ジャーナリストDの死/名前を持つこと、記号であること

情報学/日記・コラム・つぶやき/経済・政治・国際 | 2007/05/22

人間は一人一人個別の生があり、かけがえのないものだと言います。しかし、そうした「かけがえのなさ」は原理的には何ものによってもとらえられないものです。というのも、私たちが人間を理解するとき、「属性」の集まりとしてとらえています。たとえば、ニュースで「日本人」「女性」「ジャーナリスト」である特定の人について扱われていたとき、私たちはその記号を元にその人を理解するしかないわけです。

しかし、そもそも人間の生はどこまでも個別的なもの。さらに言えば、あらゆる事象、あらゆる情報は個別的なものです。そんなことを考えさせるブログ記事があったので紹介しておきます。

ジャーナリストDの死/entee memo
http://blog.archivelago.com/index.php?itemid=191315

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