ネット社会の匿名性と分散型セキュリティーの思想

情報学/日記・コラム・つぶやき | 2007/06/08

大妻女子大学という女子大で授業のアシスタント(TA)の仕事をしているのですが、昼休みの女子大ほど居心地の悪い場所はありません。最初は、他の男性TAと食堂に行ったりしたのですが、女子学生ばっかりで、落ち着かない落ち着かない。講師室も外人の先生が多いせいか、どことなく落ち着かないのです。女性の先生にそのことを言ったら、「女子大なんだから、しょうがないんじゃないんですか?」と笑われてしまいました。たしかに、女子大の昼休みでウキウキしている男がいたら、キモイという噂もありますが、やはりこの落ち着かなさは、どうにかしたいものなのです。

では、なんでそんなに居心地が悪いのでしょうか?たとえば、自分が学生として通っている大学では、当然のことながら、周囲に「溶け込む」=匿名的な存在でいることができます。これは、講師をしている共学の大学でも同じで、服装や見かけは、他の大学生とあまり変わらないので、完全に周囲に「溶け込む」ことができるわけです。ところが、女子大ではそうではありません。女子大において、自分は年齢的にも性別的、あるいは服装的に「特異な存在」としてのラベルが貼られており、女子学生に「溶け込む」ことは不可能です。そこで「居心地が悪い」のは当然ということになるでしょう。

一般的に言えば、私たちは「個人として尊重されたい」という気持ちと「匿名的な存在でいたい」という相反する気持ちの間で生きているのであり、「匿名性」が完全に失われ、常に注目されるような状況では、「居心地が悪い」と感じるわけでしょう。例を挙げれば、日本でヨーロッパ系の外国人が「ガイジン」として見られて「居心地が悪く」感じたり、障害者が周囲から奇異な目で見られることで、「居心地が悪く」感じるというようなことがあると思います。もちろん、私たちは、人に「見られる」ことを快感に思うこともあり、これは人間としての基本的な欲求の一つです。しかし、どんなに「見られる」ことが好きでも、何らかの形でプライベートな部分は守りたいという気持ちは持っており、日常の生活の全てが継続的に見られることに耐えられる人はほとんどいないでしょう。そしてそうした匿名性がなくなるとき、人は「居心地が悪い」感覚を覚えるのではないかと思います。

さて、若干話は変わるのですが、これはネット社会における匿名性の問題とも関係しています。インターネットのアクセス履歴、クレジットカードの利用履歴、ポイントカードでの購入履歴など、私たちの個人情報は、国家や一部の大企業に完全に管理される世の中になっています。私たちの一つ一つの行動は完全に記録されており、技術的な意味で匿名性は全くと言ってなくなっているわけです。

しかし、重要なのは、そうした状況でも、私たちはそれほど強く「居心地の悪さ」を感じないということかもしれません。というのも、多くの場合、一人一人の個人情報は、たくさんのデータの一つとして記録されているだけであり、何か問題でも起こさない限り、一人一人の個人情報が注目されることはないからです。だからこそ、私たちは「居心地の悪さ」を感じずに生きていると言うことができるでしょう。

ただし、ひとたび国家から疑いをかけられる、信用情報を照会されるといった状況になったとき、一瞬にして「匿名性」は失われます。ある種の権力を持った人間であれば、インターネットのアクセス履歴、クレジットカードの利用履歴、ポイントカードでの購入履歴は簡単に手に入れることができるし、それによってあなたの行動や嗜好は全て把握されることになります。多くの人はそういう状況に対して、「恐ろしさ」や「居心地の悪さ」を感じるでしょう。しかし、同時に、「まさか自分がそういう状況に陥ることはない」と感じている人が多いのも事実です。言わば、こうした葛藤の中で、現代に生きる私たちのメンタリティがあると言えるかもしれません。

ここで話がさらに複雑なのは、そうした「権力」を持てるのが、国家だけではなく、あらゆる組織や人間―企業や犯罪者でもあるということです。私たちは、常に外部から不当に監視されている可能性がある。かつてであれば、「国家権力の横暴を制限しないといけない」ということで、人々の意見が一致したところでしょうが、現代の場合、そうはいかないのです。権力による不当な管理を避けるために、別の権力を強化しないといけない。そうした中で、警察権力の強化という社会の流れが起きているとも言えます。

しかし、これは明らかに問題に対する本質的な解決策ではありません。警察と企業が癒着していたら、警察が不当な捜査を行っていたら、警察のシステムが犯罪者によって不当に利用されたら…。その場合、「警察権力の強化」は、かえって社会不安の原因になるわけでしょう。そもそも、現代社会における匿名性の喪失、監視社会化の問題は、「情報の一極集中」という問題に起因するものです。したがって、これに対抗するために、警察権力を強化という別の形での「情報の一極集中」を推進するのは、明らかに矛盾した「時代遅れ」な方法なのです。

ではどうすれば良いのでしょうか?普通に考えたら、答えは一つしかないでしょう。情報の管理を分散化すること。具体的に言えば、現在、サーバーで一極的に行われている情報セキュリティを、クライアント(PCや携帯などの電子デバイス)レベルで分散して行う、「分散型セキュリティ」を導入していくことです。

こうした「分散型セキュリティ」の概念は、単に政治的な問題ではなく、ネットワーク社会を安定して運営するために不可欠な概念です。というのも、一般に、情報の一極集中は、そのシステムの運用に関する大きなリスク(システムリスク)をもたらします。たとえば、企業の場合、どんなにセキュリティーを強固にしても、システムの誤作動によるリスクや、経営幹部やネットワーク担当者がミスを犯したり、悪意を持つことによるリスクは避けられません。また、電子商取引において、取引のベースとなるシステムが一極集中していれば、サーバーがダウンしたときに、社会は大混乱に陥るリスクを抱えることになるでしょう。こうしたリスクを軽減するのに必要なのが、「分散型セキュリティ」であり、これは次世代のIT技術のキーワードとなる、非常に重要な概念です。

こういう視点から見ると、ネット社会の混乱を「警察権力の強化」で対応しようという発想は、情報化社会の本質に無理解な、間違った考え方であるということが明確に分かるのではないかと思います。そもそも、ネットワークの匿名性の問題は、「情報の一極集中」がもたらす「システムリスク」の一例である以上、「分散型セキュリティ」でクリアされるべき問題であって、警察権力の強化によって解決されるべき問題ではありません。むしろ、警察権力の強化は、別の形での情報の一極集中、別の形での「システムリスク」を産み出すものです。先ほど挙げたような、警察と企業との癒着、警察による不当な捜査や、犯罪者による不当なシステムの利用…という問題は、単に政治的な問題として理解されるべきではなく、こうした「システムリスク」の一例として理解されるべきことが分かるでしょう。

ちなみに、最近、女子大に行くとき、昼休みには、次の授業の教室に早く行って、ひっそりとミクシィとにつなぐのが習慣になっています。「大学側には書き込み内容が筒抜けなんだろうな」と思いながらですが…。当分、この「居心地の悪さ」が解消することはなさそうです。

○関連記事

なぜか大妻女子大学でTAをしています
http://informatics.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_f03d.html

情報自由論/東浩紀
http://www.hajou.org/infoliberalism/index.html

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