恋愛はダブルバインドだ―ツンデレが受ける理由、そしてモテルための秘訣

日記・コラム・つぶやき | 2010/07/31

恋愛必勝テクニックはないと言われるが、それでも踏まえておかなければいけないポイントはあると思う。そして、そうしたポイントの一つが、「相手をダブルバインドに陥らせる」ということだ。

◎ダブルバインドとは何か

ダブルバインドとは何だろうか。たとえば、ある子供が「自分の意見を持ちなさい」と言われて、自分の意見を言ったとする。すると、「自分の意見を持つというのは、そんな簡単なことではない」と怒られる。このように、あるメッセージと、そのメッセージの解釈についてのメッセージ(メタメッセージ)が矛盾しており、矛盾する異なるメッセージの板挟みになっている状況をダブルバインドと言う。

グレゴリー・ベイトソンは、このダブルバインドという造語を考案し、これが統合失調症の原因になるという仮説を立てた。この仮説は、現在では支持されていないが(詳しくは末尾の「補足」を参照)、人間がダブルバインド的状況に置かれると混乱し、判断不能になる場合があるのは事実だ。

◎恋愛とダブルバインド

たとえば、こんな状況を考えてみてほしい。向こうに異性が座っている。すごい好みではないが、まぁ、結構いけてる方だ。その異性がこちらをチラっと見た気がする。なんか気になって、こちらも相手を見たら、相手は迷惑そうに目を逸らす。こんな状況で多くの人は、「あの人は自分のことを好きなのだろうか?」と頭がいっぱいになってしまうのではないだろうか。もちろん、相手があまりにも魅力的でなかったら別だが…。

同じような例は他にもいくらでも考えられる。遊び人の異性と付き合っていたとする。その異性は「あなただけを愛してる」という気持ちを伝えてくれるが、もしかしたら、他のたくさんの人に言ってるのかもしれない。こういった状況で、「本当に愛してくれているのだろうか?」と思うことで、さらにのめり込んでしまう人は少なくない。

恋愛とは少なからずダブルバインド的状況である。永遠の愛が語られるが、そうして語られた言葉の意味は永遠ではないかもしれない。そうした葛藤の中で恋愛がある。

◎ダブルバインドを設計する

だから、自分は、単なる好意を恋愛の域にまで高めるものがあるとしたら、それはダブルバインドではないかとにらんでいる。つまり、もし目当ての異性がいて、その人を自分に対して振り向かせたいのなら、意図的にダブルバインド的状況を作ることが必要なのだ。

相手に「好き」というメッセージを与えたと思ったら、その「好き」が本心ではないかのようなメタメッセージ(メッセージの解釈についてのメッセージ)を与える。逆に「嫌い」というメッセージを与えたかと思ったら、その「嫌い」が本心ではないかのようなメタメッセージを与える。このバランスをうまくコントロールすることが、恋愛に成功するためのコツではないだろうか。

たとえば、つきあう前であれば、いつも送っているメールをちょっと遅らせてみる。そうすると相手は「もしかして嫌われたのかもしれない」と思う。そこで、すかさず「ごめん、すごく忙しかったんだ」と返す。デートのときには、楽しい話で盛り上げる一方、突然相手のことを気に掛けてないかのようなそぶりをする。

ある程度深い関係であれば、抱きしめながら「愛している」と言った後、「・・なんて言ってみたりして」とふざけてみる。相手がすねて見せたら、「こう見えても照れ屋だからさ」と否定する。何とも言えない、「リア充」っぷりに、登場人物を殴りたくなってきたが、恋愛って要するにこういうことなのだ。

これがうまくできない人は、純粋な「好き」というメッセージを送ってしまう。これは言うまでもなく、恋愛に関して「キモい」と言われる人の典型だろう。逆に、全く「好き」というメッセージを送らないのもダメだ。これではそもそも恋愛が始まらない。

◎「ツンデレ」が教えてくれること

さて、こうした「ダブルバインド」をゲームやアニメ等、フィクションのジャンルとして確立させたのが「ツンデレ」である。ツンデレとは、「普段はツンツンしているけれど、たまにデレっとしたところを見せる」という意味で、ここ数年流行のジャンルだ。たとえば、ヒロインはいつも冷たい態度を取りながら、主人公から離れようとしない。たまに、優しくしてくれたことに主人公が喜ぶと、「別にあなたのことが好きってわけじゃないんだかね」とうそぶく。ツンデレはダブルバインドの典型例であり、ここには、恋愛の法則とでも言える知恵がつまっているのである。

ツンデレは「ツン:デレ」が90:10とか、99:1というように「ツン」の方に偏っているのが特徴だ。これは、男性の女性に対する片思いを再現しているので、一般人が同じことをやった場合、よほど自分自身に魅力がないと失敗する。ただ、だからといって、「ツン:デレ」を0:100にしてしまうのは良くない。一般に、「ツン」の割合を高くすればするほど、恋愛のハードルは高くなる(自分の魅力が必要になる)、だから自己評価の低い人は「デレ」の方に傾いてしまいがちだが、「ツン」の割合を低くし過ぎると、相手はそもそも恋愛感情を抱いてくれず、「キモい」と思われてしまうのだ。メッセージとメッセージの解釈についてのメッセージ(メタメッセージ)の矛盾をうまくコントロールしながら、「ツン:デレ」を適切な比率に保つのが恋愛の秘訣なのである。

では、「ツン:デレ」の比率はどのくらいがいいのか。これは一概に言える問題ではないが、自分は「ツン:デレ=7:3」くらいがいいのではないかと思っている。恋愛を極めるとは、自分自身に合った「ツン:デレ」比率を見つけることなのかもしれない。

◎補足 ダブルバインドとアスペルガー症候群

ベイトソンのダブルバインドが統合失調症の原因であるという仮説が今日でも支持されているという話は聞いたことがない。ダブルバインド的な状況(高度な文脈解釈が要求される状況)が苦手な症状としてアスペルガー症候群が知られている。

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コメント

リンクが張られていて興味を持ったので、飛んできました。
結論から言うと、ソレは違うような気がするです。
なんか気になる → 相手にのめり込む → 恋愛はわかります。
しかし、気になるを作るのがダブルバインドだとは思いません。好きかもしれないけど、キラわれてるかも…?と思うような態度をとられたとしたら、なんだ自分の勘違いかと納得して終わる気がします。これは見込みないな…と。
なんというか確信を持って好きあっている(付き合っている)二人の、恋をより恋らしく遊ぶ道具がダブルバインドだと思います。本文の例のようなのがまさにそうですね。根底には確証や確信があるから、安心して焦らすことができるということです。 
ツンデレに関しても、ダブルバインドだとは思いません。キャラから「本当はアナタのこと好きじゃないんだから!!」と言われたときにじゃあ本心は??などと気になって好感度うpというよりは、そのツンとした仕草が可愛くてより好ましく映るというものでしょう。根底には、本当は好きなのわかってるよw ニヤニヤが実体じゃないでしょうか。じゃあツンデレの魅力とは具体的にどういう作用か・・・というものは機会が有れば自分の考えを書きたいと思います。

投稿: kito_yurianusu | 2010/07/31 22:49:25

コメントありがとうございます。
ただ、どうも話の趣旨が理解されていない気がします。

> しかし、気になるを作るのがダブルバインドだとは思いません。
> 好きかもしれないけど、キラわれてるかも…?
> と思うような態度をとられたとしたら、
> なんだ自分の勘違いかと納得して終わる気がします。これは見込みないな…と。

ご指摘のようなケースでは、ダブルバインドが成功していません。
「好き」と「好きではない」のバランスが取れておらず、
「好きではない」方が勝ってしまっています。
だから、ダブルバインドではないし、
したがって、恋愛感情は発生しません。
なので、本文の内容とは何も矛盾しないと思います。

> そのツンとした仕草が可愛くてより好ましく映る

次に、こちらについてですが、
自分はその「ツンとした仕草が可愛い」理由を立ち入って考えたとき、
それは、そこにダブルバインドがあるからではないかと
申し上げているのです。
だから、こちらに関しても、
ご指摘の点は、本文の内容と全く矛盾しません。

したがって、いずれにせよ、おっしゃることはご批判というより、
私の議論に沿った指摘ではないかと思います。
もし違う点があれば、
あらためて指摘していただけると幸いです。

投稿: 情報学ブログ | 2010/07/31 23:32:43

確かにダブルバインドを正確に理解できていないかもしれません。ただ一貫して主張したいのは、カップル?恋愛?の成立には【好きと嫌いのバランスは必要なくて、好きだけでいい】ということなんですよ。それは先のコメントで書いたように、嫌いというメッセージは不信、疑惑につながる。言い換えるなら、好きだけを伝えて付き合える人同士がおり、その二人が追加的にダブルバインド的行いをしているかも知れませんが、最初に好きという感情があったから成立しているだけという認識なのです。
つまり、因果関係としてダブルバインドが存在するのではなく、相関関係としてダブルバインドは存在するのではないかということです。相関関係を今回の事例で説明すると、恋愛成立までを振り返ると、概ねそういった行いをする傾向が強い。しかし、それが恋愛成立に直接的な影響があったわけではないということです。


投稿: kito_yurianusu | 2010/08/01 7:50:59

たしかに、実際にはダブルバインドは意識して
行うものではなく、
おっしゃる通り、
意識的には「好きだな~」という程度だと思います。
ただ、恋愛がうまくいく人は、
無意識のうちにダブルバインドのメッセージを伝えるのに成功していて、
うまくいかない人は、
無意識のうちにダブルバインドのメッセージを伝えるのに成功していない。
ということを伝えたかったのです。
だから、日常的な感覚と合わない部分はあると思います。

kito_yurianusuさんは
「恋愛は運命で、あらかじめ相思相愛の場合のみ成り立つ」
とお考えなのかもしれませんが、
実際の恋愛では、自分が相手を好きになったことによって、
相手が自分のことを好きになるというケースが多いと思います。
ここで好意の伝え方が問題なのです。
「思わせぶりな態度(=ダブルバインドメッセージ)」をうまく取れれば、
相手は自分のことを好きになります
ところが、これがうまくコントロールできず、
単に「好き」というメッセージを送ると
引かれてしまうことも少なくないでしょう。

ちなみに、相関関係と因果関係の違いは、
この話とはあまり関係ないと思います。
「恋愛がうまくいく→ダブルバインドメッセージを伝えるようになる」
という因果関係はちょっと考えづらいからです。
こういうわずかな可能性まで考慮していると、
緩めの分野の科学(心理学、社会調査、臨床医学など)
は、全て成り立たなくなってしまいます。
理論上、相関関係と因果関係は違いますが、
実際の科学の現場では
曖昧な場合も多いです。
恋愛とコミュニケーションの関係は
むしろ「相関関係ではなく因果関係であること」が
比較的明確なケースだと思います。

投稿: 情報学ブログ | 2010/08/01 8:36:05

わかったようでわからないような笑
いや、なんとなくはわかってきました。
ただ最後にもういちど、ダブルバインドとは何か?をわかりやすく定義して伝え直してもらっても良いですか。
ソレを聞いて終わりにします。

”好きと嫌いを織り交ぜて”思わせぶりな態度を取ること。
がダブルバインドと読み取りました。本記事の主旨は、思わせぶりな態度が、恋愛やカップルの成立に導く。だからダブルバインドをしっかり設計して行おうだと読みました。

それで改めて自分の指摘を整理すると、
恋愛やカップルの成立は、好きという感情で成り立つ。それは単純に好きと伝えあった結果だ。嫌いなフリをすることもその好きを増幅させるかもしれないが、根底には好きがある。だから、ダブルバインドは”恋愛の成立”にそこまで密接に関わっているとは思えない。です。

別に思わせぶりな態度を取らなくても、好意は伝えられますし受け入れられると思うのですが。

投稿: kito_yurianusu | 2010/08/01 20:45:05


> ただ最後にもういちど、
> ダブルバインドとは何か?を
> わかりやすく定義して伝え直してもらっても良いですか。

ダブルバインドについては、
本文できちんと定義しているので、
あらためて読んでください。
「メッセージとメタメッセージの矛盾」がポイントです。

> ”好きと嫌いを織り交ぜて”思わせぶりな態度を取ること。
> がダブルバインドと読み取りました。

正確に言うと、
「”好きと嫌いを織り交ぜて”思わせぶりな態度を取ること。」
というのは間違いです。
好きというメッセージが同時に嫌いというメタメッセージに
なっていて、
嫌いというメッセージが同時に好きというメタメッセージに
なっているのがダブルバインドであり、
「織り交ぜて」というのは微妙な表現です。
また、「思わせぶりな態度」というのも、あくまで例であり、
それだけがダブルバインドというわけではありません。
ごく普通の愛の言葉が、
自然にダブルバインドになっていることの方が多いでしょう。

たとえば、「愛している」という言葉は、
ほとんどの場合ダブルバインドのメッセージになります。
たとえば、魅力的で誠実な人から「愛している」と言われたとします。
このとき、少なからず「本当かな?」って思いますよね。
どんなに相手が誠実でも100%というのはありません。
この「本当かな?」がダブルバインドなんです。
だから、ダブルバインドじゃない愛の言葉は
ほとんどありえないと言っても良いと思います。

> 恋愛やカップルの成立は、好きという感情で成り立つ。
> それは単純に好きと伝えあった結果だ。

繰り返しになりますが、
恋愛をしている人は、
普通「好き」しか考えていません。
ダブルバインドを設計しようという人などほとんどいません。

でも、「好き」って伝えようとしても、
うまく伝えられないってことがありますよね。
どんなに「愛している」って言っても、
「本当なのかな?」って思われます。
伝えてるつもりでも伝わってないのです。
この「伝えているつもりでも伝わっていない」というのが、
ダブルバインドです。
純愛派の人からすると、
「伝えているつもりでも伝わっていない」というのは、
もどかしく思うかもしれませんが、
実は、それこそが恋愛を成り立たせるために
重要な役割を果たしているわけです。

もし、100%の確実性で愛を伝えることができたとします。
「愛してる」という気持ちが一生変わらないことが
完全に保証されていたとします。
きっと、それは厄介な契約であって恋愛じゃないと思います。
どんなにストレートに愛を伝えているつもりでも、
伝えることができない。
それこそが恋愛の本質だということです。

> だからダブルバインドをしっかり設計して行おうだと読みました。

たしかにそうなんですが、
kito_yurianusuさんのように、
すでに恋愛がうまくいっていて、
それに対して特に困っていないという人は、
あえてダブルバインドを意識する必要はないでしょう。
そういう人は無意識に的確なダブルバインドメッセージを
使っているからです。

ただそうではない人の場合、
意図的にダブルバインドを設計することが必要なわけです。
誰もが意図的にダブルバインドを設計しないといけないというわけではありません。

ちなみに、おふざけ的に「ツン:デレの比率」というようなことを書いてしまいましたが、
本来、好きと嫌いは対等に比較できるものではなく、
好きの中には常に嫌いが含まれていて、
嫌いの中には常に好きが含まれているものなのです。
「ダブルバインドを適切に設計する」ということを端的に表現するために、
「ツン:デレの比率」という言葉を使っただけです。

投稿: 情報学ブログ | 2010/08/01 22:10:10

好き嫌いを分断するのではなく、1つの言葉や態度そのものに、2面性のある意味が含まれていると言うことなんですね。そのメタ部分の割合を人は無意識に調整しているということなんですね。ようやくわかりました。具体例に意識をとられすぎて好き嫌い行動をスイッチのように切り替えるイメージしか持ってませんでした。


自分は、問題解決的に考えることが多いのです。今回の場合だと恋愛の成立において、
・ダブルバインドが成功に貢献する影響は何割ぐらいであるか。
・どういう人に影響が強いのか。
・それを身につけるのにはどれだけのコストを有するのか。
・ダブルバインドを身につける方法論はどういうものか
といった、成功に関わる度合いや、成功のために詳細な部分までつめたいと思ってしまうのです。(というか、つめないと戦略に組み込めない。)
ですので、そういう視点での指摘が多かったように思います。言い換えるなら、科学者や学術家ではないので発見を発見のままに喜べないのです。ではそれを現実に応用する場合どういう風に・・・と考えてしまうのです。
この科学者的な態度(発見していく人)
この実務家?的な態度(利用を考える人)
という意識の違いが根本的に二人にあるような気がしました。とお伝えして今回の件についてはこの辺にしておきたいと思います。

投稿: kito_yurianusu | 2010/08/02 7:09:04

> メタ部分の割合を人は無意識に調整している

割合を調整すると言ってしまうと、
正確な言い方じゃないのですが、
まぁ、そんなイメージです。
メッセージとメタメッセージの割合は数字で表せない、
全く別のものが反対の意味を持っている。
だからこそダブルバインドなのです。
分かりやすく書いたつもりがかえって混乱させてしまったかもしれません。

> 自分は、問題解決的に考えることが多いのです。今回の場合だと恋愛の成立において、
>・ダブルバインドが成功に貢献する影響は何割ぐらいであるか。
>・どういう人に影響が強いのか。
>・それを身につけるのにはどれだけのコストを有するのか。
>・ダブルバインドを身につける方法論はどういうものか

明らかに数値化できそうなもの(重さ、体積、お金)以外のものについて、
「~の割合」「~コスト」という言葉が出てきたとき、
何かしらウソがあると思った方が良いです。
恋愛に関して、そういう議論が出てきたとき
たいていは何かしらのごまかしがあります。
(参考遺伝子と文化の間
私自身も「割合」という言葉を使ったとき、
かなり乱暴な単純化をしたのが事実です。

> この科学者的な態度(発見していく人)
> この実務家?的な態度(利用を考える人)
> という意識の違いが根本的に二人にあるような気がしました。とお伝えして今回の件に
> いてはこの辺にしておきたいと思います。

これは実務家と科学者という問題ではないと思います。

経済学者や自然科学の分野の科学者は
主に「割合」や「測定」ができるものしか扱いません。
だから、ここで扱ったような話を理解しづらいと思います。

一方、私たちの日常には、「割合」や「測定」で扱えない分野がたくさんあります。
たとえば、ある青年が「音楽を取るか」「就職を取るか」で悩んでいたとします。
それは割合の問題でしょうか?
恋愛はもちろん、進路、経営、政策、
全て、数字では表せない問題です。
世の中にはこうして割合では表せない問題がたくさんあるし、
こういう分野に関する学問も多数あります。

そういう意味で、あなたのおっしゃることは、
単純作業を行っている科学者や、
経営者に経営判断の参考になる形式的な報告書を書いている人、
政治家に政策立案の参考になる形式的な報告書を書いている人に
近いと思います。
こういうのを「実務家」というとしたらたしかに「実務家」でしょうが、
実務家の反対は科学者ではなく、
「戦略家」とでも言うべきでしょう。

私の記事は、恋愛を形式的な作業、
つまり「実務」としてとらえるのではなく、
「戦略」としてとらえるものだったということです。

投稿: 情報学ブログ | 2010/08/03 16:11:24

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