日記・コラム・つぶやき | 2009/02/02
先日、秋葉原で「恋のから騒ぎ」の内藤里奈さんを見かけたことを日記に書いたのですが(リンク)、昨日の放送で、ご本人が以下のような趣旨のことを言っていたようです。
「あだ名がないから、街で気づかれても「ほら!あの性格の悪い子だよ!!」とか「恋からの生意気な女だよ!」とか言われる。しかも気づいてくれるのにオンエアのイメージからか、みんな怖がって話しかけてこない。怖がるもなにも全然怖くないのに痛すぎる偏見を持たれて交友関係に支障をきたしている。」 http://www.ntv.co.jp/koikara/new/20090131/index.html
自分はそれを読んで大爆笑。だって秋葉原で見かけた時も、名前を覚えておらず「あぁ、あの性格の悪い子ね」としか思わなかったのですから。あまりにも当たりすぎています。先日、自分が書いた日記には当たり前のように名前が載っていますが、それは家に帰ってきて「恋から」のWebページにアクセスして調べた結果でした。見かけた時点では、全然名前を思い出せなかったのです。
でも、まぁ、テレビで語られる「性格」なんて、あくまでテレビの中だけのもの。たしかに、自分も見かけたときに「あの性格の悪い子ね」と思ったのは事実ですが、実際に話したときに、性格が悪いかどうかは別問題だということくらい分かっているつもりです。自分で「性格の悪いキャラ」を自覚して、それを売り込むようであれば、将来にも期待が持てるのではないでしょうか。
さてさて、上ではごく普通に「性格の悪いキャラ」と書きましたが、こういう意味での「キャラクター」のことを、一般に「ペルソナ(Persona)」とか「人格(Personality)」と言います。「ペルソナ」は、古典劇で用いられた「お面」「仮面」を意味する言葉です。要するに、私たちはそれぞれ社会という舞台で、「役」を演じている。そういうことができるのです。
さらに言うと、「ペルソナ」の性質として、さらに以下のようなものを挙げることができるでしょう。
1. 一人の人は複数のコミュニケーションの「場」に参加し、それに対応する複数の「ペルソナ」を持っているということ。たとえば、私たちは、家族に接するときと、友人に接するとき、仕事の同僚と接するとき、また仕事上の顧客(教師なら生徒)と接する時で、「別の自分」を演じわけています。このとき、私たちはそれぞれのコミュニケーションの「場」に応じた「ペルソナ」を持っているということになります。(これはいわゆる「多重人格」(解離性同一性障害)と別の話です。念のため)
2. 「ペルソナ」は、過去と未来のコミュニケーションの積み重ねによって決まるものだということ。過去のコミュニケーションによる知識や経験と、未来のコミュニケーションに対する予期、この両方によって、どういう「ペルソナ」を演じるかが決まるのです。
3. 私たちは、自分の「ペルソナ」を意識して作り上げているわけではなく、あるコミュニケーションに参加することで無意識に、自分「ペルソナ」を作り上げているということ。営業マンは、先輩について顧客に接するうちに、営業マンとしての「ペルソナ」を身につけ、教師は講義を繰り返すうちに教師としての「ペルソナ」を身につけます。また、テレビ番組に出演するエンターテイナーは、テレビへの出演を繰り返すうちに、いつの間にか視聴率が取れるような「ペルソナ」を演じられるようになります。
要するに、内藤里奈さんが「性格の悪い女」と思われたところで、それはあくまで、「視聴率」を媒介にし、「テレビ番組」というコミュニケーションの中で作られた「ペルソナ」であって、それ以上でもそれ以下でもないのです。自分だって、彼女のことを「性格の悪い女」と思いながら、おもしろがって番組を見ているわけですから、その意味では立派に仕事をこなしていると言えるでしょう。まぁ、わざわざそんなことを言われなくても、ご本人が一番分かってらっしゃるのではないかと思いますが…。
ちなみに、なんで「内藤里奈」さんにこだわって記事を書くかって?こういう内容なら、わざわざ個人名をタイトルにしないで、「情報学とペルソナ」で十分じゃないかという疑問が聞こえてきそうです。
実は、前に書いた記事が「内藤里奈」の検索でかなり上位に入っており、そちらからのアクセスが伸びていたのです。こういうときは、似たような記事をタイトルにして記事を書いた方が、ブログ全体のアクセス増加につながるので、無理矢理この記事をひねり出したところです。今さらですが、「ペルソナ」で記事を書こうとは、ついさっきまで思っていませんでした。要するに、ブロガーである私自身、「アクセス数」を主要な関心とする「インターネット・コミュニケーション」の参加者だということ。この記事のタイトルがそれ自体、違う意味で記事の内容を反映しているのです。
まぁ、正直に言うと、このオチを付けるために、このタイトルにしたというのもあるんですが…。
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