居酒屋の漫談シリーズ(4)―ドミナントストーリーとしての科学

情報学 | 2007/04/23

4/17に飲みながら後輩に話したことのメモ。

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物語論は、歴史哲学、社会学、臨床心理学など、さまざまな分野で扱われる議論である。まとめて言うと、物語論では、<心>や<社会>が物語として描かれる。

物語論で言う物語は、システム論的に言えばシステムにほかならない。システム論のシステム概念は、物語論の物語概念より広いが、ほとんどの意味で包含関係にあると言える。ただし、システム論が物語論と異なるのは、<心>と<社会>が相互循環的にとらえられるという点である。つまり、システムの独立性と閉鎖性の帰結として、<心>には<社会>の働きが含まれ、<社会>には<心>の働きが含まていることになるのである。ここで、<心>にも<社会>にも、さまざまなサブシステム(価値観、視点、見方)があり、それらは、歴史認識、常識、社会規範のようなものを作っている。これらは、それぞれ独立した物語(システム)であるということが重要である。

こういうサブシステムの関係を理解する上で重要な概念としてドミナントストーリーというものがある。ドミナントストーリーというのは、もともと臨床心理学で言われてきた概念であり、クライアントが、自己についての多数の物語を持ち得ることを前提に、通常、治療対象となるような「物語」に対して使われる。ただし、概念そのものの意味として言えば、ある物語がドミナントストーリーであることには、プラスの評価もマイナスの評価も与えるべきではない。その人にとっての主要な自己像のようなものが、ドミナントストーリーである。

さて、こうしたドミナントストーリーの概念をシステム論的に一般化すると、それが、単に<心>の問題なのではなく、<社会>の問題でもあることが分かる。つまり、社会で広く受け入れられている歴史認識、常識、社会規範などは、ある種の「ドミナントストーリー」であり、一般に、システムの自己像の形成に重要な役割を果たすサブシステムのことを、「ドミナントストーリー」と言うことができる。こういう中、現代社会において特に重視される「ドミナントストーリー」は間違いなく「科学」である。科学は、世界の起源、生命の起源について説明する。原始的な社会において、神話のような物語が果たしていた役割を、今日の社会では科学が果たしていると考えることもできる。

科学をドミナントストーリーと考えるということは、科学も一つの見方に過ぎないというような過度な相対化と、普遍的なものとしての絶対化の両方を避けようとするものである。そして、近代科学を前提にした社会がまさにここにあるということ、また、まさにそういう社会の中で私たちが生きているということそのものに注目しようとするものである。

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