情報学 | 2007/01/20
今日は、「情報」は、そのとらえ方によって、大きく2つに分けることができるという「2つの情報」という話と、それを踏まえて、「情報学」が対象とするのはどういう分野で、そこにどういう共通点があるのかという話をしたいと思います。
(1) 情報の意味と2つの情報
私たちが「情報」という言葉を使うとき、そこに大きく分けて2つの意味を込めているのではないでしょうか。一つが、「ニュース」「知らせ」「インターネット上の情報」と言うときの「意味が問題にされる情報」で、もう一つが、情報処理、情報通信における「意味が問題にされない情報」です。「意味が問題にされな情報」では、、何バイト、何メガバイトというように、量を測ることができますが、「意味が問題にされる情報」は、同じように量を測ることができません。
ただ、こう言われても、あまりピンと来ない人もいるのではないでしょうか。それは、私たちが「情報」というとき、たいてい、この2つがごっちゃになった形で使われているからです。
たとえば、「A社が倒産しそうだ」という情報と、電話帳一冊分の情報を比べたとき、どちらにたくさんの情報が含まれているかということを考えます。情報処理の分野で扱われるような「情報量」の概念から言えば、電話帳一冊分の情報の方が大きいことは明らかでしょう。ところが、A社と取引をしているB社の従業員にとって、A社の倒産は自分の生活にもかかわる、重要な情報です。しかも、それが一般に知られておらず、内部関係者を通してこっそり聞いたものだとしたら、その情報の重要性は非常に高くなり、どこにでも手に入る「電話帳」とは比べものにならないほど重要な情報になるでしょう。しかし、一方で、電話ボックスで電話をかけようとしている、A社と無関係なCさんにとっては、電話帳の情報は非常に重要なものと言えると思います。こうした状況で、どちらが重要かということを決めることはできません。つまり、「意味が問題にされない情報」は計ることができるが、「意味が問題にされる情報」は重要性を比較することができない。とらえる人によって、その重要性は変わるということが言えると思います。
もう一つ例を挙げます。携帯電話を使ってメールをする世代なら、「最近元気?」というメールを一度は送ったことがあるのではないでしょうか。おそらく、こうしてこの文章を読んでいる今も、日本中で「最近元気?」というメールがたくさん送られています。さて、メールのデータは、全て、いわゆるJISコード、ISO-2022-JPという形式で送られているので。「最近元気?」は、全て0と1の信号に変換することができます。「最」は、0011 1010 0100 0111、「近」は、0011 0110 0110 0001といった具合で、最終的に、「最近元気?」は、0011 1010 0100 0111 0011 0110 0110 0001 0011 1000 0011 0101 0011 0101 0010 0100となります(こうやって書くと、無駄に長くなるので、コンピュータの世界では、通常、2進数4桁分をまとめて1文字で表し、3A47 3661 3835 3524 2129と表します。これを16進数表記といいます)。いずれにせよ、日本中で送られている「最近元気?」は、全て同じ0と1に信号に置き換えられ、このために、「最近元気?」が「おやすみ」に変わることなく、「最近元気?」のままで送られるわけです。ところが、「最近元気?」が日本中で1000通送られれば、全く違う1000の状況があり、そこで意味しているところは違います。最近連絡の取れない恋人に送った「最近元気?」もあれば、離れて暮らす家族に送る「最近元気?」もあるでしょう。ここで、0と1の信号としてとらえる「最近元気?」は「意味が問題にされない情報」ですが、さまざまな状況の中でとらえる「最近元気?」は「意味が問題にされる情報」ということができると思います。
つまり、さまざまな情報は、「意味が問題にされない情報」と「意味が問題にされる情報」に分けられるわけですが、これは現実にある情報を分類して2つに分けられるという意味ではなく、情報のとらえ方に2つがあるということです。したがって、情報通信で扱う情報を「意味が問題にされない情報」とは言っても、そこで伝えられている、それぞれの情報には意味があります。一方、「意味が問題にされる情報」だと言っても、意味が問題にされない情報として送信できる場合だってあるでしょう。同じ情報を2つの視点からとらえていける、それが「2つの情報」という言葉の意味するところだと言えるのです。
ただし、「意味が問題にされる情報」は、「意味が問題にされない情報」よりも広いものを指しているということは大切です。「意味が問題にされない情報」も、「意味が問題にされる情報」としてとらえることはできますが、「意味が問題にされる情報」の場合、それが持っている意味の全てを「意味が問題にされない情報」として表すことはできないからです。したがって情報について考えるとき、「意味が問題にされる情報」を出発点にした方がより一般的な議論ができることが分かります。逆に言うと、「意味が問題にされない情報」、何バイトと表せるような情報を出発点に考えると、情報の性質のごく一部しか扱うことができなくなります。つまり、情報学では、情報には何かしら意味があると、とりあえず、このことを出発点に考えることにするわけです。
(2) 情報学の範囲と分類
さて、情報学は、情報概念をもとに対象を分析する学問ですが、ここで、対象をどのように分析すかによって、情報学は、意味を直接的に問題にしない情報学と、意味を直接的に問題にする情報学に大きく分けることができます。
まず、意味を問題にしない情報学とは、情報処理や情報通信についての学問であり、ここでは、何バイトというような「情報量」の概念が適用できるような情報概念を用い、直接的には意味が問題にされない形で情報が扱われます。
ただし、こうした学問の多くは、○○工学、○○科学などと、末尾に「情報学」を付けず、自らを情報学として規定していないことが多いのです。このため、狭義の情報学は、意味を問題にする情報学だけだと言うこともできるでしょう。しかし、多くの情報学の分野は、意味を直接的に問題にしない情報概念と、意味を問題にすしない情報概念の狭間で起きる問題を扱っており、一般的に情報学を扱うのであれば、意味を直接的に問題にしない情報学を無視することはできません。このため、通常、広い意味で情報学というとき、意味を直接的に問題にしない情報学を含めた情報学を考えます。このブログでも基本的にこの立場を取りたいと思います。こういった情報学の分野を、広い意味で「情報工学」と呼ぶことにしたいと思います。
これに対し、意味を問題にする情報学は、さらに2つに分けることができます。
一つは、意味を問題にしない情報を扱う、情報処理の技術を使いながら、それが意味を持つプロセスを問題にするような情報学です。これは、応用情報学と言われる分野であり、図書館情報学を始め、医療情報学、経営情報学、法情報学、知能情報学 どが含まれます。こういった応用情報学の分野の中には、対象を情報としてとらえることによるシミュレーションを含むもの、「意味のある情報」を「意味のない情報」として処理するための技術であるデータベースを用いて、それが意味を持つプロセスを問題にするものがあります。もちろん、応用情報学は、シミュレーションとデータベースだけを用いるものではありませんが、こういったものを用いることが多いのです。
こうした応用情報学に対し、直接的に「意味のある情報」を問題にするのが「社会情報学」と言われている分野です。社会情報学では、データベースの利用技術のような形で情報を扱うのではなく、社会における「意味が問題にされる情報」をベースにしながら、時としてそれが「意味が問題にされない情報」としてとらえられるプロセスそのものを問題にするものです。
つまり、情報学は、情報の意味をどのようにとらえるかによって、大きく3つの分野に分類できるということになるでしょう。主に情報の意味を問題にせず、純粋に情報量の概念が適用できる「情報」を扱う情報工学に対し、情報工学的な情報を扱いながらも、それが実際の場面で持つ何らかの意味を問題にする応用情報学、さらに、基本的に情報の意味そのものを問題にする社会情報学の3つです(*1)。
このように、情報学にはさまざまな分野があるわけですが、ここで重要なのは、どのような情報学の分野でも、情報概念をもとに対象をとらえるという特徴があることです。「意味が問題にされる情報」と「意味が問題にされない情報」はいずれも、対象を分析するときに有効なものであり、それぞれの分野の情報学は、扱う分野に応じて、この両者を使い分けながら、対象を分析していると考えることができるでしょう。
では、こういったさまざまな情報学の基礎となる「情報」、あるいは「意味」はどのように理解されるのでしょうか。これについて、次回以降の記事で考えていきたいと思います。
*1
3つの分野に属する情報学のさらに細かい分類については、Wikipedia「情報学」が参考になると思います。
Wikipedia「情報学」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%85%E5%A0%B1%E5%AD%A6
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