愛を産み出すシステム―男と女 Un homme et une Femme

恋愛/情報学/文化・芸術/日記・コラム・つぶやき/映画・テレビ | 2007/05/08

社会システム論という分野では、社会を「コミュニケーションがコミュニケーションを産み出すシステム」と言うことがあります。この立場からすると、恋愛は「愛についてのコミュニケーションを産み出すシステム」としてとらえられます。ここで、「コミュニケーション」というのは、言葉によるコミュニケーションだけを指す言葉ではなく、目配せも愛撫もセックスも、立派なコミュニケーションです。だから、「セックスは愛のコミュニケーション」というのは、理論的に正しいということになります。「セックスはコミュニケーション」。なんか、これだけ取り出すと享楽的な感じがするのですが、「システム論」の立場からすると当たり前のこととも言えます。

これは自分の意見というより、教科書的な解説なのですが、急にこんなことを言うのも、以下の記事を見つけたからです。

http://d.hatena.ne.jp/pal-9999/20070507/p2

さて、社会システム論を離れて言うと、「愛についてのコミュニケーションを産み出すシステム」は、「愛を産み出すシステム」とも言えます(*1)。理論的には全く同じことなんですが、自分はこっちの表現の方が好きですね。だって、「セックスはコミュニケーション」より、「愛が愛を産み出すシステム」の方が、素敵じゃないですか(笑)。

あるところに愛し合っている男と女がいたとします。男が女に「愛」を伝える。それに対して、女が男に「愛」を伝える。ここでは明らかに「愛」が産み出されています。「愛」が産み出されることによって、次の「愛」が産み出される…。ここではまさに「愛」が「愛」を産み出すシステムが作動していると言うことができるでしょう。愛のささやき、かすかな仕草、目配せ、ボディタッチ、愛撫その一つ一つが「愛の産出」というシステムの作動なのです。

恋愛映画の古典、「男と女」Un homme et une Femme(クロード・ルルーシュ監督、1966年)の最初のシーン。ジャン・ルイ(ジャン=ルイ・トランティニャン)は、ドメーヌの寄宿学校に子どもを送った帰り道でアンネ(アヌーク・エーメ)をパリまで送ることになるわけですが、車の中でアンネに質問を浴びせ、次の週の日曜日に一緒に子どもに会いに行こうと誘うわけです。それに対し、翌週、アンネは食事の席でジャン・ルイの仕事について質問責めにする。そうして、二人の「愛のシステム」はできあがっていきます。

ここではさまざまなタイムスパンでの「愛のシステム」が語られています。一つが、こうしたやりとりの後、「電報」。そして、ドメーヌで食事の後の「事件」へと続く、1週間単位での「愛のシステム」。これに対し、冒頭でのアンネの落ち着かない素振りに、ジャン・ルイが同じく落ち着かない素振りで答えるというような短いタイムスパンでの「愛のシステム」があり、これは全編を通して続いていきます。

こうした「愛のシステム」は、二人の関係が始まると同時に生まれ、終わりと同時に消滅する。

モンテカルロラリーの後、食事の後の「事件」で愛のシステムは、壊れかかります。元夫の存在という「外部からの撹乱」によってシステムが破壊的な影響を受けたからです。しかし、結局のところ、システムはそうした撹乱に耐え、持続します。

これと同じことは短いタイムスパンで繰り返し起きています。冒頭のシーンでは、アンネの元夫の死が語られることによって、二人の甘い会話は中断し、翌週の予定は電話次第ということになる。さらに翌週のシーンでは、ジャン・ルイの元妻の死が語られたことに対し、アンネは何も答えずに車を去ります。

「愛のシステム」は決して単調な作動として語られるものではなく、起伏に富んだシステムなのです。

「男と女」の場合、「外部の撹乱」として、死んだ元妻、元夫の存在があります。これは、この映画が「大人の恋愛」を語っていると言われることと深く関係しているでしょう。若者の恋愛を描いた映画の場合、撹乱要因は浮気相手や仕事などであり、これらを複雑に絡ませることで、話をおもしろくするのが普通です。これに対し、この映画では、最初から最後まで、元妻、元夫の存在だけが撹乱要因になっていて、それによってひたすら「愛のシステム」の階層的な起伏を描いているわけです。

考えてみると、こうしてさまざまな階層の「愛のシステム」が作動していくのは、決してこの映画の中だけの話ではありません。「撹乱要因」として何が重要かは二人の状況によって変わるにしても、大きく言えば、あらゆる恋愛を、「愛のシステム」としてとらえることができるでしょう。あらゆるラブストーリー、そして現実の恋愛は、階層的な起伏に富んだ「愛のシステム」「愛を産み出すシステム」としてとらえることができるわけです。

「愛を産み出すシステム」って、なんかロマンティックじゃないですか?それでも納得しないという人は、ぜひ、DVDをご覧ください…^^;

*1
あまり一般的な議論ではないと思いますが、コミュニケーションを全体としてとらえる(シーニュとしてとらえる)か、表現と意味内容(シニフィアンとシニフィエ)に分けて考えるかの違いです。これは、コミュニケーションを「コード」や「メディア」を中心に考えるルーマンの議論などと違うものです。詳しくは、別の機会に書きます。

○関連リンク

男と女
http://blog.livedoor.jp/stainbeck/archives/50853085.html
男と女
http://nordpad.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_880b.html

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