛さんのコメントへの応答

そのまま同意はできませんが、すごくおもしろいメタファーだと思います。
自分なりに考えてみました。

> 「私は世界中のレメディに念を送って悪影響を与え続けている。従ってどのレメディももはや役に立たない」

無敵な論理かもしれないけれど、
それは相手の土俵で話しているんじゃなくて、
別の土俵を作ったことになるだけだと思います。
新たに一個土俵を作って、そこで一人で勝ってる状態です。

科学を受け入れている人からすれば、
あなたの土俵も疑似科学の土俵も同じようにバカらしいと思います。
でも、疑似科学の土俵の人は、そうは考えないんだと思います。

投稿: 情報学ブログ | 2010/08/09 23:27:33

>「物質は物質であり、気持ちとか感情など、物質以外のものが記憶されることはないということ」
>を前提にしてなくても、
>(つまり、この命題が間違っていても)
>「被験者からも観測者からも(場合によっては施術者も)
>きちんとした施術をおこなったかどうかを伏せて検証をする」ことを
>示していただかないと、
>反論にはならないと思います。

何か誤解をされているようですが、私が主張しているのは、情報学ブログさんが科学やその一部である二重盲検法を正しく理解していないと言う事です。
情報学ブログさんが二重盲検法を正しく理解していない根拠として、情報学ブログさんが挙げた命題(物質は物質であり、気持ちとか感情など、物質以外のものが記憶されることはないということを前提として二重盲検法が成り立っている)の間違いを示しました。

私は、情報学ブログさんが、ニセ科学を信じている人を説得したいという志を持ってこのエントリを挙げたと思ったので、その中で述べられている科学に対する認識のあきらかな間違いについては指摘した方が良いかなと思って指摘したのですが、なんか、情報学ブログさんは人から学ぶ気が全く無いようですね。

いまさら、科学とは何かを情報学ブログさんと議論する気はあまり無いのです。情報学ブログさんの書かれている内容から自分の考えを深めるきっかけも特に無かったですし。なので情報学ブログさんに対して何かを立証しようというモチベーションも湧いていません。
ただ、情報学ブログさんは科学を理解した上でニセ科学信奉者を説得しようという志があるように見えたので、アドバイスをしようと思ってレスを付けました。しかし人から学ぶ事を求めていないのであれば、特に何も言うことはありません。

>進歩は変化の一種なので、何も矛盾しません。
>あなたの言う「進歩」が正確な表現であるなら、
>変化もまた正確な表現になります。

これも、進歩が何かとか色々あるのは承知の上で、気付きを得てほしいと思って書いたコメントであり、議論をするためのコメントではありません。

Kikulog等でも色々な方から突っ込みを入れられていると思いますが、それは、科学とは何かについて誤解しているのが、色々な人の目から見て明らかだからだと思います。
ニセ科学信奉者を何らかの手段で説得したいと言う志は良いと思います。そのためには科学とは何かをもう一度きちんと学ばれた方が良いと思います。

投稿: 門前の小僧 | 2010/08/10 2:02:09

> 情報学ブログさんが二重盲検法を正しく理解していない根拠として、
> 情報学ブログさんが挙げた命題(物質は物質であり、気持ちとか感情など、
> 物質以外のものが記憶されることはないということを前提として
> 二重盲検法が成り立っている)の間違いを示しました。

すいませんが、そちらこそ二重盲検法を理解されていないと思います。
これについては補足記事の方で説明して、
基本的な部分については、多くの人に納得していただいたと思います。
http://informatics.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-f736.html

そちらの記事にも書きましたが、
自分が言っているのは「悪魔の証明はできない」というのと同じで、
それを科学的に反論しようというのが無理があるのだと思います。

投稿: 情報学ブログ | 2010/08/10 12:30:07

こうやって大勢の人を説得できない実績を作ってしまいながら、「どうすれば疑似科学の信奉者を説得できるか?」なんて論じても、説得力はありません。自分でも気づきませんか?

投稿: wd0 | 2010/08/10 15:09:44

「ニセ科学の科学部分を否定するのは大切」
これは必要なことだと思います。ただ、
>自分が言っているのは「悪魔の証明はできない」というのと同じで、
>それを科学的に反論しようというのが無理があるのだと思います。
これを言いたいがために枝葉が多くて無理のある意見になってしまっている感じがします。


「どうすれば疑似科学の信奉者を説得できるか?」
コアな信者は死ぬまで勝手にしてろって感じですが、ゆる~く代替医療を信じている方への説得として方法論なら二項対立で説得しようとする試みがすでに間違ってはいませんか?


今回のVit.K投与問題もそうですが代替医療の本質的な問題は「現代医療の否定」です。
それさえ無ければ、ホメオパシーはプラセボと同等=無害なんですから本人の希望で選択すべきです(経済的・社会的には損するかもしれませんがw)。
とるべき方法は「改宗しろ」でなく「共存しませんか」が適切な手法となるはずではないでしょうか?


ホメオパシーの有害性を伝えるのであれば、ホメオパシーを否定するベクトルで説得するのでなく今回の痛ましい事件のようにホメオ単独では対応しきれない事態の生じうる事、そして西洋医学はホメオパシー自体は有害とはみなしておらず西洋医学を否定しないでもらいたいことを伝えるしかないと思います。


長文で失礼しました。
ホメオパシーを問題視する姿勢にはすごく共感しますが、理屈的にちょっとどうかなと思いましたので。

投稿: 一石 | 2010/08/10 20:37:58

○一石さんのコメントへの応答

> コアな信者は死ぬまで勝手にしてろって感じですが、
> ゆる~く代替医療を信じている方への説得として方法論なら
> 二項対立で説得しようとする試みがすでに間違ってはいませんか?

これ、補足記事で説明したので、
読んでいただけると幸いです。
「疑似科学が科学を偽装していること」を批判するのは良いが、
それだけでは疑似科学を批判できない
だからこういう話も必要という流れです。

> そして西洋医学はホメオパシー自体は有害とはみなしておらず
> 西洋医学を否定しないでもらいたいことを伝えるしかないと思います。

たしかに。
これ、自分の記事の結論が意味するところの一つとして、
言えそうですね。
自分が書いたのは、「科学のあり方を理解するべき」という漠然とした結論で、
その結果の一つはおっしゃるような話になるのだと思います。
良く聞く話ですが、
それと、自分の記事との関係に気づいていませんでした。
(おそらくそういうつもりで書いたのではないとは思いますが…)

投稿: 情報学ブログ | 2010/08/10 22:17:49

否定出来ない理屈は分かりますが
書き方が不正確かもしれません
「完全」否定出来ないの方がいいような……
これでは、否定する行為は無駄なのか?と取られそうですね
トンデモ科学は後から後からいくらでも湧いてくるでしょう
完全に否定は不可能ですが、否定をし続ける事には意味があると思いますよ
ある程度の抑止力と言う意味でですが
あと、科学で全てを証明出来ると思っている科学者は少数派でしょう
むしろ証明出来ない事の方が多いからこその科学だと思いますが

投稿: | 2010/08/12 14:52:35

>「完全」否定出来ないの方がいいような……
>これでは、否定する行為は無駄なのか?と取られそうですね

んー?
私の誤読なら「否定できない」で正しいと思います。
否定する行為を正当化するのは、科学を信じる余りの傲慢であるとも読み取れます。
「否定する権利は科学にはない」と言う風にも言えるかな?

科学で否定できると考えている人は、
科学でこの世の全てを説明できると「信じて」居る人では。

科学でこの世の全てを説明できるのであれば、
否定は可能なはずです。
「絶対理論であれば」と言ってもいいのでしょうか。

ですが、そうではない。

科学はあくまで
「世界を説明する理論」の「一つ」なのであって、
「世界を説明する理論」そのものにはなり得ない。

何故って、科学では、
「今私がそこの壁から生まれた」ことを否定できないから。
「今私はソコの壁から生まれたんだが、二十何年間の記憶を持って生まれたから、その中に自分は母から生まれたと言う記憶を持っているから、壁から生まれたとは思ってないけど、壁から生まれたのが事実だ」ということを否定は出来ません。

なので主さんは、
「科学はホメオパシーを否定できない」
と仰っているのでは???


>主さん
横レスゴメンナサイ
駄目レスだったら、サクっと切っていただけると喜びます。

投稿: コロ | 2010/08/12 16:05:52

○匿名のコメント(2010/08/12 14:52:35)への応答

本文の内容は、「科学を受け入れるかどうかは、科学を信頼できるかどうかの問題」というのを出発点にして、

1 科学を受け入れている人が分かるように疑似科学を否定できる
2 科学を受け入れていない人が分かるように疑似科学を否定できるとは限らない。
3 それでも、そもそも科学とは何かということを踏まえれば、疑似科学を否定できるかもしれない

「疑似科学を否定しようとするなら、1~3の流れをちゃんと理解した方が良いのでは?」とまとめています。「完全に」という言葉の取り方次第では、その通りだと思います。1と3では否定できると言っています。

> あと、科学で全てを証明出来ると思っている科学者は少数派でしょう。むしろ証明出来ない事の方が多いからこその科学だと思いますが。

そうですが、科学者じゃない人には分かってない人が多いのでは。分かっていれば、タイトルを見て、過剰反応する必要はないと思うんですけどね。

○コロさんへの応答

どうもありがとうございます。

> 科学でこの世の全てを説明できるのであれば、
> 否定は可能なはずです。
> 「絶対理論であれば」と言ってもいいのでしょうか。
> ですが、そうではない。

そう言っていただけると分かりやすいのではないかと思います。すぐ上に書いたことからも分かるように、この文章、言ってることが複雑なんだと思います。話が複雑なので1~3というように理解できないこと、「科学を受け入れてない人にとって」という話が、日常感覚と離れるので理解しづらいということあるのではないかと思います。

投稿: 情報学ブログ | 2010/08/12 17:35:57

http://www.kotono8.com/2007/01/23aruaru.html
http://www.kotono8.com/2007/01/23aruaru2.html

このへんの記事とも関係があるように思いました。決してホメオパシーや疑似科学を肯定しているわけではないのに、あたかも支持するかのように誤読される点を含めて。
もちろん、疑似科学・ニセ科学を扱う場合は淡々とした科学的態度によるべきで、否定の仕方が非常に大事だという点に大いに賛同します。中には非科学的な態度で科学的事実を押しつけようとする輩もいますので・・・(と「疑似科学批判」の方法を批判すると疑似科学擁護と曲解される現状も・・・)

投稿: あとまいざー | 2010/08/16 23:41:45

「科学は世界を説明する理論」とは、世界観の1つであるという意味で理解しました。
科学は、確からしい仮説を改良しながら連続して来た歴史的な説明の集大成であり、誰も最先端科学の立場なんて、門外漢にとっては科学者の態度や行動以外では見分けられないのではないのでしょうか。説明されても、たとえでしかわからない。

研究者ではないただの利用する側にとっては、科学の本質は「実用」にあると思います。
国家規模の予算や長い期間を通じて行うプロジェクトの場合に、始めるに当たって、成果の見通しが求められるわけです。科学は、再現可能性の強みから採用されている手法だと思います。

エセ科学は、狭い範囲でもっともらしい理屈で通用させるだけで、人物崇拝につながて、実証をごまかしたり、あいまいなまま事実にする。
エセ科学が続けば、歴史を改変してご都合歴史ばかりになりそうな点で、人間の合理的な積み重ねをバカにしてると思います。

投稿: さぶろた | 2010/08/25 3:40:11

ホメオパシーで水に原因物質が一分子も残っていないことは、連中もみとめているようで、そこは指摘してもあまり意味が無いよう。

で、効果の原理が水の記憶とかいう情報的なものなら、水の記憶なんてわけのわからないもの持ち出すより、もっと強力な情報伝達経路がある。

その瓶に貼られた「ナニナニのレメディー」というラベルによる人への情報伝達という、強力で確実な情報伝達経路が効果の本質だという方が、ホメオパシーの効果に対する簡単な説明になる。

つまり、効くのは患者の記憶によるものという方が水の記憶なんかよりはるかに説明としてより確からしい、といったら彼らはどう反応するのだろう。

その場合、効果は人の記憶よるもので「ない」という悪魔の証明をする責任は向こうに行く。

ところで、坂村健氏の記事は読んだけど、あれは半ビリーバー向けにうまく書いていると思う。ブログ主さんも原文を読んだ方がいいのでは。単に鍼がどうのという話ではないですぞ。

匿名のコメント(2010/08/08 13:09:37)さんみたいな人は、バシっと否定していないので不満かもしれないが、そもそもそういう人向けに書いても何の意味もないわけで、半ビリーバーがあの文章を認めればそれは実はホメオパシーは100%プラセボと認める第一歩になるようにできている。

このブログエントリーにあるように、科学的に効果があるはずがないというような否定の仕方は、とにかく実際に試して「効いた気がする」人たちには、単なる何を信用するかの話ととられて、まったく有効でないから。

投稿: はくさい | 2010/08/26 0:10:53

>「実験に関わった特定の人物が悪影響を与えた」

マイケルソンが有名な干渉計の実験で予想外の結果を得たときにはこの言い訳は使えなかった。

なぜなら、マイケルソンも当時の他の多くの科学者も、みなニュートン力学が正しいと思っていたから。

相対論は、常識に反した結果から生まれたのである。

ベンベニストにもそういってやればよかった。


投稿: 一読者 | 2010/09/04 16:24:25

>実際に試して「効いた気がする」人たち

実証主義者にも二種類ある。

自分の体験しか信用しない人と
他人の体験も同様に信頼する人である。

前者は自分の体験に反する体験は信頼しない。
自己の体験を否定するのはやはり自己の体験しかない、ということになる。

前者は後者に比べて明らかに世界が狭いし、自己の誤りを知りこれを改める機会が低くなる。

後者は他者の誤りに惑わされる機会は多いかもしれないが、またその誤りを知り改める機会も多いから実害は小さい。

いわゆる科学と擬似科学の違いは、科学が他者を認める開放主義であるのにたいして、擬似科学が「教祖」や「教徒」以外認めない閉鎖主義をとることにある、と思う。

管理人より:貴重なコメントありがとうございます。一般の疑似科学だったらおっしゃる意味も分かりますが、ホメオパシーには当てはまらないと思います。ホメオパシーは、「ホメオパシーが効いた」と思う人でコミュニティを付くっていて、そのことがホメオパシーが効くという判断に重要な役割を果たしていると思われるからです。

投稿: 一読者 | 2010/09/05 10:02:50

ホメオパシーの問題はシンプルで、支持者が治療に役立つことを立証できないことです。

効果があるなら、薬事法上の承認を得るために行われる臨床試験である治験を行い、正規の医薬品として認可されれば良いのだと思います。

科学が否定できない事は関係なく、支持者が効果を立証できないことが問題なのです。

科学的に言えば、あなたの言う通りです。ただ、臨床試験を経てないもの、科学的に立証されていないものは使う意味がないという判断自体が、科学独自の考え方であって、それを受け入れない人には説明できないということを述べています。あなたのような説明をしても、ホメオパシー信奉者に「そんなこと分かっている」と言われるだけでしょう。

投稿: uncorrelated | 2010/09/09 16:34:20

> ホメオパシー信奉者に「そんなこと分かっている」と言われるだけでしょう。

そうですね。しかし納得してもらう必要は無いかも知れません。
立証できないなら、薬効を謳えば薬事法違反、通常医療の代わりに子供に使えば医療ネグレトで、処分されるわけです。
信奉者には、確信犯になるかどうかの選択を与えるわけですね。

おっしゃる通りだと思います。そういうことは重要です。ちなみに、日本の法制(判例)ではホメオパシーを医療ネグレクト扱いするのはかなり困難だと思います。

余談ですが、薬局で売られてる薬の中には、作用機序が不明なだけでなく、薬効も疑問視されているいわゆる民間薬がありますけどね…。病院で行われている治療法も全てが科学的に立証されたものではありません。ホメオパシーの件が飛び火しないか戦々恐々の製薬メーカー、医師もたくさんいそうです。

投稿: uncorrelated | 2010/09/12 23:29:04

たま~にここの主のような勇者様がいらっしゃるのですが、ホメを改心させるのは無駄でしょう。

逆に、ホメの側から
「ほら、科学者の中にもホメのことをわかってくれる人がいる」
とか、宣伝に使われて終わりだと思います。

ホメな人たちを直接改心させる努力を本当にしてみてください。
コメントされている方々の気持ちが少しでもわかると思いますよ

管理人より:改心させられると言うつもりはないのですが、どこからそういう主張が読み取れたのでしょうか?事実は事実として言っていかないといけないと思っているだけです。ネットには、「ウソでも良いから世論を誘導できれば良い」と考えている方、そもそも科学を分かっていないという方が多いようですが…。

投稿: | 2010/10/04 13:55:44

とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。

投稿: 履歴書 | 2012/09/15 10:04:36

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