情報学ブログアーカイブ→2007年5月の記事をまとめて読む

デジタルカメラを買いました

日記・コラム・つぶやき | 2007/05/29

ある雑誌を眺めていたら、パリの町並みの写真が数ページ、グラビアで掲載されていました。あまりにも美しい写真に思わず記事に読み入ってしまいました。考えてみると、売れ筋の雑誌は全て「写真」や「絵」が主体。現代の世の中、「何かを伝える」ためには、「写真」が必須なんだなとあらためて思ったわけです。

Imgp0255xga しかし、自分の持っている携帯電話(右写真)のカメラの性能は高くはなく、晴れた日の屋外以外では、まともに使えたものではありません。そんなわけで、デジタルカメラを手に入れて、屋内でも気軽に写真を撮れるようにすることにしました。

暗い場所でも気軽に撮れるように、手ぶれ補正機能がある機種を買ったのは言うまでもありません。その中でも自分が購入したのは、PENTAXのOptio A30という機種でした(下写真)。念願の手ぶれ補正機能に加え、この価格帯では唯一、シャッタースピードと、絞りを自在に設定できる、マニュアルモードがあるのが、最大の選択理由です(気休めと思っていたのですが、結構使えます、上の携帯電話の写真もマニュアルモードで撮っています)。

Image0088vga_1ちなみに、この写真は上述の携帯電話のカメラで撮ったものです。携帯を机に固定してセルフタイマーで撮っているため、見かけ上の画質はあまり変わらないのですが、アングルが限られてしまっているのが分かると思います。たとえば、料理の写真や、通常の室内写真を撮るのに、このテクニックは使えません。こいつ(被写体のカメラ)を使えば、ブログで使うレベルの小さな画像なら余裕で手持ちで撮れるし、精度の高い画像が必要なら、三脚も使えるというわけです(上の携帯の写真では、絞りこんだ上で三脚を使って1.3秒の長時間露出をしています)。デジカメを買っても、商品画像をそのデジカメで撮れないのは皮肉ですね。

Imgp0190xga さて、購入したのが先週の土曜日。買ったばっかりということもあって、さっそく写真を撮りまくっています。特に日曜日は、ほとんど写真を撮るためだけに、吉祥寺の井の頭公園に行ってきました。(右写真は井の頭公園の入り口にある焼鳥屋)

雑誌の写真記者のようなきれいな写真を撮る才能はないのですが、多少なりとも「読みやすい記事」になるよう、今後、随時、写真をアップしていければと思っています。

今後とも、情報学ブログをよろしくお願いします。

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今日は研究会で発表でした

日記・コラム・つぶやき | 2007/05/23

今日は、大学院のゼミで、「はじめてのオートポイエーシス」というタイトルで発表をしてきました。オートポイエーシスをゼロから分かりやすく説明してしまおうという、大胆な試みだったのですが、師匠(指導教官)の前での発表ということもあって、結構、緊張しました。

今学期は、週に10コマ授業を持っていて、人前で話すのは慣れているはずなのですが、やはり師匠の前で話すのは緊張します。自分の授業が、「お客さんへの接客」だとすると、師匠の前で話すのは、「上司との面接」みたいなものでしょうか。

あいかわらず、勝手なことをしゃべったのですが、反応はそこそこだったようです。

さて、帰りに、本郷三丁目の駅の近く(かねやすの隣)にある台湾小皿料理の店に寄ってきました。この店、なかなかおいしいのです。中華は全般的に好きなのですが、その中でも台湾料理は大好き。

名物の「焼き小龍包」「ちまき」もすすめられるままにいただき、台湾ビールも4本くらい開けてしまいました。ホールのおばちゃんも明るくてGOODです。

写真を掲載できなくて残念です。(今度、デジカメを買おうと思っています)

ちなみに、「はじめてのオートポイエーシス」の一部は、そのうちこちらにも掲載するつもりです。オートポイエーシスについて、Web上で見られる良いテキストがないので、ちょっとはお役に立てればと思っています。

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ジャーナリストDの死/名前を持つこと、記号であること

情報学/日記・コラム・つぶやき/経済・政治・国際 | 2007/05/22

人間は一人一人個別の生があり、かけがえのないものだと言います。しかし、そうした「かけがえのなさ」は原理的には何ものによってもとらえられないものです。というのも、私たちが人間を理解するとき、「属性」の集まりとしてとらえています。たとえば、ニュースで「日本人」「女性」「ジャーナリスト」である特定の人について扱われていたとき、私たちはその記号を元にその人を理解するしかないわけです。

しかし、そもそも人間の生はどこまでも個別的なもの。さらに言えば、あらゆる事象、あらゆる情報は個別的なものです。そんなことを考えさせるブログ記事があったので紹介しておきます。

ジャーナリストDの死/entee memo
http://blog.archivelago.com/index.php?itemid=191315

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社会調査演習TIPS(量的調査編)

情報学 | 2007/05/17

この記事とは直接関係ないのですが、「大妻女子大学」の検索でたどりついた方には、以下の記事も読んでいただきたいと思うので、最初に紹介させてもらいます。

女子教育とパノプティコン―校訓「恥を知れ」に寄せて
http://informatics.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_9d4d.html

一つ前の記事で書いたように、TAとして社会調査(量的調査)の演習を担当しています。社会調査は全く専門ではないのですが(というかだからこそ)、自分自身の向学のためにポイントをまとめさせてもらいました。良くも悪くも社会学に対してそれほどこだわりのない自分が、「学生に課題をすみやかにまとめさせる」ことを目的にまとめたものなので、類似の科目を履修している学生さん必見(笑)???

ちなみに、TAをするようになった経緯についてはこちらを参照してください。

なぜか大妻女子大学でTAをしています
http://informatics.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_f03d.html

○量的調査の結論と目的

量的調査の直接的な結論は、

「AであるほどBである」

というようなものです。これをもとに、

「AがBの要因になっている」

という最終的な結論を導くのです。さらに、この結論をもとに、批評、提言などを行うことが、調査の目的と言うことができると思います。

たとえば、収入と結婚についての調査では、直接的には、

「収入が高いほど、結婚相手に収入を求める傾向にある」

という結論を導いて、そこから

「収入は、結婚相手に収入を求めることの要因になっている」

という最終的な結論を導きます。

(調査の目的によっては、他のパターンもあるわけですが、とりあえずここでは扱いません。)

○独立変数と従属変数

「AがBの要因になっている」

というとき、Aを独立変数、Bを従属変数と言います。ここで、AやBは、調査票の質問項目に対応するものです。

たとえば、「収入はどのくらいですか?」という質問と、「結婚相手にどの程度の収入を求めますか?」という質問をし、4分割のクロス表を作ります。

たとえば、

収入がyy円以上 収入がyy円未満
結婚相手に対してxx以上の収入を求める ×
結婚相手に対してxx以上の収入を求めない ×

ここで、○が多く、×が少なければ、

「収入が高いほど、結婚相手に収入を求める傾向にある」
だから、「収入は、結婚相手に収入を求めることの要因になっている」

というような結論を導かれます。逆に、○が多く、×が少なければ、

「収入が少ないほど、結婚相手に収入を求める傾向にある」
だから、「収入の少なさは、結婚相手に収入を求めることの要因になっている」

というような結論を導かれるでしょう。このとき、「収入」が独立変数であり、「結婚相手に収入を求める」という意識が従属変数になります。

○仮説

調査票を設計するためには、

「AがBの要因になっている」

という「仮説」がないといけません。仮説を踏まえて、「何を聞くか」ということを決めます。

○因果関係の整理

本来、仮説は、調査を始める段階で明確になっていなければいけないわけですが、漠然としたテーマを設けて調査を行う場合のように、仮説自体を考えなければいけない場合も少なくありません。この場合、「仮説を考える」という作業が意外に難しいのです。というのも、多くの質問項目は、独立変数(A)にもなれば、従属変数(B)にもなるものだからです。たとえば、「ネットへのアクセスの頻度」という項目を考えます。

「収入がネットへのアクセスの要因になっている」
(収入が高いほど、ネットへのアクセスが多い)

という仮説も考えられますが、一方で、

「ネットへのアクセスが友人を増やす要因になっている」
(ネットへのアクセスが多いほど、友人が多い)

という仮説も考えられるでしょう。実際には、もっと複雑に入り組んでいるはず
です。

ただし、

「ネットへのアクセスは年齢増加の要因になる」
(ネットへのアクセスが多いほど、年齢が高くなる)

という仮説は明らかにおかしいものでしょう。要するに、独立変数と従属変数の組み合わせとしては何を選んでも良いというわけではありません。独立変数になりえる項目と、従属変数になりえる項目は、それぞれ一定の範囲に限定されるのです。

○因果関係と相関関係

量的調査で、得られる結論は直接的には、「AであるほどBである」というものであり、これを「相関関係」と言います。これに対し、「AがBの要因になっている」というのを「因果関係」と言います。因果関係があれば、そこには必ず相関関係が見いだされるのですが、相関関係があったからと言って、必ずしも因果関係があるとは限りません。

これには大きく二つのケースがあるでしょう。たとえば、収入が高いほど、本を良く読むというデータがあったとします。この場合、収入が高いことが、本を読むことの要因になっている可能性もありますが、本を読むことが、収入が高いことの原因になっているかもしれません。つまり、AとBの相関関係があったとき、AがBの要因になっているのか、BがAの要因になっているかという「因果関係の向き」については分からないのです。

一方、学歴が高いほど、収入が高いというデータがあったとします。この場合、最終学歴に相当する学校を卒業してから仕事を始めるのが普通なので、収入が高いことが、学歴が高いことの要因になっているとは考えられません。では、「学歴が収入の要因になっている」という結論が絶対に間違いないかというと、そうでもないのです。実際には、「親の収入→学歴」、「親の収入→本人の収入」という関係があり、本人の収入の要因が、親の収入なのか、学歴なのかということを、この調査だけから知ることはできません。

KJ法などを使って調査項目の因果関係を整理する時には、こういった因果関係と相関関係の違いを意識することが重要です。たとえば、意識項目と意識項目の間に因果関係があるという仮説を考えることはできますが、この場合、相関関係を示すことおができても、どちらが独立変数(原因)でどちらが従属変数(結果)かという因果関係ことを知るのは不可能になります。

したがって、社会調査に当たっては、初めから明確に予想されるような因果関係に注目して、仮説を立てないといけないわけなのです。これは、意外に難しいことです。

○ベース/フェイス項目と意識項目

調査票の質問項目の中で、年齢、性別、収入、出身地など、回答者についての基礎的なデータをベース項目と言います。この多くは、原因(独立変数)にしかならないものです。このほか、その調査の性格上、「原因」として扱う項目をフェイス項目と言います。ベース項目やフェイス項目は、原因(独立変数)と考えて良い場合が多いのですが、先ほど例を出した「収入」の例(本人の収入が親の収入の従属変数になっている)のように、意外な落とし穴も少なくありません。したがって、慎重に扱う必要があります。

一方、「~○○という意識を持っている」という形式の項目を意識項目と言うのですが、意識項目は、基本的に、結果(従属変数)にしかなりません。

実際には、多くの項目が、独立変数(原因)にもなれば、従属変数(結果)にもなって、因果関係は入り組んでいます。これを整理する作業が大変なのです。

○KJ法

こうした因果関係を整理するのに良く用いられるのがKJ法です。KJ法は本来、さまざまな状況で一般的に使えるように考え出されたものですが、量的調査における因果関係の整理に応用する場合、次のようにすれば良いでしょう。

質問項目に対応する内容をカードに書いておき、因果関係の中で似ている位置づけになりそうなものをグループ化します(重ねないで横に並べる)。そして、原因(独立変数)から結果(従属変数)に向けて矢印を引くわけです。このとき、ベース項目/フェイス項目や意識項目は、最初に分けておき、一番上と一番下など、離れた場所に置いておくと良いと思います。

このようにして、最終的に、項目の因果関係についての図表(ダイアグラム)を作るわけです。

○社会学と情報学

さて、意識項目は従属変数にしかならないということを書いたと思うのですが、納得できたでしょうか?とりあえず知識として覚えれば、演習そのものは問題なくできると思うのですが、本来、これは、そんなに当たり前のことではないのです。これは、このブログのテーマである「情報学」と深く関係することなので、簡単に触れたいと思います。

社会調査で、意識項目が従属変数として扱われることは、社会調査の限界および社会学という学問の成り立ちと深く関係しているものです。

というのも、理屈の上では、意識項目は原因(独立変数)とみなすこともできます。たとえば、「~という意識を持っている」ことによって、別の意識が形成されるというような仮説を考えることはできるでしょう。しかし、このような仮説の場合、両者の相関を示すことができても、本当に因果関係があるということを立証するのは、絶対と言って良いほど無理なのです。たとえば、Aという意識がBという意識を作っているという仮説を立てたとします。かりにAとBに高い相関が見られたとしても、AがBの要因になっているということを示すのは困難です。BがAの要因になっているかもしれないし、別の項目Cが、AとBの両方の要因になるかもしれないからです。したがって、社会調査で意識項目を、独立変数(原因)とするのは事実上不可能なのです。これは、論理的にその仮説がありえないということではなく、統計的な調査の限界とも言えるものです。

そういうこともあって、社会学では、基本的に、「人間の意識が社会によってどのように作られているか」という問題設定をします。これは、「意識」が常に「従属変数」として扱われるもう一つの理由です。社会学の主流派の学問では、意識が意識を形成するということには注目せず、注目しない以上、そういう調査もしないわけなのです。

ただし、意識が意識を形成するというような関係は、少なくとも個人のレベルでは間違いなく存在しています。そして、これは社会の問題としても、完全に無視することができるとは思えません。

これについて正面から立ち向かうのが、社会学の中では社会システム論と言われている分野であり、大きく言えば、「システム」や「情報」についての学問=情報学だと言うことができます。システム論や情報学は、「情報と情報の関係性をとらえることができない」ということを出発点にし、その中で人間や社会がどのようにできあがっているかを考えるものです。私たちは「意識が意識を形成する」という関係をとらえることができないが、それでもその関係の中で人間や社会が存在しているということに注目するのです。

こういった「情報」の視点は、社会のさまざまな場面で必要になってくる重要なものなので、興味がある人には詳しく勉強してほしいと思います。ただ、これは逆に言えば、量的調査では「意識が意識を形成する」というような議論を、扱えないということを示しても言えるわけです。

いずれにせよ、「意識項目は従属変数にしかならない」というのが、学問的に深い内容と関係しているということが分かると思います。

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食中毒になったけど、やっぱりオートポイエーシス

情報学/日記・コラム・つぶやき | 2007/05/12

火曜の夜、大学の近く(本郷三丁目)の某エスニック系レストランで食事をしている最中から食中毒様の症状になり、しばらく死にそうでした。

1. 食べている最中に症状が出てきた(潜伏期間が異常に短い)
2. 症状は、食べた直後からの発熱(最高39℃)、6時間後からの激しい嘔吐、30時間後からの下痢、長引く悪心と倦怠感。
3. 嘔吐することによって症状が軽減する。
4. 食べた食品の中に衛生管理が甘くなりがちな再加熱食品(腸詰め)が含まれていた。

というような理由で、断定こそできませんが、黄色ブドウ球菌を原因菌とする食中毒の可能性が高いのではないかと思います。最初の段階で気づいて吐きだしていれば、たいしたことにはならなかったのでしょうが、単なる風邪だと思って寝てしまったのが、症状を悪化させる原因になったようです。

水・木・金と、仕事は全部普通に行ったものの、毎日家に帰ってきては寝込むという生活で、ほんと大変でした。駅から大学に行くタクシーで乗り合わせた医学部の学生3人組(妙にかわいかった)に話をするネタができたのは良かったのですが…(笑)。

さて、熱でうなされている間、わけの分からない思考が頭の中をぐるぐる回っていました。

1. オートポイエティックな作動は、世界全体とのかかわりで成立している。
2. したがって、「食べ物」という作動(厳密に言えば、食べ物による、細胞レベルでの物質産出)は、単に消化器系に影響するものではなく、体中の諸器官に影響する。(e.g. 発熱→免疫系、嘔吐、悪心、倦怠感→神経系)
3. これは、オートポイエーシスの説明にうまく使えそうだ!!

どうも、この1→2→3→1→2→3あたりでずっと回っていたようなのです。オートポイエーシスっていったい何なのでしょうか?どうも、食中毒は思考システムまでおかしくしてしまうものなのかもしれません。

食中毒恐るべしです。

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talkコマンドの甘い甘い思い出

日記・コラム・つぶやき | 2007/05/12

一部の記事を別のブログに移転し、URLを変更しました。この記事の新しいURLは以下の通りです。

http://informatics.cocolog-nifty.com/diary/2007/05/talk_9a78.html

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愛を産み出すシステム―男と女 Un homme et une Femme

恋愛/情報学/文化・芸術/日記・コラム・つぶやき/映画・テレビ | 2007/05/08

社会システム論という分野では、社会を「コミュニケーションがコミュニケーションを産み出すシステム」と言うことがあります。この立場からすると、恋愛は「愛についてのコミュニケーションを産み出すシステム」としてとらえられます。ここで、「コミュニケーション」というのは、言葉によるコミュニケーションだけを指す言葉ではなく、目配せも愛撫もセックスも、立派なコミュニケーションです。だから、「セックスは愛のコミュニケーション」というのは、理論的に正しいということになります。「セックスはコミュニケーション」。なんか、これだけ取り出すと享楽的な感じがするのですが、「システム論」の立場からすると当たり前のこととも言えます。

これは自分の意見というより、教科書的な解説なのですが、急にこんなことを言うのも、以下の記事を見つけたからです。

http://d.hatena.ne.jp/pal-9999/20070507/p2

さて、社会システム論を離れて言うと、「愛についてのコミュニケーションを産み出すシステム」は、「愛を産み出すシステム」とも言えます(*1)。理論的には全く同じことなんですが、自分はこっちの表現の方が好きですね。だって、「セックスはコミュニケーション」より、「愛が愛を産み出すシステム」の方が、素敵じゃないですか(笑)。

あるところに愛し合っている男と女がいたとします。男が女に「愛」を伝える。それに対して、女が男に「愛」を伝える。ここでは明らかに「愛」が産み出されています。「愛」が産み出されることによって、次の「愛」が産み出される…。ここではまさに「愛」が「愛」を産み出すシステムが作動していると言うことができるでしょう。愛のささやき、かすかな仕草、目配せ、ボディタッチ、愛撫その一つ一つが「愛の産出」というシステムの作動なのです。

恋愛映画の古典、「男と女」Un homme et une Femme(クロード・ルルーシュ監督、1966年)の最初のシーン。ジャン・ルイ(ジャン=ルイ・トランティニャン)は、ドメーヌの寄宿学校に子どもを送った帰り道でアンネ(アヌーク・エーメ)をパリまで送ることになるわけですが、車の中でアンネに質問を浴びせ、次の週の日曜日に一緒に子どもに会いに行こうと誘うわけです。それに対し、翌週、アンネは食事の席でジャン・ルイの仕事について質問責めにする。そうして、二人の「愛のシステム」はできあがっていきます。

ここではさまざまなタイムスパンでの「愛のシステム」が語られています。一つが、こうしたやりとりの後、「電報」。そして、ドメーヌで食事の後の「事件」へと続く、1週間単位での「愛のシステム」。これに対し、冒頭でのアンネの落ち着かない素振りに、ジャン・ルイが同じく落ち着かない素振りで答えるというような短いタイムスパンでの「愛のシステム」があり、これは全編を通して続いていきます。

こうした「愛のシステム」は、二人の関係が始まると同時に生まれ、終わりと同時に消滅する。

モンテカルロラリーの後、食事の後の「事件」で愛のシステムは、壊れかかります。元夫の存在という「外部からの撹乱」によってシステムが破壊的な影響を受けたからです。しかし、結局のところ、システムはそうした撹乱に耐え、持続します。

これと同じことは短いタイムスパンで繰り返し起きています。冒頭のシーンでは、アンネの元夫の死が語られることによって、二人の甘い会話は中断し、翌週の予定は電話次第ということになる。さらに翌週のシーンでは、ジャン・ルイの元妻の死が語られたことに対し、アンネは何も答えずに車を去ります。

「愛のシステム」は決して単調な作動として語られるものではなく、起伏に富んだシステムなのです。

「男と女」の場合、「外部の撹乱」として、死んだ元妻、元夫の存在があります。これは、この映画が「大人の恋愛」を語っていると言われることと深く関係しているでしょう。若者の恋愛を描いた映画の場合、撹乱要因は浮気相手や仕事などであり、これらを複雑に絡ませることで、話をおもしろくするのが普通です。これに対し、この映画では、最初から最後まで、元妻、元夫の存在だけが撹乱要因になっていて、それによってひたすら「愛のシステム」の階層的な起伏を描いているわけです。

考えてみると、こうしてさまざまな階層の「愛のシステム」が作動していくのは、決してこの映画の中だけの話ではありません。「撹乱要因」として何が重要かは二人の状況によって変わるにしても、大きく言えば、あらゆる恋愛を、「愛のシステム」としてとらえることができるでしょう。あらゆるラブストーリー、そして現実の恋愛は、階層的な起伏に富んだ「愛のシステム」「愛を産み出すシステム」としてとらえることができるわけです。

「愛を産み出すシステム」って、なんかロマンティックじゃないですか?それでも納得しないという人は、ぜひ、DVDをご覧ください…^^;

*1
あまり一般的な議論ではないと思いますが、コミュニケーションを全体としてとらえる(シーニュとしてとらえる)か、表現と意味内容(シニフィアンとシニフィエ)に分けて考えるかの違いです。これは、コミュニケーションを「コード」や「メディア」を中心に考えるルーマンの議論などと違うものです。詳しくは、別の機会に書きます。

○関連リンク

男と女
http://blog.livedoor.jp/stainbeck/archives/50853085.html
男と女
http://nordpad.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_880b.html

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