遺伝子と文化の間

情報学 | 2010/07/22

◎遺伝子と文化の比率?

「男女の性差を決めているのは文化的要因か、遺伝的要因か」という議論があります。たとえば、以下のような主張を聞いたことはないでしょうか。

・男女の性差は遺伝的に決まる面があるのは事実。男女で得意な分野が違うことは当然。したがって、性別役割分業は肯定される。(遺伝的要因重視)
・遺伝的に決まる男女の性差(セックス)があるにしても、社会的な役割を決めているのは文化的に作られた性差(ジェンダー)にほかならない。したがって、性別役割分業は肯定できない。(文化的要因重視)

女性がほとんどの職業に従事するように今日では、一見して、後者の主張が受け入れられているようにも見えます。しかし、「たまたま男性的な能力に優れている少数の女性が男性と同じ職業に就くのは良いが、それは大多数の女性に成り立つものではない」といった主張もあり、理論的な論争に関しては決して決着が付いたわけではないのです。

ここで、この論争をまとめると以下のようになるでしょう。

1. 性差は「遺伝子」「文化」の両方の影響で決まる
2. 性差は「遺伝子」によってのみ決まる
3. 性差は「文化」によってのみ決まる

常識的に考えると1が正しそうです。とりあえず、このことには疑問を感じないことにしましょう。そうすると、次に考えつくのが以下のような疑問です。「性差は『遺伝子』『文化』の両方の影響で決まるとしたら、その比率はどのくらいか?」。ただ、結論から言うと、遺伝子と文化の比率はどうやっても求めることができません。これはなぜでしょうか?今回の記事では、このことをもとに、遺伝子と文化の関係について考えていきたいと思います。

◎性差の数値化

性差に与える遺伝子と文化と影響を数値化できない理由の一つとして、そもそも性差を数値化するのが困難ということがあります。たとえば、「家事への適性」は数値化できるでしょうか。たしかに、単位時間当たりに大根の千切りをいくつ作れるかということは数字で表すことができるかもしれませんが、「家事への適性」とはそんな単純なことではないはずです。一般に性差と言われているものの大部分は数値化が困難である以上、比率を数値化できないのは当然のことです。

ただ、これは解決不能な問題ではありません。「100m走をどれだけ早く走れるか」「知能テストでの空間把握能力がどの程度かと言うように、非常に限定した能力だけを扱えば、その能力に関しては性差を客観的に求めることができるかもしれないからです。これはいわゆる「性差」よりはかなり狭い意味になりますが、それでも全く意味がないわけではないでしょう。

◎遺伝子から文化への影響関係

では何が問題なのでしょう。重要なポイントは、遺伝子と文化の影響関係にあります。


図1

図2

図1のように、遺伝子と文化がそれぞれ性差に影響していたとします。ここで、文化を数値化するのは不可能ですが、遺伝子と性差はある程度数値化できるので、統計的手法を使えば、遺伝子:文化の比率を求めることができます。

しかし、実際には図1は正しくありません。男女の性差に関しては、図2のように遺伝子→文化という影響関係があり、この影響を実験的・統計的に取り除いたり、数値化したりするのは不可能なのです。

たとえば、遺伝的に男として生まれた子供は、その文化において男として育てられます。もし、周囲の人が男であることに目をつぶって育てたと主張したとしても、無意識のうちに男として見ているということは否定できないでしょう。したがって、遺伝子→文化の影響を取り除くことは不可能です。一方、影響そのものを取り除くことはできなかったとしても、その影響を数値化することができれば、統計的手法によって遺伝子:文化の比率を求めることができます。しかし、「性差」でも数値化することは難しいのに、まして「文化」を数値化することは不可能でしょう。つまり、遺伝子→文化の影響を数値化することは不可能なのです。

これと正反対なのが、教育における遺伝子と環境の比率の問題です。教育においても一般には、遺伝子→環境という影響関係があり、この影響を実験的・統計的に取り除いたり、数値化するのは不可能です。ただし、教育の場合、双生児を対象にした研究をすることで、これが可能なのです。これは近年注目されている里親双生児研究に明らかです。里親双生児とは、異なる家に里親に出された一卵性双生児のことです。こうした双生児は全く同じ遺伝子を持つ一方、環境に関しては違うので、統計的手法を使って、遺伝子:文化の比率を求めることができるのです。


性差に関して里親双生児研究と同じ条件で調べるためには、一卵性双生児(性は必ず同一)が、異なる家に里親に出され、片方は男として、片方が女として育てられたというような状況を想定しなければいけませんが、こんな特殊な状況は世界にいくつもないと思われ、したがって統計的な研究をすることはほぼ不可能でしょう。遺伝子:文化の比率を求めることはどうやってもできないのです。

佐倉統は、『進化論の挑戦』の中で、遺伝子と文化の関係を「作曲家と演奏家の関係」に譬えています。あるコンサートで音楽を聴いたとき、そのどこまでが作曲家のおかげでどこまでが演奏家のおかげか、割合を数値的に決めるのが不可能だということはちょっと考えれば分かるでしょう。一般に、X→Yという影響関係をなくすことも数値化することもできない場合、XとYのZに対する影響の比率を求めることは不可能なのです。

◎世代を超えた影響関係

さて、ここまでの話では、単に人間の一生を取り上げて、遺伝子→文化という影響を取り除いたり数値化したりできないことを示してきました。しかし、もし何らの方法でこれに成功したとしても、遺伝子:文化の比率を求めることはできません。それは、遺伝子と文化は世代を超えて相互に関係しあっているからです(図3)。

図3

まず、私たちの文化で女性と男性を区別するのは、言うまでもなく遺伝的差異がベースになっています。遺伝的性差がなければ、文化的な性差が生まれなかったと考えるのは当然のことであり、これを否定する人はいないでしょう。

一方、文化→遺伝子はどうか。こちらに関しては、「文化的性差がなければ遺伝的性差は存在しない」とまで言うことができないでしょうが、理論的にはさまざまな影響が予想されます。たとえば、女性の方が100m走を走る速さが遅いことは、人類の歴史を通して、女性が文化的に抑圧されてきたからだという仮説は十分考えられます。科学的に証明するのは難しいでしょうが、逆に否定するのも困難です。少なくとも言えることは、世代を超えた文化→遺伝子という影響にはさまざまな可能性があり、それを否定することはできないということです。そして、この影響を否定することができないということは、やはり統計的な手法で影響関係を分析することが不可能であるということを示しているのです。

このことは、遺伝的性差を重視する人が、「性差は全て遺伝子のみで決まっている。文化も含めて遺伝子の問題だからだ」という主張したり、文化的性差を重視する人が「性差は文化によって決まるもの。遺伝的な影響は本質ではない」と主張することと関係しています。遺伝子と文化が相互に影響しあう以上、遺伝子を中心に考えればすべて遺伝子の問題として考えられるし、文化を中心に考えればすべて文化の問題として考えられるのです。したがって、このどちらの主張も否定することはできません。遺伝的性差と文化的性差の対立は、いわば、一つの問題に対する二つの見方の対立に過ぎないと言うこともできるでしょう。

◎文化と遺伝子の関係をどう理解するのか

一般に、何かに影響を与える要因が複数あったとき、それらによる影響の割合を決めることができるとは限りません。もちろん、決めることができる場合もありますが、それはむしろ特殊な状況なのです。なぜでしょうか。原因(影響を与える要因)とは、「ある視点からものごとを見る」ことで明らかになるものに過ぎないからです。Aという観点から見たときはXという原因が浮かび上がり、Bという観点から見たときはYという原因が浮かび上がる。このとき、XとYを比較することはできません。これらはそもそも別の観点から見たときに原因であり、比較すること自体が不可能だからです。

遺伝子と文化の関係も、この一例に過ぎません。性差は遺伝子という観点から理解することもできるし、文化の観点から理解することもできるのです。これはどちらも間違っているわけではありませんが、その影響を比較することはできません。

これを、先日の記事(システムの多様性と斉一性)で書いたシステムという用語を使って説明するなら、遺伝子と文化はそれぞれシステムを構成しているということになるでしょう。一般にシステムというのは、ある対象を特定の視点で見ることで初めて立ち現れてくるものであり、異なる視点から見えるシステムを数値的に比較することは不可能なのです。

性差をめぐる議論が混乱する原因は、こうした「視点の問題(システムの違い)」が無視されているからにほかなりません。性別役割分業の議論がまさにシステム論の問題なのはもちろん、パートナーとの喧嘩の原因も、もしかしたら、こうしたシステム論的な問題かもしれないのです。もちろん、だからと言って、システム論を理解すれば、世界中の男女の喧嘩が解決するかというと、さすがにそれはどうかと思いますが…。遺伝子と文化の関係はなかなか奥が深い議論です。

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コメント

酒の席で、友人と「人の性質は遺伝子で決まるのか、育ち方で決まるのか」と大激論になったことを思い出します。おのおのの人生観が絡んでいるだけに妥協できず、悪い後味を残しました。
この記事を拝見して、当時のモヤモヤした思いにひと区切りついた気がします。

投稿: | 2010/07/23 22:25:09

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