[映画]存在の耐えられない軽さ

映画・テレビ | 2009/02/27

「存在の耐えられない軽さ」は、あまりにも有名な作品ですが、恥ずかしながら、最近やっと映画を見ることができました。3時間近い映画であるにもかかわらず、一瞬も無駄がなく、見ていて飽きることがありません。

さて、この物語は大きく分けて3つのストーリーの核があるのではないかと思います。それは、「恋愛」「政治」「自由」の3つです。「恋愛」と「政治」ということに関して言えば、この物語は、似たような多くの物語の一つと言えるかもしれません。しかし、それを「自由」というキーワードで結びつけたところに、この物語のおもしろさがあるのです。そして、最後の「自由」の問題が、哲学的な「自由意志の問題」、さらには「存在の耐えられない軽さ」というタイトルと結びついていることが、この作品が「名作」と言われるゆえんではないかと思います。


===ネタバレ注意!!物語の結末や核心に触れることが書かれています===


・恋愛と政治

まず、「恋愛」に関して言うと、この物語は男女の三角関係を描いたオーソドックスなストーリーと言えます。舞台はチェコスロバキアの首都、プラハ。優秀だがプレイボーイの脳外科医トマシュは、テレーザと結婚しても、芸術家のサビーナとの関係を切ることができません。これは、チェコ事件によってチェコスロバキアがソ連の支配下に置かれ、トマシュがサビーナを追ってスイスに亡命した後も変わらないのです。トマシュはスイスでもサビーナとの関係を続けるだけでなく、新しい女を町で引っかける毎日。テレーザはそんなトマシュに愛想を尽かし、プラハに帰ってきてしまいます。サビーナもアメリカに渡り、全てを失ったトマシュはテレーザを追ってプラハに帰ります。しかし、トマシュは命の危険を冒してまでプラハに帰ったにもかかわらず、相変わらずの浮気をする毎日。そこで、テレーザは一度だけ不倫をしてしまいます。しかし、良心の呵責に耐えられず、「プラハを去ろう」と言うテレーザ。そこから二人の農夫としての幸せな生活が始まるのです。こうしてトマシュに嫉妬をするテレーザの心情描写と、「自由」で「軽い」トマシュとの対比がストーリーの核の一つになっています。

しかし、この物語には「政治」というもう一つのストーリーの核があります。そこで描かれるのは、「プラハの春」「チェコ事件」をめぐる言論弾圧とそれに抵抗する人々の姿です。トマシュは、チェコスロバキアの民主化運動「プラハの春」以降、急速に認められつつあった言論の自由を背景に、共産党幹部を風刺した小説「オイディプス」を刊行します。ところが、その直後に、ソ連が「プラハの春」を阻止するためにチェコスロバキアの全土に制圧するチェコ事件が起きてしまうのです。写真家として活動をしていたテレーザは、ソ連軍とそれに抵抗する民衆の様子を次々に写真に収めていきます。その後、トマシュとテレーザは「オイディプス」の件もあって、スイスに亡命することになるわけですが、問題はトマシュの浮気が原因でテレーザがプラハに戻ってから。トマシュとテレーザはチェコスロバキアに入国するときにパスポートを取り上げられてしまいます。さらに、トマシュは「オイディプス」の撤回声明を拒絶したことで医師免許も取り上げられ、窓ふきの仕事をすることになります。ここでは、命の危険すら顧みず撤回声明を拒絶するトマシュの「軽さ」と「自由」へのこだわりが描かれていると言えるでしょう。

・自由

さて、こうした「恋愛」と「政治」という、ある意味ありふれたテーマの上に描かれるのが「自由」というテーマでしす。テレーザとトマシュがソ連軍占領下のプラハに戻るのも、医師の仕事を追われるのも、農夫としての人生を歩み出すのも、全てトマシュの「軽さ」が原因ですが、このことは物語の鍵となっているのです。

テレーザがトマシュの浮気に愛想を尽かしてプラハに戻るとき、以下のような手紙を残していきます。

トマシュ。私はあなたを助けなければいけないとは分かっているけれど、私にはそれができません。今の私はあなたの助けになるのではなく、あなたの重荷になっているもの。人生は私にとっては重いものだけど、あなたにとってあまりにも軽すぎる。私はこの軽さ―この自由に―耐えられない。私はそんなに強くないの。プラハでは、私はあなたの愛だけが必要だった。でも、スイスに来てから、私は全てのものをあなたに頼っている。もし、あなたが私を捨てるようなことがあったら、私はどうすれば良いの?私は弱い人間なの。だから、私は弱いものの国に帰ります。
Tomas, I know I'm supposed to help you. But I can't. Instead of being your support, I'm your weight. Life is very heavy to me and it is so light to you. I can't bear this lightness, this freedom. I'm not strong enough. In Prague, I only needed you for love. In Switzerland I was dependent on you for everything. What would happen if you abandoned me? I'm weak. I'm going back to the country of the weak. Goodbye.
I'm sorry, but I've taken Karenin.

日本語では「重い女」なんて言う表現が日常的に使われますが、テレーザは要するに「重い女」なのです。それに対して、トマシュは「軽い男」。この軽さに「耐えられない」というのが、とりあえずの手紙の意味です。ただ、この手紙の中で、軽さ=自由という関係が示されていることは、物語全体を理解する上で非常に重要な意味を持っていると思います。トマシュは、政治についても、恋愛についても「軽さ」のために、パスポートを失い、医師免許を失い、農夫としての人生を歩むことになるわけですが、そこに全く悲壮感はない。それは最後に衝撃のハッピーエンドの結末となることからも分かるでしょう。要するに「軽さ」が「自由」として称えられている。そのことこそが、この物語の特徴と言えるかもしれません。

私たちには、ともすると人生を「重く真剣に考える」べきものであり、そのことでより良い人生が送れると考えている節はないでしょうか。実際には「重く真剣に考えた」ことがないという人も、そういう自分に引け目を感じていたり「重く真剣に考える」ことそのものは素晴らしいと思っているということは多いのではないかと思います。しかし、「本当にそうですか?」と問いかけるのが、この物語なのです。

ただ、単に、テレーザ=重い(社会に束縛されている)、トマシュ=軽い(自由)と考えるとしたら単純化のし過ぎであり、この物語を表面的にしか理解していないことになると思います。これについてはすぐ後で考えていくことにしましょう。

・自律的に変化する<私>

さて、この作品のタイトルに、「存在」という言葉が入っているのはどうしてなのでしょうか。「存在」というと、論理的に示されるような客観的、普遍的な存在というイメージを持つ人もいるかもしれません。しかし、この物語が言う「存在」はそういうものではなく、常に変化する<私>の存在と切り離せないものなのです。常に変化する<私>にとっての存在は、また常に変化するものでしかありません。これは「情報解釈は自律的に変化する主体によってなされる」という情報学の基本的な考え方とも一致します。

こうして常に変化する<私>という存在が、常に自らの選択を力強く肯定していくことは、決して簡単なことではありません。時には「耐えられない」と思うこともあります(詳しくは以前書いた記事を参照)。そういうとき、ソ連の支配下のチェコスロバキアに帰ったテレーザのように自分の外側に救済を求め、「ある価値観にしたがっていく」ことを選べば楽です。しかし、テレーザ自身も認めているように、それは「弱い人間」のやることなのです。

それに対し、トマシュは政治に関しても、恋愛に関しても、決して周囲の価値観に流されることはなく、自分の選択に責任を持っていた。一見して軽いように見えるトマシュですが、実はさまざまな葛藤があり、そうした中で彼なりの選択をしていたはずなのです。普通のラブストーリーなら、トマシュは「欲望に負ける弱い人間」ということかもしれませんが、この作品では全くそういう描かれ方がなされていないことも注目に値するでしょう。トマシュこそ本当の「強さ」を体現する人間なのです。

この立場から見ると、プラハに帰ることを決めてからのテレーザの行動は少し違った目で見ることができるかもしれません。それまで、トマシュの浮気を悲しむしかなかったテレーザは、「ソ連支配化のプラハに帰る」というとんでもない行動を取ることでトマシュに強い意思表示をします。また、トマシュがプラハに来てからも、テレーザはオイディプスの撤回声明を書かないというトマシュの選択を一人支持することを伝えます。そして、いつまで経っても止むことのないトマシュの浮気に対抗するために、自らも浮気をする。テレーザは「弱い人間」と言いつつ、実は「強さ」も持っているのです。そして、そのことは結果として、二人の農村での幸せな暮らしに結びついていきます。

このように考えると、「存在の耐えられない軽さ」の「軽さ」とは言い換えれば「常に変化する(<私>の存在という)現実」ということになるでしょう。こうして「常に変化する現実」は簡単には「耐えられない」。しかし、トマシュとテレーザは「強さ」によってそれを乗り越えていくのです。

この作品が素晴らしいのは、こういう本質的な問題を、「恋愛」「圧制下の政治的自由」という二つのテーマをコラージュのように組み合わせながら、美しく描き出しているということでしょう。長い映画ではありますが、こういう問題に少しでも興味を持っている人なら、少なくとも見て損をしたと思うことはないのではないと思います。

○追記

一応言っておかないといけないと思うのは、この映画の原作となった同題の小説には、冒頭部分に「ニーチェの永劫回帰という考え方はニーチェ以外の哲学者を困惑させた」という言葉が入っているということです。要するに、トマシュが表現しているのは「超人」であり、「自由」や「意志」に関してもこの立場から見るべきだというのが通常の理解でしょう。本文で書いたことも、基本的にはこうした理解に沿ったものです。この記事はあえてそれを、ちょっぴり情報学的な言葉で説明したものと言えます。

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コメント

weekってなんすか(笑)

weakでしょ

投稿: | 2009/06/23 14:45:38

はじめまして。
とてもいい記事でした。

投稿: yamagobouserori | 2010/02/28 16:19:28

1つ目のweakがweekになっていましたね。

お恥ずかしい。

ご指摘どうもありがとうございます。

投稿: 情報学ブログ | 2010/06/26 16:21:22

はじめまして。
この作品の魅力を簡潔かつ奥深く説明するには
こちらの記事が一番だと思い私のブログ記事に
勝手ながらリンクを貼り付けさせて頂きました

事後承諾、どうかお許しください。

管理人より:お褒めの言葉、ありがとうございます。貴サイトの動画を見て、あらためて、この映画の素晴らしさを思い出しました。今後とも、よろしくお願いします。

投稿: KEN | 2010/12/20 2:35:34

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