歴史のまえぶれ

日記・コラム・つぶやき | 2007/03/05

ひさしぶりに公園に散歩に行こうと思って家を出たのだけど、どうも雨が降るような降らないような微妙な感じだった。途中で一瞬引き返したものの、まだ大丈夫だと思って、やはり公園には向かうことにした。

公園に着くと、急に強い風が吹いてきた。砂が舞い上がり、頬に当たる。

 雨だ。
 もうすぐ雨が降る。

雨が降る前には気圧の変化で、強い風が吹く。小学校の理科の時間で習う話だが、そんなことは、太古の昔から、人間が知っていたことだろう。まえぶれ。そんな言葉が頭をよぎった。

 ※ ※ ※ ※ ※ ※

いつも思うことなのだが、歴史の中で、戦争に進もうとする社会に生きている人たちは、その時代において、どんなことを考えていたのだろうか。民主的な社会から、独裁政権に変わっていく国の人たちは、その時代において、どんなことを考えていたのだろうか。

ナチス党が政権を握ったドイツ、大正デモクラシーが終わったころの日本。

きっと、当時の人々は、ラジオを聞きながら、身勝手なマイノリティや犯罪者に怒りを感じ、国の危機や、愛国心の大切さという全くもっともな主張にうなずいていたのだろう。そんな中で、今、何が起きているか、気づいていなかったのではないかと思う。

しかし、それは後から歴史を振り返る私たちだからこそ言えること。その当時の人々は、そんなことに気づけるはずもない。後から振り返って、その時代の人を責めるのは酷だろう。

ただ、もし、当時の人がそういう現実に気づけるような「まえぶれ」があったとしたら、それはどんなものだっただろうか。私たちが歴史から何かを学ぶとしたら、まさにこういうことではないかと思う。

今の日本では、何でもかんでも「人権」を主張する人たちに眉をしかめないといけなかった時代が終わり、犯罪の恐ろしさや、愛国心が強調される時代に進もうとしている。信じられないほど警察権力が拡大されているのに、それを問題にする人すらほとんどいない。

はっきり言うが、人権など空虚なものである。あってないようなもの。あると言えばある、ないと言えばない。あくまで政治のバランスの中で存在している。だから、政治のバランスがちょっと崩れると、一気にそれは縮小していくわけだ。

 ※ ※ ※ ※ ※ ※

そんなことを考えているうちに、風が止み、雨が降り出してきた。

雨はいつも静かに降り始める。

そう、それが私たちが生きること、歴史がめぐるということ。

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